お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/08/19

蓮華座1 飛鳥時代



蓮華は仏教にかかせない花である。しかし、卍繋文などをはじめ、ギリシアにもある文様や着衣などを探していて気づいたのだが、古い仏像は裳懸座や獅子座に坐っていることが多かった。蓮華座はあったかな、などと思うようになっていた。
そんな頃、大阪市立東洋陶磁美術館で『蓮展』に行くと、蓮に関連する陶磁器と共に、六田知弘氏の蓮の写真が展示されていた。そして、展示室の説明パネルに、日本の飛鳥時代には法隆寺をはじめとする寺院の軒丸瓦に同様な蓮華文がみられる。同じく法隆寺の金堂壁画2号壁の日光菩薩は蓮華座の上に座り、左手に蓮華を執ると書かれているのが目に留まった。

第2号壁半跏菩薩像 7世紀末-8世紀初頭 模写、羽石光志筆(安田斑)
『国宝法隆寺金堂展図録』で復元壁画や旧壁画を眺めていると、仏・菩薩といわず、坐像・立像を問わず、蓮華座は多く登場している。第10号壁薬師浄土図では、主尊の足は踏割蓮華に下ろしている。 
同書は、金堂壁画は総じて初唐様式を濃厚に伝えており、その制作時期は天智天皇9年(670)に炎上した金堂の再建事業が進んだ7世紀末から8世紀初頭に懸かる頃と見てよかろうという。


仏画では法隆寺金堂壁画が最も古いかも知れない。しかし、思い返してみると、蓮華座は飛鳥・白鳳時代の小金銅仏に見られる。探してみたら、もっとたくさんの像が蓮華座あるいは蓮台に座ったり、足を置いたりしていた。

菩薩半跏像 飛鳥後期 133㎝ 寄木造(クスノキ) 中宮寺
画像には弥勒と記しているが、近年では弥勒ではないとされている。

それについてはこちら
『太陽仏像仏画1奈良』は、樟材数個を不規則に寄せた、独特の寄木造りの像である。丸味のある柔らかいポーズは止利様の像とは大きくへだたり、時代も飛鳥末期の作と思われるという。
腰を置いているのは丸い榻座(とうざ)で、裳裾は長く懸かり、その下に単弁の反花(かえりばな)がある。そこから出た一本の花柄の先に咲いた小さな蓮華に左足を置いている。
菩薩半跏像  飛鳥前期 一木造(アカマツ) 広隆寺
『日本の美術455飛鳥白鳳の仏像』は、救世観音像とほぼ同時期の宝冠弥勒像は、日本では他に例がない赤松を用いた一木彫刻であり、また表現が朝鮮三国時代の金銅仏そのままであることから、これは飛鳥彫刻における渡来様式の典型的造像とされる。宝冠弥勒像は垂飾にした腰帯の部分などには樟材が使用されているから、制作地が日本であることは間違いないという。

こちらは榻座に丸みがなく、懸かる着衣は平板に表される。蓮華座は円形で、反花、受花ともに素弁となっている。左足は別の小さな蓮華座にのせている。

法隆寺献納金銅宝物156号 丙寅年(606年) 41.6㎝
同書は、三国時代朝鮮の彫刻様式が顕著に認められる作品である。「丙寅年」については606年か666年の両説があるが、野中寺弥勒菩薩像(666年)などとの比較から前説が多くとられているという。

韓半島の様式が残るとされるこの像は、四角い台座に坐り、四辺を高浮彫の単弁の反花が巡っている。 
左足は小さな蓮台にのせている。その反花は単弁だが、台座のものよりは平たい。


法隆寺献納金銅仏162号 7世紀 30.8㎝
『法隆寺献納金銅仏展図録』は、右足の臑に反りをつけ、衣文や台座反花の輪郭を明確に表現しているが、全体から受ける印象に飛鳥彫刻に見られたような厳格さは薄れている。7世紀半ば以降に制作されたものであろうという。

大きな複弁の反花が榻座の布からのぞいている。側面や後部の図版には、受花が、左右、後部と一弁ずつ掛け布の外側に出ている。その膨らみが両側面に少し出っ張って見えている。
また、蓮華座の下には格狭間透かしのある八角形の台脚が表されるなど、上図の156号とは全く異なる系統の、新しい様式の仏像が請来され、それを元に制作されたことを思わせる。

推古31年(623)とされる法隆寺金堂の釈迦三尊像は蓮華だらけだった。
まずその台座。『国宝法隆寺金堂展図録』は、制作は釈迦三尊像と同時期とみられる。材質は請花と反花をクスノキから彫り出すほかはヒノキを用いる。
大小二つの宣字形の台座を台脚の上に積み重ねた形で、上座・下座とも上部へ至るほど僅かに幅が狭まるという。
ヒノキの台座板に蓮弁を浮彫りしたのではなく、別材のクスノキから彫り出した受花や反花を取りつけてあるのだった。
また、『日本の美術359蓮華紋』は、大光背の頭光頂部について、側視形蓮華紋の中央に火焔をもった丸い珠が鎮座する。光明の象徴であるハスの花が、光明の光源となる火焔宝珠(如意宝珠)を生む-こうした造形は、はやり雲崗・龍門・敦煌などの石窟壁画へとさかのぼるという。
蓮台のようにも見えたが。
光背の化仏
ちょっと変わった服装の化仏も蓮華座に坐している。この仏の顔ほどもある、大きな単弁の蓮弁が二段に表されている。

脇侍菩薩は、木製の台座から生え出た蓮華の高い蓮肉に乗る。その下側には、薄い銅板の蓮弁が三段に差し込まれている。
拡大してみると、青銅の蓮弁を一枚一枚蓮肉に挿していったのではなく、広い銅板から切り出した一段の蓮弁の連なりを3段にわたって取りつけているのだとわかった。
こんな蓮華座って他にあったかな?

それは三尊像の上の天蓋という、ごく身近なところにあった。

飛天 飛鳥時代(7世紀) 木造彩色 高さ53.7幅24.9㎝
『法隆寺日本仏教美術の黎明展図録』は、飛天は樟材の一木造で、背後に光背時代に広がる天衣を木製透彫で表している。天衣の中途には火焔を伴った蓮華が咲き、また随所にパルメット文を表すという。
蓮弁は蓮台を越える高さにまで取りつけられている。こんな蓮弁は韓半島や中国の仏像では見たことがないような・・・日本での、あるいはこの時期だけのものだろうか。  

このような蓮華座は、どこから伝わったのだろう。

                    →蓮華座2 法隆寺献納金銅仏

関連項目
蓮華座4 韓半島三国時代
蓮華座3 伝橘夫人念持仏とその厨子
蓮華座5 龍と蓮華
蓮華座6 中国篇
蓮華座7 中国石窟篇
蓮華座8 古式金銅仏篇
蓮華座9 クシャーン朝
蓮華座10 蓮華はインダス文明期から?
蓮華座11 蓮華座は西方世界との接触から

※参考文献
「清らかな東アジアのやきものX写真家・六田知弘の眼 蓮展図録」 2014年 大阪市立東洋陶磁美術館・読売新聞大阪本社
「国宝法隆寺金堂展図録」 2008年 奈良国立博物館
「日本の美術455飛鳥白鳳の仏像」 松浦正昭 2004年 至文堂
「太陽仏像仏画シリーズⅠ 奈良」 1978年 平凡社
「法隆寺献納金銅仏展図録」 1981年 奈良国立博物館

「法隆寺 日本仏教美術の黎明展図録」 2004年 奈良国立博物館