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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/10/03

花綱を担ぐ童子はローマ?


花綱を担ぐ童子はガンダーラの浮彫などで見かけた。

花綱を担ぐ童子 フリーズ状浮彫の部分 灰色片岩 高さ16.5㎝ 2-3世紀 平山郁夫コレクション 
『ガンダーラとシルクロードの美術』は、童子が担ぐ花綱の意匠はローマのもので、葬送儀礼に関係し、石棺に表された。これは死に対する勝利=極楽への生まれ変わりを意味した。仏塔には、本物の花綱も供養されていたという。中央の有翼の婦人の左と右で花綱の文様が異なっている。 花綱を担ぐ童子 カニシカ舎利容器(容器部分のみ) 銅 高さ20㎝ 2世紀 パキスタン、ペシャワル郊外出土 ペシャワル博物館蔵 
『ブッダ展図録』は、胴部を一巡する形で、花綱を担ぐ童子のモチーフが鋳出され、正面にカニシカ王らしい遊牧民の服装をした王者が右手に2茎の蓮華を持って立ち、その左右にはイラン系の日神・月神が花綱の谷間から上半身を現して讃嘆する。さらに3体の坐仏と一対の梵天・帝釈天、および讃嘆する神が、いずれも花綱の谷間に鋳出される。花綱を担ぐ7人の童子たちは、みな変化と動きにあふれるという。わかりにくいが下図には童子が3人登場して花綱を担いでいる。 『ガンダーラとシルクロードの美術』が意匠はローマものものとしているので、ローマ美術をみてみた。

花綱を担ぐ童子 ハテリウス家の墓碑浮彫り(部分) 大理石 後100-110年頃 イタリア・ラビカナ街道出土 ヴァティカーノ美術館蔵
『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』は、起重機と墓廟建設の場面としている。二階建ての立派な墓廟にはあちこちに花綱文様があしらわれている。下図には2階の柱頭彫刻の間にあるものは童子が担いでいない。肖像浮彫と立像の間の中央の部分には、1人の童子が花綱を担ぎ、もう1人は花綱を作っているように見える。1階の扉口上のフリーズには花綱を担ぐ童子になっている。 葉綱 劇の稽古風景 第4様式(62-79、※A) ポンペイ、悲劇詩人の家、執務室の床モザイク
62年の地震後再建された。わかりにくいので葉綱としたが、中央の黄色い部分は花を表しているのかも知れない。葉綱はイオニア式柱頭と丸い盾に掛けられているのは、実際にそのようにされていたのだろう。 葉綱 庭園図壁画 第三様式(後40-50年頃、※A) ポンペイ、果樹園の家寝室8 
緑一色なので葉綱としておく。何に吊ってあるのかわからないが、小鳥は登場しても童子はいない。葉綱 単彩の部屋壁面装飾 第二様式(前30-20年頃、※A) ローマ、リウィアの家
『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』は、祝祭を意味する葉綱がかかっている。樫、プラタナス、蔦などの小枝を絡めて作ったこの葉綱には石榴や無花果のような果実もついているという。部分なのではっきりしたことは言えないが、ここにも童子が登場する気配がない。
花綱 浮彫 大理石 ローマ出土 後1世紀の模刻(原作前1世紀前半) 大英博蔵
『世界美術大全集4ギリシアクラシックとヘレニズム』は、たとえローマ帝政期に帰せられるといっても、ヘレニズム時代の原作をきわめて忠実に再現していることから、前2世紀後半以降のヘレニズム美術を考えるうえで見落とすことができない  ・・略・・  大きな建物は細部も細かに表現されている。間近に迫った祭りのため、塀の上に立つ男が建物を花綱で飾りたてているという。ここでも金具か何かに花綱をひっかけているようだ。 私は「花綱を担ぐ童子」はポンペイの壁画にいくらでもあると思っていたが、見つけることができなかった。今回ローマ美術で見つけた最も古い「花綱を担ぐ童子」はハテリウス家の墓碑浮彫りの後2世紀初頃のものだった。
それ以前には『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』がいうように、祝祭を意味する葉綱として表されているように思う。葉綱も花綱もめでたい、あるいは晴れの場面を飾るものだったのだ。
そうなると、『ガンダーラとシルクロードの美術』が、葬送儀礼に関係するようになったのは、ポンペイが噴火で埋没した後79年以降100-110年ころまでというかなり限られた頃のことで、しかも、それがまたたく間にクシャーン朝へと伝播したことになる。

ところで、童子はポンペイの壁画にたくさん登場している。

働くケルビム フレスコ画 第4様式(62-79) ポンペイ、ウェッティの家トリクリニウム(食堂) 62年の地震後再建。『完全復元 ポンペイ』は、ブドウ酒売りが客に味見をさせているかたわら、他の2人のケルビム(幼い天使)がアンフォラからブドウ酒を注ぎ足しているているところという。
『ポンペイの遺産』は、壁画の職人たちは、その多くがキューピッドの姿をしている。そうした壁画のある邸宅の持ち主は「ウェッティの家」のように金融業と農園の持ち主といった富裕層であるという。 このようにぜいたくな暮らしをするのは人間、働くのは幼い天使という関係から、花綱を担ぐ役目も童子が担わされるようになったのかも。

※A 『完全復元 ポンペイ』は、1882年、アウグスト・マウは『ポンペイにおける装飾壁画の歴史』のなかで、ポンペイの壁画を分類するという史上初の試みをなしとげた。 
第1様式はポンペイに残る装飾の年代(前200-80)からみて最も古い様式である。
第2様式は「(遠近法的)建築様式」とよばれ、スッラの統治時代(前80-25)に流行した
第3様式は「装飾的様式」(前25-後35)として知られ、ある程度第2様式を引きついでいる
第4様式は「幻想的様式」とも呼ばれる。25年から50年にはすでにポンペイで用いられていたが、広く普及したのは、62年の震災後、住宅の改修と装飾がいっせいに進められた時期だった。第4様式は、第2様式の遠近法と第3様式の過剰なまでの装飾性を、さらに強調した様式である
という。


※参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」(1997年 小学館)
「世界美術大全集4 ギリシアクラシックとヘレニズム」(1995年 小学館)
「ブッダ展」(1998年 NHK)
「平山郁夫コレクション ガンダーラとシルクロードの美術」(2002年 朝日新聞社)
「アートセレクション ポンペイの遺産 2000年前のローマ人の暮らし」(青柳正規監修 1999年 小学館)
「完全復元 2000年前の古代都市ポンペイ」(サルバトーレ・ナッポ著・横関裕子訳 1999年 Newtonムック)