ヤツガシラが少なかったのに比べ、今年はカモの類が目に付いた。
紅牙撥縷尺 中倉
紅牙撥縷尺は左から花・ヤツガシラ・花、そしてその次がオシドリだった。
花を挟んでヤツガシラと向かい合うように、オシドリは左を向いている。花の上に乗って、左側の鳥が花柄を銜えている。
裏面で一羽だけ飛んでいるのはオシドリではない。この頭部の白いカモは表面にもつがいで登場する。カルガモだろうか。
金銀鈿荘唐大刀 きんぎんでんそうのからたち 北倉 全長99.9鞘長81.5
同展図録は、唐大刀とは中国から舶載された大刀のことで、それを模した国産の飾大刀もこれに含める場合がある。
鞘は木心に薄皮を張り、下地漆を施した後、古式の金蒔絵の技法により鳥獣や唐草文、花雲文などを表している。これは『国家珍宝帳』に「末金鏤」と記される装飾技法で、漆で文様を描き、その上に鑢(やすり)でおろした粗目の金粉を蒔き、さらに透漆(すきうるし)を塗っては研ぎ出す作業を繰り返して文様を浮かび上がらせたものである。平安時代にみられる研出(とぎだし)蒔絵に類する技法で、その先駆的作例として注目されるという。
金箔を細かく切ったものを蒔いてものと思っていたら、NHKの「新日曜美術館」で、蒔絵師が金の塊を鑢でおろしているシーンを見た。工芸品としての金の様々な材料は、全て金箔からつくるのではなく、金塊から直接おろすという方法もあったのだ。
そのような金の1片1片は、金箔を切ったものと比べると立体的になりそうなのは理解できる。それをパラパラと漆で描いた文様の上に蒔くと、立体感のある蒔絵となることもわかった。
正倉院展会場でも、大きく拡大した写真があって、その立体的な重なりがよくわかった。
しかし、大刀そのものを見るには、まず列に並ばなければならない。列は長かったが、割合はけがよかったので、5分ほど待つだけで済んだ。その間に超拡大写真なども見ることが出来た。
そしてやっと実物の前に来ると「立ち止まらないで下さい」という係員の連発する声にせかされることになる。その上、作品の保護のため、暗い会場でも一段と照明が落としてあるので、ほとんどその立体的な重なりがわからず、ただ、平たく金の蒔絵があるというのがわかるに留まったのだった。
こういう場合、図録で確認するしかない。大刀には金具を挟んで両面にそれぞれ三箇所に蒔絵がある。オシドリは一番下の両面に描かれている。
どちらも、花枝というよりも、長いリボンの様な物を銜えて飛んでいる。頭が大きく描かれるのがオシドリだ。
おっちゃんは言う、金は光を発するものではない、光を反射するから輝いて見えるのだと。
また、ガラスケースに反射したり、他のものが写り、作品がよく見えない場合もある。正倉院展と言えば奈良国立博物館の目玉なのに、何をやっておるのだと。もっともである。
金でさえほとんど見えなかったのに、銀など全くわからなかった。図録でさえ確認できない。
さて、今年の奈良は正倉院展だけでない。近くの東大寺にミュージアムができて、「東大寺ミュージアム開館記念」展も開催されていた。そのチラシに大きく出ていた写真もカモだった。
金鈿荘大刀 きんでんそうのたち 東大寺金堂鎮壇具内 長64.8
『東大寺大仏 天平の至宝展図録』は、鞘は黒漆地に、葡萄唐草をくわえた花喰鳥を透かし彫りした金板を貼り付け、樺巻(かばまき)しているという。
はっきりと残っているのは金箔を文様に截って貼り付けたのかと思っていたが、金板だったのか。
図録では鳥を特定していないが、私は何故かこの鳥がオシドリだと思い込んでしまった。妙な飾り羽根のあるオシドリだなと。
しかし、この時代にオシドリをこのような描き方をしたものは見たことがない。念のために図鑑を開くと、可能性のあるのはキンクロハジロくらいだった。
『日本の野鳥』は、長い冠羽を垂らし、金色の目をした黒と白の海ガモ類というだけで、飛んでいる時に冠羽がこのように頭から離れて見えるのかどうかわからない。
よく見ると尾羽もくりんと巻いていて、写実的な描写でもないので、ひょっとすると、これはキンクロハジロではなく、オシドリのつもりで描かれたのかも知れない。
確かに鈿荘は、鑢でおろした金粉よりも、金板の方がくっきりとわかる。
※参考文献
「第63回正倉院展図録」(奈良国立博物館編集 2011年 財団法人仏教美術協会)
「東大寺大仏 天平の至宝展図録」(2010年 東京国立博物館、読売新聞社)
「山渓カラー名鑑 日本の野鳥」(1985年 山と渓谷社)