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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/11/03

八幡山5号墳の三角持送式天井は高句麗風?


説明パネルには八幡山公園全体図があった。兎の塚古墳は気がつかなかったなあ。
その説明文は本古墳群は北東の古墳より3、4、5、6号墳とよんでいるという。私の目当ては5号墳だが、境内のあちこちに丸い石があるのに気を取られて、この説明パネルになかなか気づかなかった。 4号墳はこの古墳群のなかでもっとも大きく墳丘の直径22m、高さ3mを測る。埋葬施設は未発掘のため不明であるが、おそらく他の3基と同時期のものと推定される。3、5、6号墳の石室は、いずれも九州や山陰の一部に見られる竪穴系横口式石室の類型であるという。竪穴系横口式石室というのは、竪穴を掘って石室と羨道をつくって封土を盛り、横口の羨道から棺あるいは遺体をおさめたということだろうか?この辺りがくぼんでいるので開口部があるのかも。5号墳の石室には次のような2つの特色がある。1つは奧壁部に「三角持送(もちおくり)式天井」の構築法を用いていること。もう1つは両側壁の低い位置に左右対称に突出した4個の石棚状のものをつけていることである。この「三角持送式天井」は高句麗(朝鮮)の古墳にみられる構築法で、日本では能登半島の蝦夷穴古墳が知られているという。おっちゃんが写真を撮っているところに開口部があるらしい。 横口というか羨道は上部が崩れているようだ。石室が露出したと思われる開口部は小さく、おっちゃんは入ることができなかったので、私がおそるおそる入っていった。何故なら、八幡山5号墳は三角持送式天井になっていると知って、前々から見学したいと思っていたからだ。日本にもラテルネンデッケがあるのかな?  楣石をくぐると内部は少し天井が高いくらいで、幅も狭かった。三角持送式天井はここからではわからない。 奧まで進んでカメラを構えてやっと三角持送式天井と言われているものがわかった(▲印)。 一番奥の天井石は、三角形に迫り出した石の上にのっているので三角形に見える。それに続く天井は四角形に近い石が幾つか被せてあるので、両隅の三角形の出っ張りに四角形の石をのせたのだろう。
三角隅持送り天井ばかり探していて、低い位置にあるという左右対称の4個の突き出た石棚状のものは気づかなかった。  説明パネルには5号墳の展開図があった。奧の両隅に三角形に持送った石が表されている。
しかし、高句麗式の三角隅持送り天井というのは正方形の平面に、四方から三角に持ち送っていくのではなかったか?  6号墳は羨道らしき部分の壁面の石材が露出している。
八幡神社の鳥居近くに3号墳があったが、形が崩れたままだった。
本古墳群は日本文化と渡来文化の接触を示す貴重な遺跡であるという。ちょっと疑問やなあ。

※参考文献
「兎塚学びの里八幡公園の説明パネル」(1994年 兵庫県教育委員会)