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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/02/16

イラン国立博物館 彩釉レンガの変遷


彩釉レンガ 
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、ブーカーンはイランの北西部、西アーザルバーイジャーン州に位置する遺跡で、山岳地帯に侵入してきたイラン人の一部族であるマンナイ人が建てたマンナイ王国の都と推定されており、発掘調査によって神殿址の存在が知られるようになった。黒色の線で縁取りした後、青や黄色、白の釉薬で埋めて文様を描き出している。図柄そのもの及び筋肉表現などにアッシリア美術の影響が強く認められる。
施釉煉瓦の胎土は、後にスーサで製作された施釉煉瓦の石英質の胎土とは異なり、ごく普通の煉瓦の胎土が選ばれている。そのため釉薬が胎土とあまりなじまず、釉薬のほとんどが剥落してしまっているという。
ブーカーンといえばマンナイ(マンナエ)国の町。日本にもこの地から出土した彩釉レンガが幾つか所蔵されていて、アッシリア的だという(『世界美術大全集東洋編16』より)。
それについてはこちら
テヘランのイラン国立博物館でも2点展示されていたが、ほぼ平らに置かれていたので、写しにくかった。

植物文様の彩釉レンガ 前1千年紀 西アゼルバイジャン州ブーカーン出土
黒い輪郭線が目立つが、釉薬よりも盛り上がってはいない。
四面に向かってロータス文、四隅に向かってその蕾が描かれているようだ。今では白っぽい花と蕾の間には、トルコブルーの釉がかけられている。
花の付け根まで黒色で細かく描かれているが、焼成中に温度を上げすぎたのか、釉薬が泡を吹いたようになってしまい、剥離に拍車をかけてしまった。

彩釉レンガ 前1千年紀 ブーカーン出土
よく似た図柄の左右反転したレンガ(前8世紀)がブーカーンから出土して、シルクロード研究所に所蔵されている。
この作品は釉薬が薄くかけられているためか、気泡は少ない。
輪郭線に肥瘦があり、東洋の書道のような獣毛の筆で描いたように見える。顔面などは特に入念に表されている。
黒い線は細部の描写だけでなく、色の異なる釉薬が混ざらないためのものでもある。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、色釉が混じらないように黒の輪郭線を施す技法は、この時代のアッシリアからイランにかけて広く見られるものであり、アケメネス朝ペルシアの彩釉レンガの技法の原点となるものであるという。
釉薬の現在の色は、白・黄・緑(トルコブルー)の3色。

アケメネス朝時代の彩釉レンガ スーサ出土
『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、灰白色の石英質の胎土に釉を施したもので、図柄の輪郭線を描いて焼成した後、その間にさまざまな色彩の釉を施して焼き上げたものであるという。
マンナイ人の彩釉レンガよりも釉薬の色が豊富だ。
植物文様と三角が目立つ。
上部にはロゼッタ文
マンナイ人の彩釉レンガよりも、輪郭線の盛り上がりが顕著。
主文様は、ペルセポリスのアパダーナトリピュロンなどの階段に浮彫されていたナツメヤシのモティーフ(『GUIDE』より)で、当初のものから変色してしまっているかも知れないが、ペルセポリスの石彫もこのように彩色されていたのだろう。
下段の多彩色の同心円文
アケメネス朝時代の彩釉レンガの輪郭線は、黒ではなく青っぽい。そして盛り上がっている。
スーサでは、スフィンクスや衛兵を表した彩釉レンガも出土しているが、それはスーサの遺跡に併設された博物館に展示されている。


イラン国立博物館 チョガー・ミシュという遺跡
                →イラン国立博物館 サーサーン朝のストゥッコ装飾

関連項目
クエルダ・セカは紀元前にも?
彩釉煉瓦の黒い輪郭線
マンナイ人の彩釉レンガ
イラン国立博物館 クロライト製品
イラン国立博物館 印章

参考文献
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市オリエント美術館
「THE AUTHORITATIVE GUIDE TO Persepolis」 ALIREZA 
「世界美術大全集東洋編 16西アジア」 2000年 小学館