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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/02/26

メルヴ、キズ・カラの天井架構


トルクメニスタンのメルヴ遺跡には、2つのササン朝時代の居城が残っている。
『旅行人ノート⑥』は、ササン朝時代にこの辺りを治めた豪族の居城。まるで泥の丸太が立っているようにも見える。筋が入っている外壁は日干しレンガの半円柱の跡。この城はかつて2階建てで、屋根に覆われていた。600年以上も後のセルジュークトルコ時代にも使われた。現在は1階部分が埋もれ、土壁には鳥の巣の穴が点々と空いている。大と小の2ヵ所に分かれているという。
平レンガで建造された二階建ての1階には入ることはできないが、2階部分は天井は落ちているが、その残存部分から、天井がどのような形だったのかを想像することはできる。平レンガで作られているので、ヴォールト天井かドームが架かっていたはず。
しかし、どうなっているのかわからない部屋もあった。

大キズ・カラ(南面と東面が見えている) 6-7世紀 49X32X15m
建物の外観は立派だが、内部は小さな部屋に区画されていた。もっとも、中央部分には壁の痕跡すら残っていないので、広間などがあったのかも。
北東の隅の2室は横向きのヴォールト天井だったようで、壁面上部が曲面に迫り出している。
北西側には3室残っている。
北の隅は北壁と西壁の両方が迫り出しているように見える。

角度を変えて見てみると、やはり北壁も迫り出していた。
四壁がこのように上部に向かって小さくなっていくと、天井は四角いドームのようなものだったのだろうか。

2つ目の部屋も西壁が迫り出しているが、南壁が曲面になっているかどうかはわからなかった。

その北西隅に残る妙な痕跡はスキンチ?それともただの装飾で、縦向きのヴォールト天井?

壁に穴があいているが、3室あっただろう。南端の5つ目の横向きのヴォールト天井、4つ目の部屋はわからない。
3つ目の部屋の北角にははっきりとスキンチが残っていた。この部屋にはドームが架かっていた。
スキンチ
高昌故城のβ寺院講堂のスキンチを、もっとラフに造ったよう。

小キズ・カラ 6-7世紀 大きさ不明
1室だけだが、部屋が残っていた。
西の北から2番目の部屋に、
やや尖頭アーチ形の入口から部屋の天井の曲面が見えた。
西壁
正方形の四隅にスキンチを造って八角形から円形へと移行させてドームを載せる時、一般的には四壁は平面だが、この部屋では曲面になっているように感じる。
南壁
傷みがひどくて、南東部のスキンチはほとんどわからない。

北壁

まさに『イスラーム建築の見かた』の図のように造られたドームだった。
北西のスキンチが一番よく残っている。大キズ・カラのスキンチのように、日干レンガを持ち送っていき、その表面に泥を塗って凹凸を隠し、滑らかな曲面にしていたのだ。

他には斜路の天井が興味深かった。
床の傾斜に従って、2-3列ずつ日干レンガの高さを変えていっている。

大キズ・カラも小キズ・カラも、分厚い城壁で囲まれて、その壁面に直に部屋が造られていた。その部屋は一つ一つが小さな区画で、天井はドームだったりヴォールト天井だったりで、当時の建物を上から眺めたとしたら、その屋根が丸いものや蒲鉾型のものが、びっしりと並んでいたのだろうな。



関連項目
メルヴ4 小キズ・カラ
メルヴ3 大キズ・カラ Great Kyz Kalas
ササン朝は正方形にスキンチでドームを架構する
高昌故城の講堂の起源

※参考文献
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人
「イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版