ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/10/31
サーサーン朝 帝王の猪狩り図と鹿狩り図
ターキ・ブスタン大洞はイーワーン式洞窟のファサード、奥壁の上下に高浮彫の図像がある。
詳細についてはこちらそして、左右側壁下半分には国王の猪狩りと鹿狩りの浮彫がある。
左壁 猪狩り図
『世界美術大全集東洋編16』は、長方形の枠の中に幔幕を巡らし、そこで大がかりな狩りを行う帝王を描写している。この狩りが湿地で行われていることは多数の葦の存在によって明白であるが、ターキ・ブスタンには今も清水が湧き出る泉があるから、その水が潤す遺跡周辺は当時、湿地帯となっていたのであろう。また、周辺には狩り場の囲みを想起せしめる土塁の跡がある。それゆえ、この狩りはこの地域で行われた蓋然性が高いという。
斜めから部分的にしか写せていないが、象に乗って猪を追う者たち、舟に乗る者もいて、追い詰められた猪の群れが逃げ惑う場面が、壁面を覆い尽くしている。
全体図
弓矢を構える国王は、現状では雨水の浸入で白く変色した部分に辺り、見ていても判別できなかった。だから洞窟内で撮影された『世界美術大全集東洋編16』の図版は非常に助かる。
同書は、狩りの概要はまず、画面左端のインド象に乗った勢子たちが猪の群れを追い立てることから始まる。多くの猪が重層法(上下遠近法)で描写されている。その猪を帝王たちが待ち構えて射るのである。殺された猪は従者たちが集め、それらをインド象に乗せて幔幕の外に運び出す。そして、その後に宴会が催されたのであろうという。
同書は、画面の中央には小舟に乗った帝王が合弓を引き絞って猪を射殺しようとしているが、すでに殺された獲物が2頭大きく描写されているという。
王の前で斜め下に向かっている大きく表された2頭の猪は、すでに殺されたものだった。
この帝王の向かって右方には同じく小舟に乗り、合弓と矢を持つ王侯が描写されている。その外観は帝王とほぼほぼ同一であるが、円形頭光で荘厳されている点が異なる。これは帝王のフラワシ(霊魂のようなもの)ど、春分の日近くになると天上から降下するといわれる
ので、春の豊饒祈願祭(ファルヴァルディーガーン祭)に帝王と一緒に、農民の敵たる猪を殺害する儀式に参加していることを表していよう。この狩りは帝王の栄光を称えるためのものであるから、狩りは帝王とそのフラワシだけで行われ、他の人々はそれを許されてはいない。楽士が小舟から奏楽し、他の臣下か帝王たちの「偉業」を賛美しているという。
2隻の小舟に乗っているのは竪琴を引いている楽士たち。
帝王猪狩り図 7世紀 ストゥッコ 84X142㎝ チャハル・タルカーン・エシュカバード出土 フィラデルフィア美術館蔵
『世界美術大全集東洋編16』は、テヘランの南ライからほぼ30㎞の地点には先史以来イスラーム時代に至る遺跡が点在しているが、そのなかにササン朝末期の城塞遺跡があり、アメリカの調査団によってその一部が発掘され、宮殿などの壁画を飾っていたストゥッコ装飾が断片ではあるが大量に発見された。ストゥッコはササン朝時代において、テシフォンやキシュの宮殿建築の装飾や塑像の素材として早くから使用されていた。この作品はその一部で、帝王の猪狩りを描写したものである。画面の周囲にはさまざまな植物文や動物文が配されているが、これらはササン朝の美術ですでに用いられていたものである。繰り返しの多い文様はすべて型押しで制作されているという。
同書は、中央の狩猟文はターキ・ブスタン大洞左壁の狩猟図を簡略化したものと考えればよかろう。帝王の名は特定できないが、おそらくホスロー2世などの王冠形式をモデルとしているのであろう。画面上段の連珠文の中の猪頭は軍神ウルスラグナの化身で吉祥、戦勝や大地の豊饒をもたらすと考えられていた。下段の有翼人物胸像はしばしば、ササン朝のスタンプ印章の図柄にも用いられているが、おそらく、同種の牡牛羊文と同じく、若者に変身したウルスラグナ神の化身であろうという。
ターキ・ブスタン大洞右壁
『世界美術大全集東洋編16』は、帝王鹿狩り図は、帝王が秋(秋分の日)に行う公式の行事(ミスラカーナ祭=豊饒感謝祭)を表すという。
なるほど、大きな角の鹿が列をなして疾駆している。
とはいえ、実写では外から斜めに見るしかないので、わかりにくい。やはり『世界美術大全集東洋編16』の図版が頼り。
国王の右の人物群像をはじめ、浮彫がおわっていないものが目につく。完成を見ない内に王朝が滅んでしまったのかも。
最下段の角のない鹿だけが首にリボンを巻いている。そしてこの鹿は枠外にもう一度登場していて、その下の人物は横向きになって立っているが、これは何を表しているのだろう。
サーサーン朝末期ともなると、王を含め人物像はずんぐりとしてしまうみたい。
→ターキ・ブスタン大洞に見られるシームルグ文
関連項目
ターキブスタン サーサーン朝の王たちの浮彫
銀製皿に動物を狩る王の図
アケメネス朝の美術は古代西アジア美術の集大成
※参考文献
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館