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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2009/10/23

トロイにアナトリア最古の粒金細工

 
『知の再発見双書37エトルリア文明』は、トロイアのプリアモス王の宝物にも、この技術は見られるというが、前回は探し出せなかった。やっとプリアモスの宝から粒金細工のあるものを見つけることができた。前回につていはこちら

耳飾り 金 トロヤⅡg層宝物庫A出土 前期青銅器時代(前3千年紀第4四半期=前2250-2000年) イスタンブル考古学博物館蔵
火災により一部熔解して、互いに接合し合ったものという。
その中にある金製品には、熔けかけて平たくなっているが、金の粒が並んでいる。確かに粒金細工はトロイに存在していた。  私が確認できる範囲で、アナトリアで最古の粒金細工はキュルテペのアッシリア商人居留地出土の髪飾(前20-19世紀)だったが、製作地はアッシリアだろう。しかし、トロイの粒金細工はそれより古い。 現在まで見つけることのできた最も古いウル王墓出土の黄金の短刀に次ぐものだ。
もう1点、似たような耳飾りがある。

耳飾り 金 トロヤⅡg層宝物庫D出土 前期青銅器時代(前3千年紀第4四半期) イスタンブル考古博物館蔵
三日月形飾りの周縁は、金の細粒で縁取られている。その縁飾りの内部には、金の細かい粒の縦線によって、さらに6つの長方形の区画に分けられているという。
プリアモス王の宝物は宝物庫A出土のものを指すらしいので、D庫から発見されたこの耳飾りはそれにあたらないが、A庫の耳飾りとそっくりだ。こちらは火災にあっていないからか、金の粒は全体にやや偏平であるものの、先端は平たくなっていない。しかし、粒の並べ方がまっすぐでなかったり、粒金の上に重ねて鑞付けするなど、熟練した技術とは思えない。粒金細工が始まって間もない頃のもののようだ。 『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、前3千年紀後半、すなわち青銅器時代前期も後半になると、アナトリアにも都市と呼べるような拠点的集落が見られるようになる。
鉱物資源の開発が進められ交易のネットワークが整備されていく過程で、多くの物資が集散する拠点的な集落が出現し、富の集中が見られるようになったものと考えられる。このような動きを背景に、都市ではエリート層とも呼ぶべき特権的階層が生み出され、その権力を誇示する目的で技術的にも質の高い金属工芸の発達が要請された。こうして生み出された金属製品は、青銅器時代前期のアナトリアの美術を代表するものとなっている。
青銅器時代前期後半のアナトリアは、おそらく比較的狭い領域を統治する都市国家的小国が分立し、覇を競っていたものと考えられる
という。

同じ頃に交易ネットワーク上に出現した都市国家のトロイとアラジャホユックに、同じ頃に粒金細工がもたらされた。それが契機となって、トロイでは拙いながらも金を粒にして並べて文様を作ることができるようになったが、アラジャ・ホユックでは打出し列点文や、刻線による細工などで金の粒をまねた細工として装飾が開始されたのかも。

※参考文献
「トルコ文明展図録」(1985年 平凡社)
「知の再発見双書37 エトルリア文明」(ジャンポール・テュイリエ著 1994年 創元社)
「鉄を生みだした帝国 ヒッタイト発掘」(大村幸弘 1981年 NHKブックス)
「世界美術大全集東洋編16西アジア」(2000年 小学館)