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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2013/09/20

ギリシア神殿6 メガロン



ギリシア神殿の原形はミケーネ時代のメガロンだという。それについてはこちら

『古代ギリシア遺跡事典』はミケーネの宮殿について、現在見ることができるのは、ミケーネ文明が繁栄していた最後の段階の宮殿であり、南東に張り出した基壇の上に設けられたメガロンを中心に構成されている。
メガロンは長軸を東西方向におき、全体は長さ23m、幅11.5mの規模をもっていた。中庭に面した2本の柱が天井を支える前庭部から前室を経てさらに奥へ進むと、メガロンの主室にいたるという。
円柱の2本あるイン・アンテス式の前庭、狭い前室、そして主室と3つ並んでいるのがメガロン。
主室には4本の円柱で囲まれた炉が設置されていたが、現在ではメガロンには入ることもできず、また、屋根で保護されていて、遠くから様子をうかがい知ることもできない。
博物館の模型で見ると、何となく主室の炉とそれを囲む4本の柱礎がわかる。
そしてやっと見付けた炉とそれを囲む4本の柱礎の図版。
『CORINTHIA-ARGOLIDA』は、最高統治者、線文字Bの粘土板にいうワナカの玉座があり、直径3.7mの大きな炉がある。炉はプラスターで覆われ、炎をモティーフにした文様と渦巻文で装飾されていた。炉の周りの4本の円柱は、屋根の開口部を支えていた。メガロンの周壁にはフレスコ画が描かれ、わずかながら残っているという。
コトバンクでは、単にプラスターといったときには石膏プラスターを指すという。

ミケーネ時代のメガロンは他の王城でも確認されている。

ティリュンス
『ギリシア美術紀行』は、ティリュンスはミュケナイから南へ19㎞、遺跡の下をバス道路が真直ぐ走り抜ける、アルゴス平野の只中に位置している。このティリュンスの王城はミュケナイのそれと大体同じ前14世紀の前半に第一期工事が始まり、かつ同じような運命を辿る。南北約300m、最大幅100mの規模はミュケナイのそれよりやや小さめであるが、しかし725mに及ぶ周壁の保存状態はこちらの方が良いように思うという。
メガロンの位置にギリシア時代には神殿が造られている。しかも、規模はギリシア時代の方が小さい。
更にもっと古い青銅器時代にはミケーネ時代のメガロンがすっぽり収まりそうな直径の円形の建物があったらしい。
ミケーネのメガロンもそうだが、ティリュンスでも、玉座は主室奥壁ではなく、右壁に取り付けられていた。
ミケーネより古いミノア文明の王宮でも玉座は三間続きの奥の部屋の正面ではなく、右壁にあった。それについては後日

ピュロス
『ギリシア美術紀行』は、この宮殿跡より発見された無数の陶器類その他の遺品はほぼミュケナイ時代LHⅢB(前13世紀)の様式を物語る。トロイア戦争の火災によって破壊されたといわれるトロイア第7市Aの地層が前1260年頃に比定されうるならば、それより2世代後の前1200年頃にドーリス人の侵入によって滅亡したとする神話と考古学上の事実が完全に一致することになる。いずれにしろピュロス宮殿の歴史は短命であったという。
『ギリシア美術紀行』は、「玉座の間」は小さい規模のもので、12.9X11.2mしかない。
玉座は今は存在しないが、東北面を背にし-宮殿全体が西北・東南をプランの軸線にしている-その右手の床には、灌奠用に使用されたと思われる水盤状の窪みが2つ、それらをつなぐ2mの長さの溝と共に残っている。玉座の背後の壁面には有翼グリュプスとライオンが紋章状に組み合わされていたという。

場所も時代も異なるが、アッシリアでは、狩猟した獲物(ライオンなど)に灌奠の儀式をする場面が浮彫で表されている。ミケーネでも、特別な時には動物の生贄を酒などで浄めて、炉で焼いて食べるというような儀式めいたことをしていたのではないだろうか。それとも炉はただ暖を取るだけのものだったのか。

また、有翼の鳥グリフィンは、クレタのクノッソス宮殿玉座の間にも壁面に何頭が描かれている。それについては後日。
また、ミケーネの祭祀センターのフレスコの部屋には、鳥グリフィンを従えた女性または女神が描かれていた。ミケーネにも鳥グリフィンが登場するのは、ミノアの影響だろうか。
中央の直径4m、高さ20㎝の祭儀用の炉は、円の縁と側面にいまだにはっきりと彩色模様をとどめている。32本の縦溝(柱礎を固めていた漆喰の痕跡からわかる)をもつ4本の柱が天井を支えていた。床は刻線で不規則な碁盤目に区画され、その各々に赤、黄、青、白、黒による千差万別の模様が描かれ、どういう象徴的意味か不明だが、玉座の前の一つには蛸の絵が登場するという。
炉の立ち上がり側面には鋸歯文、いや火焔文、炉の斜めの縁には渦巻文がありそうだ。渦巻は隣接する渦巻と繋がっている。
ところで、ミケーネのメガロンは王宮の一部で、神殿あるいは祭祀センターは別の場所にあった。何故祭祀センターが神殿へと発展せずに、王宮の主体部が神殿へと変容を遂げたのだろう。


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    →アテネ国立考古博物館 ミケーネ1 アガメムノンの黄金マスクとはいうものの


関連項目
ミケーネ5 メガロン

※参考文献
「古代ギリシア遺跡事典」 周藤芳幸・澤田典子 2004年 東京堂出版
「図説ギリシア エーゲ海文明の歴史を訪ねて」 周藤芳幸 1997年 河出書房新社
「ギリシア美術紀行」 福部信敏 1987年 時事通信社
「世界歴史の旅 ギリシア」 周藤芳幸 1997年 山川出版社
「CORINTHIA-ARGOLIDA」 ELSI SPATHARI 2010年 HERPEROS EDITIONS