新沢千塚古墳群を見学するのにどこから入ったら良いのかわからなかったので、とりあえず橿原市千塚資料館の向かい側の駐車場に車を置いた。資料館は閉まっていた。千塚古墳群は歩道橋を渡って行くよう案内があった。



分布図と照らし合わせて、とりあえず、向こうの大きな円墳が178号墳で、手前の左側が173号墳だろうと思った。

供伴の須恵器が6世紀後半に下るため、f字形鏡板と剣菱形杏葉ともに時期の最も下る例になるという。


獣帯は口縁内側にもあるが彫りが浅く不鮮明である。内側にある獣帯は、7つの柿蔕文の間に龍のような動物が表されているが、それぞれに異なっていて、中には羽人か人間が登場しているものもある。鈕(ちゅう、中央のつまみ)の周りには柿蔕文がなく、周囲に小さいものが7つもあるのは珍しいのではないだろうか。





※参考文献
「海を越えたはるかな交流-橿原の古墳と渡来人-展図録」(2006年 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館・橿原市教育委員会)