ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2010/08/04
エレファンティネ島にはナイロメーター
エレファンティネ島はナイロメーターがあることでも有名である。それは島の東端にあるらしい。
正面に見えるのはオールドカタラクトホテル。現在は改装中だが、アガサ・クリスティが滞在して「ナイルに死す」を執筆したホテルだ。クリスティはクヌム神殿を眺めながら作品の構想を練っていたのだろうか。ひょっとすると散策に来ていたかも。
ナイロメーターは説明パネルで⑩だったので、東端の方に下りていき左折。見学できる一番北端にあった。写真で見たような四角い石に刻まれたものと、白い石(大理石?)に刻まれた細長いものとがあった。四角い石は数字で、白い石はアルファベットで、上から順に番号をつけてみた。
どちらも等間隔に並んでいるのではないが、四角い石の目盛りの一番下が、次の四角い石の一番上の目盛りとレベルが合わせてあるのがわかる。白い石の方は離れているので気づかなかったが、おそらく同じようになっていたのだろう。
中には割れているナイロメーターもある。
一番下は右の方に開けていた。
曲がり角から上を見上げる。狭いところだが、他に見学者がいなかったので、じっくりと写真を撮ることができた。
中には、かつてナイロメーターだったらしく、目盛りの跡がかすかにわかる石もあった。
四角い石のナイロメーターは角を曲がって15個あった。白い石のナイロメーターは9個。
ナイロメーターの水の入ってくるところから東岸を眺める。このあたりの自然のままの岩にはところどころにヒエログリフが浮彫されている。ここから対岸の大きな岩にもあるのが見えたが、洪水を願って刻まれたのだろうか。
ナイル川から見ると、開口部から少し離れて四角い石のナイロメーターがあった。水中にもまだ幾つかのナイロメーターがあるのだろうなあ。
現在ではアスワンハイダムのおかげで増水期でも石壁が黒く変色した辺りまでしか水量は増えないが、それまでは一番上のところまで増水することもあったのだろう。
『吉村作治の古代エジプト講義録上』は、定期的に氾濫するとはいっても、その増水の幅は年ごとにまちまちである。そそのため、ナイル川の水をいかにコントロールするかということに、歴代の王たちは腐心してきたのである。
河岸のいたるところにナイロメーター(水位計)を設けて増水の幅を記録し、氾濫の規模や時間を予測した。そして大勢の人々を動員して土木工事を行い灌漑網を整備した。それでもナイル川の水の量自体を調節することはできないから、最後の手段は神頼みであるという。
それでジェゼル王はアスワンにやってきて、イムヘテプという人物に出会ったのだった。それ以前は神殿も日干レンガで造られていたとしても、ナイロメーターが日干レンガ製では役に立たなかっただろうなあ。このナイロメーターはローマ時代のもの(同書より)。
※参考文献
「吉村作治の古代エジプト講義録上」(1996年 講談社+α文庫)