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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2008/01/23

新沢千塚古墳群を巡る1


新沢千塚古墳群を見学するのにどこから入ったら良いのかわからなかったので、とりあえず橿原市千塚資料館の向かい側の駐車場に車を置いた。資料館は閉まっていた。千塚古墳群は歩道橋を渡って行くよう案内があった。
渡ったところにパネルがあるのだが、いくら無料公開といっても、あまりにも何もなさすぎる。そして誰もいない。
近づくとすぐにポコポコと小さな円墳が見えてくる。『海を越えたはるかな交流展図録』の古墳の分布図よりも実際はたくさんあるようで、どこから見ていくのか迷ってしまう。とりあえず階段を上っていった。 左側に173号墳と178号墳があるはずと道をはずれる。落ち葉が積もっていてどれが本来の通路なのかわからない。
分布図と照らし合わせて、とりあえず、向こうの大きな円墳が178号墳で、手前の左側が173号墳だろうと思った。178号墳は同図録によると、26x24mの円墳、木棺直葬の埋葬施設。棺内遺物はなく、棺外の墓壙西にf字形鏡板付轡と剣菱形杏葉の馬具、そして棺上から転落したような状態で須恵器高杯などがそろって出土した。
供伴の須恵器が6世紀後半に下るため、f字形鏡板と剣菱形杏葉ともに時期の最も下る例になる
という。
分布図で番号のある円墳2つを見たと思って道に戻り、歩いているとパネルがあった。そこには分布図よりも詳しく古墳の番号が記されていた。 それで173号墳は通路に面している円墳で、先ほどのは違っていたことがわかった。173号墳は、同図録によると、半肉彫獣帯鏡を副葬する、5世紀中葉~後半の目立った例で、前方後円墳クラスの主要古墳の副葬品に匹敵する内容であり、この古墳群を性格づける特徴となっているということで、126号墳とほぼ同時期か少し後に築かれた円墳らしい。
獣帯は口縁内側にもあるが彫りが浅く不鮮明である。内側にある獣帯は、7つの柿蔕文の間に龍のような動物が表されているが、それぞれに異なっていて、中には羽人か人間が登場しているものもある。鈕(ちゅう、中央のつまみ)の周りには柿蔕文がなく、周囲に小さいものが7つもあるのは珍しいのではないだろうか。 登り切ってしまえば、ほぼ平たい道となる。振り返るとゴミ焼却場の煙突が見える。この煙突が見えると甚だしくしらけるのだが、自分のいる位置がわかるという利点もある。竹林が古墳に迫っている。最初は1つ1つ墳丘を見ていたが、段々と歩いていくことが主となっていった。 冬なので、木の葉がなくて見通しがよいのだが、針葉樹が現れて、その奥には紅葉の残った木が見えてきた。 途中に道標があり、109号墳と126号墳が示されているのだが、どちらもわかりにくかった。どの墳丘が126号墳なのか、さっぱりわからずに歩いていった。115号墳は同図録によると、126号墳の西に接した径18mほどの円墳で、墳頂部に円筒埴輪輪列が巡り、その中央に箱形木棺を直葬した埋葬施設がある。棺内には、衝角付冑と三角板鋲留短甲の一式をはじめ、五鈴鏡・二神三獣鏡、刀剣、多数のガラス小玉があり、棺外の両側に多くの鉄鏃が置かれていたという。
※参考文献
「海を越えたはるかな交流-橿原の古墳と渡来人-展図録」(2006年 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館・橿原市教育委員会)