ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2006/11/10
日本でいう暈繝とは
日本では物を立体的に表現する隈取りの技術が将来されても、いつの間にか忘れさられていたことを日本でいう隈取りとはで示した。では暈繝はどうなのか。
絵因果経 奈良時代(710-784年) 部分
中央の人物の衣が暈繝に表されている。奥中央は仏陀らしいが、無地の衣服の人が多い中、主要人物に暈繝の着物を着せているように思える。この時期、同色の濃淡で表す暈繝縞の新しい着物ができたのだろうか。
暈繝を正倉院宝物で見ていくと、まず暈繝が名称にあるのが「正倉院裂七曜四菱文暈繝錦」で、同系統の濃淡の帯が様々な色で表されている。
そして、「暈繝夾纈羅」は織りではなく染めで暈繝文様を表したもの。
名前にはないが、紺地大花文花氈にも暈繝による花文で埋め尽くされている。
『正倉院裂と飛鳥天平の染織』は、作り方は、羊毛を巻き締めておよその形を整え、それに色染め羊毛を所定の文様通りに埋め込み、さらに本格的に圧縮して仕上げたものと解されている。・・略・・正倉院の花氈は、すべて中国ないし朝鮮半島よりの渡来品と考えるべきであろうという。
要するにフェルトである。
この蝶花文刺繍幡頭も上図と同様大柄な唐花、そして下向きの蝶を刺繍で暈繝に表している。
このような暈繝による彩色は、正倉院だけでなく、以後日本で染織や寺院の装飾にも使われ続けるのである。私は長い間暈繝は寺院の装飾から始まったのだと思っていたのだった。
関連項目
敦煌莫高窟5 暈繝の変遷2
敦煌莫高窟4 暈繝の変遷1
奈良時代の匠たち展1 繧繝彩色とその復元
第五十八回正倉院展の暈繝と夾纈
暈繝はどっちが先?中国?パルミラ?
隈取りの起源は?
トユク石窟とキジル石窟の暈繝?
※参考文献
「日本の美術204号 飛鳥・奈良絵画」1983年 至文堂
「太陽染と織シリーズ 正倉院裂と名物裂」1977年 平凡社
「正倉院裂と飛鳥天平の染織」松本包夫 1984年 紫紅社