もう一度瓢塚古墳に行ってみた。草が刈ってあったので、ところどころに石が出ている。墳丘は後円部3段、前方部2段の可能性があり、葺石と埴輪が配されていたというが、ごろごろと出た石が葺石とは思えない。


平地に4世紀の前方後円墳、南側の尾根には3世紀前半の山戸4号墳墓があるものの、その他の古墳群は瓢塚古墳よりも時代が下がる。
この付近の海岸部の平地は海退して陸地になったのが平安時代という。瓢塚古墳付近はそれよりも以前から陸だったのだ。ということは、京見山から丁山と山戸の尾根に分かれるこの山系は当時から島ではなかったのだ。

瓢塚古墳の北側の道を東進していくと、緩い勾配で上り坂になっていた。奥まったところの左側に丁古墳公園はあった。
説明板は、このあたりの山の尾根から谷全体に「ひさご塚」をはじめとして90余りの古墳があった。
昭和36年から43年までに、そのうちの17基が発掘調査され、土器や鉄刀、やじり、馬具、耳飾、などが数々発掘された。
これらの古墳は、5世紀中頃から7世紀中頃までにつくられたものであることがわかった。
この公園内には、5基の古墳がもとのまま残され、当時の様子をよく伝えているという。たぶん地図のひさご塚と山頂支群の間の古墳群から5つが残されたのだろう。

1 南側 墳丘は低く小さな古墳 時代不明






※参考文献
姫路市教育委員会作成の説明板