丁瓢塚古墳と養久山1号墳が箸墓古墳の相似形なら、箸墓古墳は是非見てみたい。
箸墓古墳は三輪山の近くにある。


「孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命
大市墓
1、みだりに域内に立ち入らぬこと
1、魚鳥等を取らぬこと
1、竹木等を切らぬこと
宮内庁」と、なんの説明もない内容だった。「箸墓」の「は」の字もないやん。地図ではここが箸墓古墳のはずやのになあ。
『邪馬台国の候補地 纒向遺跡』には箸中山古墳(箸墓)となっている。箸墓は俗称だったのか。

こちら側には池があり、確かにクビレ部が曲線になっている。やっぱり箸墓古墳やん。いくら干上がっているとはいえ、ここは歩いて良いものか。
同書で石野氏は、箸中山古墳は、3世紀末の全長280mの大王墓である。その築造年代は、一部に3世紀中葉説があるが、容認できない。宮内庁が所蔵する円丘部墳頂の壺型土器や特殊器台、あるいは前方部の特殊器台とによって、3世紀の後半、より厳密には第4四半期、暦年代は280~290年と考えている。したがって、邪馬台国がヤマトにあって女王ヒミコの墓がヤマトに築かれたとしても、それは箸中山古墳ではない。可能性としては、次に女王となったトヨがふさわしいという。卑弥呼の墓でもなかった。





養久山1号墳は山上にあるので周濠はなかっただろうが、瓢塚古墳には周濠が巡っていたのだろうか。
※参考文献
「邪馬台国の候補地 纒向遺跡」(石野博信 2008年 新泉社 シリーズ「遺跡を学ぶ」051)
宮内庁作成の立て札