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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/12/20

11世紀に8つのペンデンティブにのるドーム



1040-50年頃建立された(『NHK日曜美術館名画への旅3天使が描いた中世2』より)オシオス・ルカス修道院主聖堂(カトリコン)の主ドームが、コンスタンティノープルのアギア・ソフィア大聖堂のような4つのペンデンティブから導かれるドームでも、ブハラのサーマーン廟(10世紀半ば)のように4つのスキンチ、八角形、十六角形となって導かれるドームでもなく、四隅にスキンチがあり、しかも8つのペンデンティブに支えられていることに驚いた。
身廊、袖廊、後陣へと通じる箇所にはそれぞれヴォールト天井、四隅にはスキンチ、合計8つのアーチのそれぞれの間がペンデンティブの曲面となって、その上に円弧を導いて、ドームが造られている。
主聖堂全体の平面図を見ても気付かなかったが、主ドーム部分だけ見ると、確かに8本の柱の隅に起拱点があった。

11世紀に8つのペンデンティブを持つドーム!
今までミマール・シナンが建立したイスタンブールのリュステムパシャ・ジャーミイ(下図、1561年完成)が8つのペンデンティブのあるドームの最初だと思っていたので、これは少なからずショックだった。
その平面図
スキンチ部分のカーブが描かれているが、オシオス・ルカス修道院主聖堂の主ドームの平面図とよく似ている。
平面図ではわからないが、上図で見ると、四隅のスキンチの下側には角の柱で小さな2つのアーチを支え、その2つのアーチの上にスキンチをのせていることくらいが相違点だ。
おそらく、1段上にペンデンティブを置くことによって、ドームが高くなること、そして窓から光がたくさん入って明るくなることを計算しての設計だろう。

では、8つのペンデンティブの上にドームを置くということは、何時頃から始まったのか。それを知るには残されているビザンティン聖堂があまりにも少ない。

1041年建立とされるキオス(ヒオス)島のネア・モニ修道院聖堂はどうだろう。
『世界歴史の旅ビザンティン』は、アテネからキオス島に渡る。トルコはもう目と鼻の先である。
「新しい修道院」の意である。1042年の少し前に、数人の隠者によって建立された修道院で、聖母に捧げられているという。
聖堂の高さに比べるとドームが高い。
同書は、 修道院は皇帝コンスタンティノス9世モノマコス(1042-55)の庇護を受けて栄えた。ナオスはドーム(崩落して再建)が内接する正方形で、そこに二重のナルテクスが付属する特殊なプランをとるという。
『ビザンティンで行こう!』は、ネア・モニとは「新しい修道院」という意味で、1040年頃に、皇帝コンスタンティノス9世(アヤ・ソフィア南階上廊モザイクの奉納者である)の庇護のもとに建立された。八角形の特殊な集中式プランを持つ聖堂であるという。
ドームはオシオス・ルカス修道院主聖堂のように8箇所からペンデンティブが出ているようだが、8辺が同じ長さではなく、四隅のスキンチの下辺が短くなっている。正八角形にする技術がまだ確立していない頃の聖堂ということになるだろうか。

オシオス・ルカス修道院主聖堂よりも後の建立になるが、アテネ近郊のダフニ修道院も11世紀の建築が残っている。残念ながら修復中で見学はできなかった。
その写真はこちら
『世界歴史の旅ビザンティン』は、大規模な修道院なのに、設立の事情を記録する文書は残っていない。モザイクの様式と意匠から、11世紀の末に建てられた、聖母に捧げられた修道院であることがわかるという。
この図版を見るかぎりでは、8つのペンデンティブが作り上げる円弧の上にドームが載っている。
平面図にも、正方形平面から四方の柱の上に等辺の八角形ができている。
断面図でも内接十字部への移行部のアーチと、スキンチのアーチとの間にペンデンティブがあって、その上にドームが乗っている。

そうだ。身近な所に10世紀後半にはまだ8つのペンデンティブタイプのものがなかったことを示すものがあった。
オシオス・ルカス修道院にある10世紀後半建立のパナギア聖堂が4つのペンデンティブの上にドームの乗る、アギア・ソフィア大聖堂タイプだった。
地方作と言われるオシオス・ルカス修道院で、4つのペンデンティブタイプの聖堂の手本が隣にあるのに、何故主聖堂(カトリコン)は別の、あるいは新流行の様式を選んだのだろう。

『NHK日曜美術館名画への旅3天使が描いた中世2』は、オシオス・ルカス修道院のモザイクの年代は、最近の研究で1040-50年頃とされ、宮廷ではなく修道院自体が注文主だとする説がある。数多くの聖人像が描かれ修道院的色彩の濃い装飾であることから、この地方の有力者で修道院長だったセオドロス・レオバコスをその指導者とする説が有力であるという。
大勢の聖人を描くには、壁面の面積が多い方が良い。そういう理由で選んだのかも。

どこが最初かはわからないが、10世紀後半から11世紀前半の数十年の間に、スキンチと8つのペンデンティブをもつドームが登場したのは確かだ。
ひょっとすると、それが誕生したのは、首都から遠く離れたこの地だったのかも。


関連項目
オシオス・ルカス修道院3 主聖堂(カトリコン)2 身廊
リュステムパシャ・ジャーミイ2 ドームの下は8つのペンデンティブ
ブハラのサーマーン廟

※参考文献
「NHK日曜美術館名画への旅3 天使が描いた 中世Ⅱ」 1993年 講談社
「トルコ・イスラム建築」飯島英夫 2010年 冨士書房インターナショナル
「ビザンティン美術への旅」 赤松章・益田朋幸 1995年 平凡社
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社 
「地中海紀行 ビザンティンで行こう!」 益田朋幸 1996年 東京書籍