ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2013/04/26
辻飾り付き変わり格子文の截金
ボストン美術館所蔵馬頭観音菩薩像は、仏画では珍しく背景と地面が区別され、地面は衣より薄い緑色だった。不思議なことに、その地面にも截金が施されていた。
馬頭観音菩薩像 絹本着色 縦166.1横82.7 平安時代(12世紀中頃) 1911年寄贈 フェノロサ・ウェルドコレクション
ボストン美術館所蔵の日本絵画は1983年にも日本で公開されている。その時は京都国立博物館で見たはずなのに、ほとんど覚えていない。しかし、NHKの関連番組『極上・美の饗宴 ボストンの日本美術超傑作② 平安の超絶ミクロアート~華麗なる仏画の秘密~』で馬頭観音菩薩像を見た時に、以前にも見たことがあるような気がした。その時の図録が、またしても実家の本棚から見つかった。それから30年間、私は仏画の勉強をしていなかったのだった。
その時の図録『ボストン美術館所蔵 日本絵画名品展』は、馬頭観音は密教像として両界曼荼羅の胎蔵曼荼羅観音院に位置する観音だが、勇敢な威力で衆生を救済するため、一般の観音と違って忿怒の姿にあらわされ、馬頭明王ともよばれる。この馬頭観音は姿は異様だが、忿怒の表情にも柔らかな味があり、衣には藤原仏画独特の切金文様(細く切った金箔で作る文様)と照隈があって美しいという。
全体が眺められるくらい離れると、光背の透彫のような唐草の金色はわかっても、着衣の截金ははっきりとはわからない。地面の截金はもっとわからない。
暗い中で、下の方を見ていて、地面の色に気が付いた。珍しいなと思いながら、目を別のところへ向けようとした時、その地面に輝くものを見たような気がした。
単眼鏡の焦点を合わせると、確かに縦横斜に截金の線が走っている。交点には辻飾りもあるようだ。その截金は、左側に垂れた条帛の輪郭に置かれた截金よりも細い。
地面に截金というのも変なので、ひょっとすると、大きな壇の上に六角形の台座が置かれ、更にその上に蓮台が置かれているのだろうか。
この文様の名称はわからないので、仮に辻飾り付き変わり格子文としておこう。
実は、この文様は東寺旧蔵十二天図の風天で、すでに見付けていた。
東寺旧蔵十二天図 風天 平安時代、太治2年(1127) 京都国立博物館蔵
両肩の襟のような部分にわずかに使われている(矢印部分)だけなので、名前もわからず、採り上げなかったのだった。
馬頭観音の地面とは異なり、着衣に施されているので、文様の単位はずっと小さいが、縦横の線だけでなく、かすかながら斜めの線も確認でき、辻飾りもある。同じく辻飾り付き変わり格子文だ。
そして、それはまた、同じ年に制作されたという東寺蔵不動明王図にもあるのだった。
五大尊像 不動明王 平安時代、太治2年(1127) 東寺蔵
両膝を覆う裳の部分の密な文様が辻飾り付き変わり格子文?
馬頭観音の地面や、風天の襟元の文様と比べると、ずいぶん華やかで目立つが、どんな繋ぎ文なのかは、この程度の画像ではわからない。
それは、もっと拡大した『日本の美術373截金と彩色』の図版で、やっと確認できた。
辻飾りは菱形の切り箔で、裳の文様がにぎやかに感じられるのは、この切り箔が縦横の格子や斜格子に対して、大きすぎるからだ。
八弁花文の中心を放射状に線が通っているようでもある。
この文様がいつ頃成立したものかわからないが、東大寺戒壇堂の四天王うち広目天像に、似た截金の文様がある。
四天王 広目天 奈良時代(8世紀) 東大寺戒壇堂蔵
『日本の美術373截金と彩色』は、東大寺戒壇堂の四天王像の截金文様について、技法の上でもっとも単純な直線文(代わり斜格子、斜格子文、二重格子文)と点綴文(菱形、枡形、星形)とを組み合わせたものであるという。
縦横の格子と斜格子は認められる。斜めの線に三角形の切り箔がついているので紛らわしいが、この2つの格子の中央に大小2つの菱形切り箔を組み合わせた八弁花文が置かれている。
ひょっとすると、この截金装飾が、平安時代になって、辻飾り付き変わり格子文へと発展したのかも。
つづく
関連項目
ボストン美術館展1 馬頭観音菩薩像
東大寺戒壇堂四天王立像に残る截金文様
※参考文献
「ボストン美術館 日本美術の至宝展図録」 2012年 NHK
「王朝の仏画と儀礼 善をつくし 美をつくす展図録」 1998年 京都国立博物館
「日本の美術373 截金と彩色」 有賀祥隆 1997年 至文堂