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2010/01/08
中国の連珠円文の始まりはトンボ玉の七曜円文?
洛陽の永寧寺塔跡出土の瓦当が連珠円文の最初だと思っていたら、後漢の瓦当にすでに連珠円文と思われる文様があった。
軒瓦 灰陶 後漢(25-220年) 径49.5 個人蔵
『中国古代の暮らしと夢展図録』は、漢時代には、前代以上に盛んに大型建造物が作られたが、その屋根の軒をこうした瓦が飾っていたのである。この瓦の瓦当には、型押しで「長生無極」の四文字が表されているという。
四文字の内側に連珠状のものがめぐっている。中央の大きな円文の周りに小さな珠がめぐっているので、これも連珠円文といってよいのでは。
それにしても、直径50㎝もの巨大な瓦が軒にずらりと並んでいた建物とは、どのようなものだったのだろう。 そのような見方をすると、円文の周りに円文のめぐるものが他にもあった。
獣帯鏡 銅 前漢末(前1-後1世紀) 西安市南郊出土 径25.4㎝ 西安市文物管理委員会蔵
『世界美術大全集東洋編2秦・漢』は、半球形の鈕を中心に同心円の文様帯で区画した鏡である。鈕座には、放射文のあいだに芝草文を入れた文様帯と、その外側に9つの輻射文乳のあいだに雲気文を配した文様帯とがあるという。
鈕(ちゅう)の外側をめぐる輻射文乳が連珠円文に見えなくもない。
中国の青銅鏡についてわかる範囲では、戦国時代(前5~前3世紀)の金銀象嵌闘争文鏡には乳がなく、前漢になると4つのものもあるが、多数配置されるものも現れる(少ない図版からの判断です)。 しかし、遡る戦国時代には、非常に小さなものに連珠円文のような文様が見られる。
玻璃珠 山東省曲阜市魯国故城58号墓出土 戦国時代(前4-3世紀) 曲阜市文物管理委員会蔵
魯国故城内の墓域にある58号戦国墓から出土した一群の重層貼付同心寄円文珠の一つ。文様の周囲と中心が黄褐色の七曜円文を中央に配し、その周りに中央黄褐色の小同心円文と白・紺の同心円文を交互に配する。
中国独自とされる鉛バリウムガラスで作られており、中国製であることがわかる。同心寄円文は西方には見られず、中国化した同心円文の特徴と考えられる。一方、中心円まで同一色の七曜円文のみを配する珠は、メソポタミアのウルや ・・略・・ 黒海北岸などで出土しており、西方に先行形態があるという。
いわゆる戦国トンボ玉だ。西方から伝えられ、中央の小円文を同じ大きさの6つの小円文が囲む。合計7つになるため、七曜文あるいは七曜円文と呼ばれる。
七曜文を連珠円文と思ったことはないが、そうではないとも言い切れない。 西域文明的發現の『シルクロードのソグド錦』は、ソグド人はシルク貿易の仲買業に甘んじることなく、6世紀末には独自の絹紡績業を作り上げたという。
そうすると後漢(25-220年)には連珠文錦はなかったので、後漢の瓦当に見られるような中央部が無文の連珠文は他の作品から伝わったことになる。
それが西方から伝わったトンボ玉の七曜円文だったのかも。
※参考サイト
西域文明的發現のシルクロードのソグド錦 林梅村 (北京大学考古文博学院教授)
※参考文献
「中国古代の暮らしと夢展図録」 2005-2006年 岡山市立オリエント美術館他
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館