ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2009/05/19
小アジア・近東の粒金細工
『エトルリア文明展図録』は、黄金製装身具は上流階級の間に広く普及した。おそらく小アジアのような遠い産地から交易を通じてもたらされたこの貴重な金属は、延棒もしくは半製品としての薄板のかたちで取引された。この原材料を加工する打出しや、粒金細工、細線細工も近東からもたらされたに違いない。また、シリア・フェニキア起源の装飾法もティレニア海域にもたらされたという。
小アジアや近東の粒金細工を探してみると、
ブレスレット 金 径8.0㎝ 前4世紀 シリア、アムリット出土 ルーヴル美術館所蔵
『ルーヴル美術館展図録』は、三角形と菱形の真珠の文様に飾られたコルレット(飾襟)から、牛頭が飛び出している。ただし安全用の小鎖と留金のくさびに関しては、近世に付け足されたものに違いないという。
粒金細工は飾襟の三角形や菱形だけでなく、各節の部分に一列に並んでいるが、どれも他の地域で前4世紀より前にあった文様であり、技術である。 耳飾り 金・トルコ石 長6㎝ 前14世紀 ウガリット出土 ダマスカス国立博物館蔵
『シリア国立博物館』は、金を打ちだし、一端を木葉形にした耳飾りは、シュメール初期王朝のころにおこり、前2千年紀には西アジアに普及している。これは金の細粒を蠟づけしたうえ、花のつぼみのようなトルコ石の垂れ飾りをつけた豪華な作品となっている。金の細粒細工もまた、シュメールのころにおこった西アジアの伝統的な技術であるという。
かなり細かい金の粒をたくさん用いて三角形を作っている。エトルリアよりもずっと以前にこれだけの小さな粒金が作られていたのなら、西アジアからエトルリアへその技術が伝わって、エトルリアの地で更に細かな粒金が作られるようになったとも考えられる。
すでにクレタ島マリア出土蜜蜂のペンダントで、前1800-1600年頃のミノア文明に粒金細工があるのを見た。しかし、粒金細工はシュメールの初期王朝のころに発明されていたとは。
粒金細工について『知の再発見双書37エトルリア文明』は、トロイアのプリアモス王の宝物(紀元前2350-2100年)にも、この技術は見られるという。しかし、「プリアモスの財宝」は発掘したシュリーマンが夫人に身に着けさせて撮った写真はテレビでよく見たが、図版になるとなかなか見つけられなかった。
垂飾り付き耳飾り 金 重10.46g鎖の長7.25㎝ 前3千年紀後半 トロイ宝物庫A出土 モスクワ、プーシキン美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16西アジア』は、トロイの宝物庫のなかでも最大規模の「プリアモスの財宝」と通称される宝物庫Aからのもの。しかし、シュリーマンが「プリアモスの財宝」と名づけた金属製品は、その後の調査でトロイ戦争の時期のものではなく、それより1000年近く古い青銅器時代前期のものであることが明らかにされたという。
この耳飾りに粒金細工があるのかどうか、写真ではわからない。他に粒金細工の図版が見当たらないのでこれをあげた。上方の籠形飾りのようなところに7つずつ2列ある丸い物が、粒金を幾つか積み上げたようにも見える。クレタ島出土のもののように粒金を線状に配置するようなことはまだ無理だったのかも。
「プリアモスの財宝」に粒金細工が使われていたとして、それもシュメールで発明された粒金細工が、小アジアの西端、トロイの地にまで伝わっていたのだろうか。
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16西アジア」(2000年 小学館)
「エトルリア文明展図録」(青柳正規監修 1990年 朝日新聞社)
「世界の博物館18 シリア国立博物館」 (増田精一・杉村棟編 1979年 講談社)
「ルーヴル美術館展 古代ギリシア芸術・神々の遺産展図録」(2006年 日本放送網株式会社)