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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2014/04/29

ギリシア神殿11 格間天井に刳り形



アクロポリスの丘で一番驚いたのは、天井に石材の格間が並び、そこには何段かの刳り形があったことだ。
そもそもギリシア神殿には天井というものはなく、木の梁がわたり、その上に小屋組みを架けて、テラコッタなどの瓦葺き屋根としていたのだと思い込んでいたので、ギリシア時代の建物の中を通るという貴重な体験よりも、石材の格間の存在の方が記憶として強烈に残ってしまった。

まずアクロポリスの入口となっているプロピュライアをくぐっている時に格間に気づいた。

プロピュライア 前437-432年
石材の梁の間に格間が並んでいる。
刳りは3段ほどで、間に斜めの面を取ってあるため刳りの段がたくさんあるように見える。

次に、エレクテイオンの北柱廊の天井にもっと刳りの多い格間を発見。

エレクテイオン神殿 創建前421-406年、再建前395年
南の小さな柱廊を支えている人像柱(カリアティド)が一番の特徴だが、
北側に設けられた立派な柱廊を見ようと数段下りて行ってみると、
天井にはやはり格間になっていた。
しかも、プロピュライアの格間の刳り形よりもずっと多く、6段ほどあった。暑い石板をこのように彫っていって、重量軽減を図ったのではないだろうか。

パルテノンはそれほど復元作業が進んでおらず、遺構を見ただけでは天井に格間があるかどうかはわからなかった。

パルテノン神殿 前438-432年
格間に気づいたのは『ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM』という本の想像復元図を見た時だった。
プロピュライアやエレクテイオンの格間とはかなり違うようだが、内室の木製天井にも、プロナオスの石造の天井にも格間らしきものが並んでいるようだ。おそらく発掘でそのような部品が出土したのだろう。
同書を見た後で、パルテノンの西側に置かれていたものが、その格間だったらしいことに気づいたのだった。
この格間はプロピュライアのものほどの刳りがない。多分、薄い石板に2段の刳りを造っただけのものだろう。
格間の刳り形の違いは、パルテノンの方が早く造られたからかとも思ったが、ほぼ同時期に造られている。
格間といっても、神像の安置されている内室の中央部ではなく、小円柱と壁の間やプロナオスなどの幅の狭い箇所に載せられていたのだろう。

実は、格間の刳り形に関心を持ったのは、ローマのパンテオンの天井を見た時だった。

パンテオン ローマ 後118-128年
ドームの半球に合わせて整然と並ぶ格間には刳り形があった。
この時も、4段の刳りは重量軽減のためだろうと思ったものだった。

ローマではパンテオンよりも時代の下がる建物の遺構に様々な形の格間あるのを見たので、格間天井というものはパンテオンが最初だろうと思った。
念のために調べてみると、『世界美術大全集5古代地中海とローマ』で前80年に格間がすでにあった。
それについてはこちら

ところが、ギリシアの盛期クラシック期には格間天井が造られ、刳り形もあることを今回の旅行で知った。
では、格間はいつ頃からギリシアで造られるようになったのだろう。

アイギナ島 アファイア神殿 前500年頃
詳しくはこちら
『世界美術大全集3』は、神像を納めたナオスの内部は2層に重ねられた2列の列柱によって3廊に区切られ、側廊の上には木造の床が張られていたという。
身廊部は床も天井もなく、木造の梁と屋根が架かっているので、このような木造の床が、やがて石造の天井板となり、重量軽減のために刳り形をつけたのではないだろうか。

しかし、もう少し以前に建立された神殿には、すでに刳り形のある格間天井があった。

パエストゥムのアテナ神殿 前510年頃
詳しい説明はこちら
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』(以下『世界美術大全集3』)は、2層の刳形のみで構成されるコーニスの上に直接ペディメント(破風)が載っているため、レグラやグッタエ、ムトゥルスといったドーリス式固有の建築要素すら欠いているなど、随所にイオニア式からの影響を観察することができるという。
2層の刳り形というものが、前6世紀末にはすでにあったのだ。

ひょっとすると、お気に入りのコリントス遺跡のアポロン神殿(前540年頃)にも、周柱廊部には格間天井が巡っていたのかも。

        ギリシア神殿10 ギリシアの奉納品、鼎と大鍋
                                   →アカンサス唐草の最古はエレクテイオン

関連項目
アテネ、アクロポリス1 プロピュライア
アテネ、アクロポリス2 パルテノン神殿
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿
パンテオンのドームに並ぶ格間
ギリシア神殿1 最初は木の柱だった
ギリシア神殿2 石の柱へ
ギリシア神殿3 テラコッタの軒飾り
ギリシア神殿4 上部構造も石造に

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1995年 小学館
「THE ACROPOLIS THROUGH ITS MUSEUM」 PANOS VALAVANIS 2013 KAPON EDITIONS

2014/04/25

アクロティリ遺跡の壁画5 サフラン摘みの少女



切石建築3号は壁画が多く出土している。現在はテラ先史博物館に収蔵されているらしいのだが、展示はされていなかった。

1階の1-4に壁画があったという(『ギリシア美術紀行』より)。
建物の東側からみると、左の階段の隣の第4室、続いて第3室、手前に第2室と第1室(写っていない)になる。
北側から見ると、55のポールの向こう、ポリシラの手前が第3室になる。どこからも見えにくい部屋だった。

『ART AND RELIGION IN THERA』(以下『THERA』)は、切石建築3号の絵画プログラムは、若い女性たちの通過儀礼を含む自然界の再生を祝う祭儀に関係付けられてきた。
建築的には、清めの浴室(至聖所)は1階の中心である。建物の北の端にあり、支柱のある扉(ポリシラ)によって連結された複数の部屋によって入口から離れている。 
2・3・4・7はかなり広い部屋で、多くの人が集まることができた。
至聖所は支柱のある扉が閉まった状態では、他者の視線を遮ることができた。
入口に近い5の階段は一般に使用され、小さい方の8の階段は至聖所に近いので、選ばれたものだけが使うことが出来た。
至聖所は選別の場所である。段を下りて行く者を残りの参加者と異なるレベルに導いたであろう。この行為は地上あるいは現世と黄泉の国と交信するという象徴的な意味があっただろう。建物にもフレスコ画にも浄めや水の使用を示すものはない。クレタの類似した構造をエヴァンスが名付けた「浄めの浴室」という言葉はアクロティリの至聖所に全て当てはまるわけではないという。

サフラン摘み 2階第3室東壁 244X266㎝ テラ先史博物館蔵
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』(以下『世界美術大全集3』)は、女性のみが参加した経済的な活動である「サフラン摘み」の様子を表現した壁画も出土している。
サフランが咲き乱れるごつごつした岩場で、二人の少女がサフランを摘む様子が描かれている。
少女の不安そうな面持ちとその前にいる厳しい表情の青年女性は、サフラン摘み自体が通過儀礼の一部であることを示すものかもしれない。そしてこの儀礼は女神により統括されているのだろうという。
この女神は後ほど。
同書は、横顔の少女は、輪郭線がくっきりとして見事な表現となっている。
「サフラン摘み」の主題は、古くはクレタ島クノッソス宮殿第1宮殿期の壁画にも見られ、単なる日常の所作ではなく、宗教儀式の一部ではないかと考えられている。サフランが薬用または染料として古くから利用されていたことは、ホメロスの叙事詩やギリシア神話に語られている。サフランで染められた織物として忘れてはならないのが、4年に一度アテナ女神に奉納された神衣ペプロスである。輝くサフラン色のペプロス奉納の神事は、クラシック期のパルテノン神殿フリーズ彫刻の東面に、パンアテナイア祭の行事のクライマックスとして描写されているという。
パルテノン神殿のペプロス奉納の場面はこちら

2階第3室想像復元図 北壁と東壁
続く北壁にも、一部にサフラン摘みの場面が表されている。
動物たちの女王とサフラン摘み 2階第3室北壁 230X322㎝ テラ先史博物館蔵
同書は、場面はテラ島の風景内に設定されており、また荘厳な階段付き玉座に座った威圧的な女性像の前で繰り広げられている。この女性の足もとには大きな籠が置いてあり、サフランを集めている女性たちは、小さな籠からこの容器へとサフランを移しているという。
同書は、女性座像の両脇には異国的な動物である猿と、空想上の動物のグリフォンが控えている。女性座像の背面から頭の真上に突き出すように蛇の装飾品がつけらており、またこの女性は水棲動物(アヒル)と昆虫(トンボ)の形をもつ三重の数珠玉(ビーズ)の首飾りを巻いている。言い換えると、この人物は、想像世界(グリフォンに代表される)と現実世界(猿)、空中生物(昆虫)と水中生物(アヒル)、地中生物(蛇)を含む、全動物界と関連していることになる。この女性のもとでサフランが集められ、また全体の構図のなかでの彼女の顕著な位置から、この女性を偉大な「自然の女神」と解釈することも許されるだろうという。
アヒルやトンボの形をしたビーズってファイアンス?ガラス?気になるなあ。
と思っていたら、『THERA』にそのスケッチが載っていた。

同書は、首飾りは、ビーズ、アヒルそして昆虫の3連である。昆虫はトンボだった。どれも沼地や池に通じるもので、クロッカスの花模様の衣裳を着けた、クロッカスの咲く地の女神は、同時に沼地の生き物の女神でもあるという。
残念ながら、これらの首飾りが何でできていたかには言及されていない。

真下の部屋にも壁画が発見されている。

崇拝者たち 1階第3室「清めの浴室」北壁 143X391㎝ テラ先史博物館蔵
同書は、3人の女性が、右方の、東壁上に描かれた、「聖なる角」で飾られた構築物に向かって進んでいる。この祭壇に向かう3人の女性のうち、中央の女性は足の親指から血を流しており、痛みをこらえて岩に腰を下ろしている。右端の女性は、半透明のヴェールをかぶっており、傷ついた仲間に同情するかのように、半分剃った頭をぐいと振り向けている。腰布が男性の通過儀礼の完了を意味したように、ヴェールが女性の通過儀礼の完了を示しているかもしれない。左端の女性は傷ついた少女の方へ、水晶の首飾りを差し出しながら軽やかに近づいてくるという。
犠牲の祭壇 1階第3室「清めの浴室」東壁 想像復元図
同書は、「聖なる角」に滴り落ちる赤い液体から推測して、そこにはおそらく戸外の犠牲の祭壇が描かれていたものと思われるという。
祭壇の中央には2列にわたってユリのモティーフが並び、その外側三方を連続渦巻文が巡っている。

その清めの浴室北壁と東壁の想像復元図
ある扉は閉まり、あるものは開いている。広い開口部から少女が何かを持って至聖所に入って行く。背後には大人の女性が大きなリュトンを、左手で把手を持ち、右手で尖った底を持って運んでいる。
ポリシラは、遺跡に残っているものからは想像しにくいものだった。木製の枠は幅があり、扉は観音開きになっている。

そして、1階と2階を吹き抜けにした壁画の想像配置図(左より、南・西・北壁)。
1階右下の段のある箇所が「清めの浴室」とされているところ。
クレタ、クノッソス宮殿西翼の玉座の間の隣にも、同様の段のある凹んだ場所があった。
エヴァンスは「清めの浴室」としているが、『クノッソスミノア文明』は「清めの場」であるとし、「清めの場」は地面を掘り込んで床より低いレベルに設けられた長方形のスペースで、そこへ降りるための数段の階段が取りつけられている(排水設備がないので、浴室とは考え難い)という。

アクロティリはミノア文明のかなり広大な街の遺跡で、発掘調査されているのはごく僅かということだった。その限られた区域に、これだけ壁画の残る建物があり、また、それぞれが何かの儀式のための部屋を飾るものだったということは、港に近いこの一画は祭祀センターのようなものだったということなのだろうか。

アクロティリ遺跡の壁画4 ボクシングをする少年

関連項目
クレタ島3 クノッソス宮殿3
アクロティリ遺跡の壁画1 春のフレスコ(ユリとツバメ)
アクロティリ遺跡の壁画2 パピルスと婦人たち
アクロティリ遺跡の壁画3 舟行図

※参考文献
「ART AND RELIGION IN THERA  RECONSTRUCTING A BRONZE AGE SOCIETY」 Dr.NANNO MARINATOS  ATHENS
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「クノッソス ミノア文明」 ソソ・ロギアードウ・プラトノス I.MATHIOULAKIS

2014/04/22

アクロティリ遺跡の壁画4 ボクシングをする少年



建築複合体ベータでは2つの部屋にフレスコ画が残っていた。

B1 テルヒネス通り側のB1と呼ばれている部屋
『ART AND RELIGION IN THERA』(以下『THERA』)は、1階の質素な部屋である。部屋の南側に低い粘土の仕切りのある櫃のような物入れがあるので、聖所だったのだろう。そこから2つの供物台と壺が発見された。
建築的には、聖所は薄い壁で3つの箇所に分割されていた。つまり、主聖所のB1、収納室のB1a、準備室のB1bである。主聖所は、粉挽き小屋の広場に面して大きな窓がある。窓を通して、広場に集う人々との会話は可能だった。隣接するB2の部屋は下に食品庫があったので、食事室として使われたのだろう。
B1室は東側に入口があったという。
この部屋の壁画はアテネ国立考古博物館に展示されていた。

a アンテロープ(羚羊)
『THERA』は、おそらく他の絵画をもとに描かれたもので、画家は実際にはこの動物を見ていないだろう。絵画の完成度は素晴らしい。動物たちは単純な輪郭線によって驚くべき生命力に満ちているという。 
水墨画のよう。
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』(以下『世界美術大全集3』)は、背景は漆喰の白地をそのまま残し、上方にのみ赤い波状の色面を配した、きわめて簡素な構図からなるという。
背景の赤い雲のようなものは何を表していたのだろう。火山の斜面の岩肌の色の違いだろうか。

bc ボクシングをする少年 275X94㎝ アテネ国立考古博物館蔵
『世界美術大全集3エーゲ海とギリシア・アルカイック』は、少年期の二人がボクシングをする様子を描いた壁画。格闘技をする男子のモティーフは元来エジプト美術の影響下にあると考えられている。だが、首飾り、腕輪、足首のアンクレットなど豪華な装身具をつけたこの少年たちには、エジプト壁画に見られるような厳密なカノン(人体の比率)は適用されていない。
少年の頭部はプロフィール(側面観)で、頭髪は一部を長く伸ばし残りは剃っているという。
アンテロープはほとんど輪郭線だけのような絵だったのに、この少年たちの絵には輪郭線がない。
ボクシングとはいうが、双方ともグラブは右手にだけはめていて、右の子はグラブをはめた右手を相手に伸ばし、左の子ははめていない左手を伸ばしている。
その想像復元図
アンテロープは部屋の3面に、計6頭も描かれていたのだ。
博物館ではこのように部屋が再現されていたはずなのに、何故バラバラにしか写していなかったのだろう。
文様帯として蔦文がすでに前17世紀中葉には存在したことも忘れないでおこう。
蔦の蔓は蛇行せず、まっすぐにのびているが、葉と葉の間という短い間隔で極端に肥痩があり、ハート形の葉も似たような形の葉柄から出ている。
B1室ではどんな儀式が行われていたのだろう。

壁画のあるもう1室は、通りから奥まったB6室。
『THERA』は、クレタにもサルの壁画はある。サルはクレタから持ち込まれたのかも分からないが、テラ島でもサルの頭骨が発見されている。
クレタでもアクロティリでも、サルは青い色で描く伝統があった。
切石建築3号から女神のフレスコが発掘されるまで、この生き物の意味がわからなかった。そこでは、サルが特別な侍者として女神の前に立っている。
建築複合体ベータのB6室は、明らかに宗教的に使用されていた容器が複数置かれていた部屋で、考古学者は聖所に違いないという。
断片の大方は、それぞれ別の方向を向いて岩を登るサルを表している。残りの物は様式化され、膨らんだ青、赤そして白の岩を表している。上方には青、赤そして白の横縞と渦巻の文様帯があるという。
他の動物やサルは横向きで描かれているのに、この一頭だけは正面向きだった。
同書は、発掘者は、サルと共に動物の頭部の断片を見付け、ウシ科かイヌ科であるとした。後に彼は、サルはイヌに追われていることが判明したという。
サル図とイヌ図の想像復元図。

おそらくこの部屋から出土した、アクロティリ遺跡唯一の金製品がこれ。

アイベックス像 前17世紀、後期キュクラデス期 金製

       アクロティリ遺跡の壁画3 舟行図
           →アクロティリ遺跡の壁画5 サフラン摘みの少女

関連項目
アクロティリ遺跡の壁画1 春のフレスコ(ユリとツバメ)
アクロティリ遺跡の壁画2 パピルスと婦人たち

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 時事通信社
「ART AND RELIGION IN THERA  RECONSTRUCTING A BRONZE AGE SOCIETY」 Dr.NANNO MARINATOS  ATHENS

2014/04/18

アクロティリ遺跡の壁画3 舟行図



アクロティリ遺跡の西の家は二階建てで、窓や出入り口などの木枠が印象的な外観だ。
2階では、部屋の3面上部を飾る長いフリーズ(下図e・f・g)を初め、様々なフレスコ画が発見されていて、アテネ国立考古博物館に収蔵されている。
しかしながらアテネ国立考古博物館では、あいにく日曜日だったからなのか、いつものことなのかわからなかったが、展観されていなかった。

第5室の平面図
『ART AND RELIGION IN THERA』(以下『THERA』)は、入口から西壁に向かって入るので、北壁も南壁も、壁画は東から西に向かって描かれているという(下図の細い赤線)。
北壁と西壁は開口部の多い仕切りのある壁だったのだろうか。

その部屋の上部三方にフリーズ状の壁画があった。
この想像復元図では、北壁と東壁のフリーズが表されているが、それぞれ壁画の高さが異なっている。
また、平面図では分かりにくかったが、三方が腰壁、しかもその上は、西と北は仕切りのある開口部となっており、東は壁で塞がれている。

e:北壁フリーズ
『THERA』は、右から見ていくことになっている。下の方は船が何隻か描かれ、その1隻き船首の突起が壊れている。船に立っている人物は、ミノアあるいはエーゲ海特有の襞スカートを着ているが、おぼれている人たちは裸である。それは、ここには2つの異なる人種が登場していることを示唆しているという。 
拡大
同じ場面の上側には、沿岸の居留地が表されている。男達はチュニックを着、婦人たちは毛羽だったスカートをはいている。人々は日々の仕事に従事ししている。、婦人たちは井戸から水を運び、男たちは牧場から動物たちを連れてきた。ある者は、異なる要素は牡牛の皮で作った楯とイノシシの牙で作ったヘルメットの戦士の行列である。彼らは船でやってきて居留地を攻撃しているといい、またある者は海の脅威の典型である海賊であるとする。しかし、彼らは町を攻撃しているのではなく、守っている。町の敵は彼らではなく、裸の男達だ。これはエーゲ海域の戦士とエーゲ海域意外の戦士との海戦で、エーゲ海域の戦士は町を守るためにやってきて、我々は、海辺へと戦勝行進をしている場面を見ている。
打ち負かす敵を裸で、無秩序に描くという慣習は、メソポタミアやエジプトの美術と非常に似ているという。

d:魚を捧げる青年 122X68㎝

『THERA』は、髪を部分的に剃った裸の2人の青年は、宗教的に特別な人物である。神へ捧げ物をしている。
また、この若い信者たちは、南西と北東の角に描かれている。もし彼らが歩けるならば、北西の角で出会うだろう。そこには、魚のような捧げ物を受けるための、供物台らしきものが置かれていたという。
魚はシイラに似ている。

その供物台は、上の想像復元図にも描かれているが、実物はテラ先史博物館に展示されていた。

海の絵の供物台 テラ先史博物館蔵
器体の上下には、岩場に海藻などが生えている様子が描かれ、その間をイルカが所狭しと泳いでいる。 
しかし、奥に写った人物と比べてもわかるように、さほど大きなものではない。壁画の青年が両手に提げている魚は、この台にはとても載せきれないだろう。
腰の高さに棚が並んでいるような部屋の造りから考えると、各棚に一つずつ供物台が置かれていたのかも。

g:南壁フリーズ 舟行図 43X390㎝ アテネ国立考古博物館蔵
『ギリシア美術紀行』は、S.マリナトスの娘ナンノ・マリナトスの解釈が私には一番すなおに納得できる。南壁に描かれたこの「船団図」の主題は、戦争ではなく「平和」のそれである。宗教的な祭儀を祝う船団であって、軍隊の出陣、帰還とは関係ない。
この壁画を凝視していると、確かに、太古の暗闇に閉ざされた私の脳裡に、町の喧噪が立ち昇り、祭の喜びに溢れた満艦飾の船団が漕手の掛け声に合わせて大海原に姿を現してくる。古代エーゲ海の、海の祭。貴人はゆったりと船中や船尾キャビン(イクリア)にくつろぎ、貴婦人は町の聖なる牡牛の角のバルコニーから遠く船団を眺め、若者は犠牲獣を伴って海岸に集い寄るという。
その続き
普通第3の町と呼ばれている向かって右端の町並はテラの遺跡そのものの風景であるという。
右の町はアクロティリとみられている。
一方、左の町はまだ特定されていないようだ。
『THERA』は、ライオンがうろつくのは、乾燥したエーゲ海の島嶼部にはありえないという。
ライオンは、上の山岳中央に描かれて、左方向へシカとシカに乗った人物を追っている。
この山様々な色の地層が重なって表されているので、やはり火山島にある港を表しているのだろう。
マスト下のおおきなパラソルの下で坐っている人たちとは別に、船尾に幕を張って坐っている人がいる。これがイクリアなるものか。

第4室東壁にはそのイクリアが描かれていたという。

イクリア 180X212㎝ テラ先史博物館蔵
『世界美術大全集3』は、貴人用の船室と考えられる船の一部分を実物大に描いたものと推測される。イクリアは構造的には携帯型の陣幕で、3本の柱が細い横材で繋ぎ合わされている。各柱の先端は花文様となっており、各イクリアで意匠が異なり、また花綱が柱の上部に渡されている。イクリアの下部は牡牛皮で覆われていたと推測できるという。
丸いビーズを連ねた花綱には、ユリの花を模したものが下がっている。これがファイアンスやガラスでできていたらすごいのだが。
また、一番下には大理石の板を貼り付けたような文様が表されている。前17世紀にはすでにこのような装飾があったのだ。

また、第4室と第5室の間に描かれていたのは女祭司である。

若い女祭司 151X35㎝
『THERA』は、とても妙な髪型である。もし頭部の青い色が部分的に髪を剃っていることを表しているのなら、頭の上に固定されているものは蛇のようなものをのせている。アクロティリの髪を剃った若い男性も女性も、このようなものはのせていない。そして彼女は独特のボディ・ペイントをしている。(クレタでも一般的ではない)唇に非常に鮮やかな赤い色を塗っているだけではなく、耳も赤く塗っている。
また、服装も奇妙だ。儀礼用には襞のある巻きスカートを着ける。しかし、この像は白い星形文様の青いブラウスの上に、黄色い皮革を模した毛羽だった服を着ている。これはサリーの一種である。
印章に、同様の服装をした人物が鳥を抱えているのが表されている。その男性は祭司と考えられている。どちらの像でも服を肩の上に被せるのは、特別な儀式用の飾りである。エジプトの祭司も麻布を肩の上に回しているので、このような衣裳を着けているのは祭司か女祭司だというのは間違いないという。
香炉のようなものを、第4室から第5室へと運んでいるのだろうか。第5室東壁の川辺のフリーズは、その進む方向に右から左へと描かれているということになる。

f:東壁フリーズ
『THERA』は、ヤシの木とパピルスの生える川辺の風景
綴じ目にあって取り込みきれなかったが、この図の左にはジャッカルが描かれている。
その続き
川の上を有翼のグリフィンが右方向に駆けていく。羽根以外が白いのは、未完成だったからかも。

これまで見てきた複合体デルタや婦人たちの家のフレスコ画同様、ここでも儀式の部屋を荘厳するための壁画だった。

また、西の家がそれらの建物と異なる構造は、西壁と北壁が、仕切り以外は外界に開けた造りになっていることだ。それは、2つの方角に見えるものが、そこで行われた儀式にとって重要なものだったのではないだろうか。
第5室には海に関連のあるものがたくさん描かれている。ひょっとして、西と北に海が見えたのではないか。そう思ったが、当時はテラ島はおそらく富士山のような形の大きな島だったはずで、その南端に、現在はアクロティリ遺跡と呼ばれているこのテラの街があったので、その方角には海は見えなかっただろう。

     アクロティリ遺跡の壁画2 パピルスと婦人たち
             →アクロティリ遺跡の壁画4 ボクシングをする少年

関連項目
アクロティリ遺跡の壁画1 春のフレスコ(ユリとツバメ)
アクロティリ遺跡の壁画5 サフラン摘みの少女

※参考文献
「世界美術大全集3 エーゲ海とギリシア・アルカイック」 1997年 小学館
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 時事通信社
「ART AND RELIGION IN THERA  RECONSTRUCTING A BRONZE AGE SOCIETY」 Dr.NANNO MARINATOS  ATHENS