ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2015/07/14
シャーヒ・ズィンダ廟群に植物文のモザイク・タイル出現
シャーヒ・ズィンダ廟群では、浮彫タイルのある廟に続いて、モザイク・タイルの素晴らしいシリング・ベク・アガ廟(SHIRIN BEKA MAUSOLEUM 1385-86年)がある。
『砂漠にもえたつ色彩展図録』で深見奈緒子氏は、モザイク・タイルとは、一色の釉薬をかけた板状のタイルを焼き、それを細かく刻んでモザイクのように組み合わせて文様を作る技法である。この技法はペルシア語でモアッラグと呼ばれ、下絵付けタイルやハフト・ランギーとは異なり、タイルを切り刻んで修正するという工程が付け足される。言いかえれば、下絵付けやハフト・ランギーは陶器にも同じ手法が見出されるが、モザイク・タイルは陶製品を用いた建築特有の手法といえるのである。
当時から遡ること400年ほど前に建築用に開発された技法で、小さな部分にも大きな部分にも適応することが可能で、部品の大きさもさまざまに調整できるので長い間継承されたのであろうという。
サマルカンドで、土産物のモザイク・タイルを作る職人がいた。
その作業を見せてもらった。
まず、モティーフになる文様に使うタイルの形と色を決める(左の紙に描いてある)。
次にそれぞれの色タイルから部品の形に割っていく。そしてそれを表側を組み立てて、良ければタイルの裏側を先すぼまりに削っていく。
今度は裏側を上に組み合わせ、漆喰で固める。
それで出来上がったのが右側である。せっかくなので、記念に買った。
同書は、シャーヒ・ズィンダーにイランで熟成した植物文のモザイクタイルが出現するのは1372年建立のシーリーン・ビカー・アガー廟が最初であるという。
ほぼファサード全面がモザイク・タイルで覆われている。
シリング・ベク・アガ廟についてはこちら
イーワーン頂部は凹凸の襞のある傘を半開きに下ような面で、そこにも凸面には石畳状に、凹面には花文のようなものを、上から下へ徐々に大きくしながら嵌め込んでいる。
ムカルナスはさすがに花弁状の曲面にはなっていない。上に三角形、下に長方形のものを2枚組み合わせて一つのムカルナスにしている。
アラビア文字の文様帯には、一重の蔓草が渦巻きながら蕾をつけ、花を咲かせ、葉を広げ、枝分かれしていく様子を色タイルを刻み、組み合わせ、繋げていくことで表している。
様々な色タイルを使っている。青だけでも数種類の異なる色のタイルを使っている。
タイルを小さな花文に切り出すこともかなりの技術だろうが、細い蔓草の曲線を色タイルの板からつくり出すのはかなりの技だろう。
このような完成度の高い植物文のモザイク・タイルが、突然サマルカンドに、そしてティムールの親族の廟に使われたということは、ティムールが、ペルシアの優れた技術集団を呼び寄せて造らせたことを示すものだろう。
→トマン・アガのモスクには組紐付幾何学文のモザイク・タイル
関連項目
シャーヒ・ズィンダ廟群6 シリング・ベク・アガ廟
ハフト・ランギー(クエルダ・セカ)の初例はウスト・アリ・ネセフィ廟
※参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館