ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2008/03/05
談山神社の十三重塔は
飛鳥から談山神社に向かった。石舞台古墳を過ぎるころに「多武峰方面行き止まり」というような標識を見かけたが、気にせずに車を走らせると、古墳かと思うような積み石を見つけた。はるか向こうの山は二上山を含む葛城山系。下の方の丘は甘樫丘。
のどかやなあ~などと言っているうちに、本当に行き止まりになってしまった。「ここから先は徒歩で」などと書いてある。工事中の道路があったので、数年後には飛鳥方面からも行けるようになるだろうが、今回は引き返すしかなかった。 結局多武峰へは桜井の方からでないと行けないことがわかった。飛鳥・橿原あたりの山はせいぜい標高が100m台だが、多武峰のある御破裂山は607mもある。
桜井にまわって南下していくと高い山が見えてきた。どれが御破裂山?かなり離れたところにある駐車場に車を置いて歩く。 4分ほどで談山神社の拝観受付があった。山が迫っている様子もない。多武峰はどれ?階段を上っていく。燈籠があった。基礎が4枚の蓮弁なので、江戸時代のものやね。拝殿は永正17年(1520)造営。吊り燈籠が並んでいる。 ちょっとこの縁側を歩いてみたいなあ。吊り燈籠は日本独特のもの? しかし、夫がトレッキングシューズを脱ぐのが面倒くさいと言うので、拝殿の中庭を眺めるだけにした。 振り返ると十三重塔が見えた。『美術ガイド奈良』によると、勾配のゆるい屋根を薄く重ねた石造塔婆の形式をまねたもので、木造十三重塔は現存唯一のものだそうだ。白鳳7年(678)創建、享禄5年(1532)修築としおりに書いてある。室生寺の五重塔とどちらが高いのだろう? 各層の四隅に風鐸が取り付けられていたが、風がなかったのか鳴っていなかった。せっかくなので音を聞いてみたかったなあ。 十三重塔の背後にある権殿は天禄元年(970)創建で、修復中だった。
談山神社のしおりによると、天智天皇8年(669)、鎌足公の病が重いと知った天皇は自ら病床を見舞い、後日、藤原の姓を賜えました。藤原氏は、ここから始まります。白鳳7年(678)唐より帰国した長男・定慧和尚が鎌足公の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して、鎌足公の御神像を安置しました。これが談山神社の始まりですという。多武峰山は御破裂山と同じ山?
※参考文献
談山神社のしおり
「美術ガイド奈良」(1979年 美術出版社)