ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2017/07/18
ペルセポリス アパダーナの階段中央パネル
アパダーナ平面図(『THE AUTHORITATIVE GUIDE TO Persepolis』より、以下『GUIDE』)
『ペルシア建築』は、ペルセポリス全体の中で最も重要な地位を占める建物といえば、それはクセルクセス王のアパダーナであって、外側を測ると方76.2m、中央の広間が方59.4m、3面に付くポルティコがそれぞれ奥行19.8mという値を持つという。
北面と東面に二重に階段が付いている。
アパダーナの想像復元図(『Persepolis Recreated』より)で見ると、階段のうち中央にあるものから使節団が入っていく。見学でも中央の階段を登り下りした。
北面の階段
その中央の階段パネルには帽子や服装は「ペルシア風」と「メディア風」を交互に着ているが、兵士達が4名ずつ向かい合っている(右は1人が写っていない)。
『GUIDE』は、元はその上に別の場面があった。しばしば誤ってアフラマズダのシンボルとされる有翼日輪、その両側にライオンの体に翼のあるスフィンクス。スフィンクスは有翼日輪に挙手している。その背後にナツメヤシの列があるという。
万国の門出口の人面有翼牡牛像の顔もこんな風だったに違いない。
しかし同書は、オリジナルの謁見の場面は、現在イラン国立博物館にあるという。この浮彫は他の場所にあったものと取替られたものだったのだ。
同書は、謁見の場面で飾られていた。蓮の花と王を示す笏を持ち、王は玉座に座る。その皇太子は玉座の後ろに立ち、その背後にはタオル持ちと武具持ち、そして2人の近衛兵がいる。王の前には、高官が服従の仕草で片手を口の前に挙げ、軽く身を屈め報告している。その背後にも2人の近衛兵が立っている。クセルクセス王の後、この謁見の場面は宝物庫に移されたという。
旅の最後にテヘランのイラン国立博物館を見学して、オリジナルは見ることができた(左の近衛兵は画面の外ではあるが・・・)。
ロープに隠れているが、玉座には獣足が付いている。獣足についてはこちら
『GUIDE』は、この場面は1938年、E.F.シュミットによって、宝物庫から発掘されたという。
ダリウスとクセルクセスの後というとアルタクセルクセス1世(在位前464-424年)だろうと思うが、お陰で貴重な浮彫が火に遭うこともなく保存されてきたのだ。
一方、東階段の中央パネルも宝物庫から出土している。同じく謁見の場面だが、北階段のものとは左右反転しているし、クセルクセス1世の像は壊れている。
そういえば、遠くから眺めた東階段の中央パネルは、 「ペルシア風」と「メディア風」を着た兵士達が交互に並んで4名ずつ向かい合うという、北階段と同じものだった。
オリジナルと現在のパネル(『GUIDE』より)の比較。
間の抜けたことに、ここには立ち寄っていない。
で、取り替えられたパネルには、 有翼日輪や人面有翼スフィンクスなども残っている。
どんな理由で謁見の場面を、碑文と兵士の行進の場面に替えたのだろう。
※参考文献
「THE AUTHORITATIVE GUIDE TO Persepolis」 ALIREZA SHAPUR SHAHBAZI 2004年 SAFIRAN-MIRDASHTI PUBLICATION
SD選書169「ペルシア建築」 A.U.ポープ 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「Persepolis Recreated」 Farzin Rezaeian 2004年 Sunrise Visual Innovations