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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/12/16

京見山から古墳巡回コースに行くと丁山(よろやま)古墳群だった

 
前回は京見山頂上から山戸口までメインルートを縦走した。今回はその時に回らなかった古墳巡回コースを歩いた。道案内のFEDCDBなどの古墳群を巡るコースだ。
京見山頂上から300mのところに、古墳巡回コースへの分岐がある。しばらく進むと札が現れる「これより5m奧です」

F 丁山古墳群6号墳横穴式
崩壊していて素人の私にはどちらが羨道でどちらが玄室の後方かわからない。鉄塔28の下を抜けると、尾根筋を行く。

D 丁山3号墳
後円部北横穴石室 という。瓢塚古墳のように前方後円墳が平地にあるのに、山頂にも前方後円墳があった。玄室入口の楣石が見えているのだろうか。どこが前方部やと言いながら歩いていると、道の左に見えてきた。丁山の山頂らしい。

E 丁山山頂古墳
説明板に、この古墳は7世紀頃のもので、穹窿形と呼ばれ室内が左右に広がった両袖式になっている。内部の石が内に向かって斜め積みになっており当時の朝鮮文化の高度な技術が随所に見ることができるという。前方後円墳は後円部に玄室が造られるので、前方部の3号墳よりも後円部のこちらの古墳の方が時代は下がることになる。 穹窿形って半円形の天井?それは是非とも入り込まねば。八幡山5号墳以来石室に入り込むのは私の役目となってしまった。
羨道から石室への境目には楣石(まぐさいし)があって、そこから背の高い石室に入る。不揃いな石を組んで、持ち送りで壁面が上にいくに従って中央へと傾いているが、天井は穹窿形ではなく、大きな石を並べてあった。 その先にあるのが西見晴台。岩の崖になっていて、岩には切り出した跡があった。古墳の石材はここで調達できたんや。
下には瓢塚古墳が茶色く見えているが、写真ではわかりにくいなあ。
揖保川の向こうに権現山古墳群があるという。一時期有名な古墳だったらしい。このあたりには山に古墳が築かれ、古墳は単独ではなく、群としてあるんや。集団の族長の墓が長年にわたって築かれてきやなあ。また細い木々の中の道を歩いていると、「古墳」とだけ書かれた札があった。どこかわからないが、盛り上がったところはみんな古墳やで、などと言いながら通り過ぎたが、後で地図をじっくり見ると、ここがC古墳のところだった。
10分ほど歩くと、また札が出てきた。

B1 丁山4号墳後円部
木々が邪魔になって、前方部はどこにあるのかわからない。 玄室の楣石が大きく露出している。入ってみよう。山頂古墳よりもこちらの方が下部から不揃いな石を持ち送って、両壁が狭まっているのがよくわかる。山頂古墳よりも技術が向上したのかも。
こちらは片袖式で、羨道から入ると左側だけが広くなっていた。すぐ近くにも1基横穴式古墳があった。この2つが地図のB古墳2基のようだ。

B2 名称不明 
ほぼ埋まっていて羨道からは入れない。上部後方の開いたところから内部を写した。ここも4号墳と同じ片袖式で羨道から左側に開いていることや、両壁が持ち送りによって、全体に中央に傾いているのがわかった。さらに3分ほど歩くと山道のすぐ横に楣石が出た古墳があった。内部の石棺が見えている。

丁山5号墳
説明板は、この古墳は6世紀から7世紀のもので室内がストレート式になっている。内部が片広になっているものを片袖式と呼ばれ両広になっているものを両袖式という。京見山にはストレート式、片袖式、両袖式と色々ある。
中の石棺は石の宝殿の石材と同じ物でこれは宝殿から運ばれ物であると言われている
という。
こちらの玄室天井は低く、全体に左方向に傾いていた。 古墳の年代がよくわからず、残念。

それにしても、なんで瓢塚古墳だけ平地にあるんやろ?

※参考文献
山戸・丁山古墳愛好会作成の立て札・説明板