ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。
2009/06/16
唐招提寺の木彫仏にみる翻波式衣文
仏像の時代づけも時と共に変わっていく。30年ほど前には、どっしりと塊量感があり、翻波式衣文があるのは平安前期の貞観彫刻の特色という風に習った。しかし、研究が進んで現在では、奈良末期に鑑真和上が連れてきた仏師達が中国の最新様式で造ったのが、それまで日本では見られなかった量感のある仏像で、それがやがて平安時代様式へと受け継がれていったのだ、というようになってきた。
今春、唐招提寺金堂平成大修理記念として奈良国立博物館で開催された『国宝鑑真和上展』には、数体の木彫仏が展観されていた。非常に暗くて見るのに苦労したが、それらの仏像には、翻波式衣文のないもの、かろうじて1本見つけたものなど、それぞれに相違があったので、翻波式衣文の出現の様子を、勝手に制作順として並べてみると、
1 全く翻波式衣文のないもの
衆宝王菩薩立像 木造 高173.2㎝ 奈良時代(8世紀)
『国宝鑑真和上展図録』は、旧講堂木彫群のうちの一体で、濃厚な唐風は天平勝宝5年(753)に来朝した鑑真一行のうちにいた中国の仏工と密接に関係するとみなされる。カヤの一木造で、いまは全体に素地があらわれている。丸い頭髪の上に思いきり高く髻(もとどり)を結い、頬から頸、肩にかけて力強い肉付けを見せながら真っすぐ立つ量感に溢れた姿は、自然さを基調とするそれまでの天平彫刻とはまったく異質である。同時に、宝冠や腰の石帯に見られる細やかな意匠は中国壇像のそれと相通ずるもので、これらによって中唐期の木彫様式を窺うこともできる。本像をはじめとする木彫群の登場が、わが国の木彫に影響を及ぼし、その後の発展に果たした役割は非常に大きいという。
中唐期は『中国の仏教美術』では762-826年とされていて、鑑真さんが来朝したよりも後になるんやけどなあ。 2 翻波式衣文が1本見られるもの
薬師如来立像 木造 像高160.2 奈良時代(8世紀)
頭、体ともいちじるしく量感に富んだ力強い表現が示され、加えて衣文の構成は体躯の隆まりを強調するように下半身では両脚間に集中して刻出されている。こうした抑揚のはっきりした造形は、8世紀後半の中国中唐期の彫刻様式の影響を受けて、天平時代後期の木彫のうちに展開し、やがて平安時代初期壇像の表現に連なっている。また葺軸下の心棒まで共彫する技法や五尺五寸の像高など、神護寺本尊の薬師壇像にそのまま受け継がれているのが注目されるという。
この立像は鑑真和上像がガラスのケースの中に安置されている部屋の次の間に入ったところにあって、360度眺めることができた。そして、左腕の衣文線の中に1本だけだが翻波式衣文が表されてるのを見つけた。一般に翻波式衣文は、大きな襞と襞の間に浅く、或いは細く表される衣文をいうが、この像唯一の翻波式衣文は、他の襞とは方向も折り方も異なった突起線のように表されている。 3 浅く大きな翻波式衣文が数本見られるもの
獅子吼菩薩立像 木造 像高171.8㎝ 奈良時代(8世紀)
目鼻立ちを顔面中央に集めた厳しい面相、力強い広がりを示す正面の造形、重厚な量感表現、あるいは翻波式の衣文など平安前期木彫様式の先駆となる作風がすでに展開されているという。
解説に翻波式衣文という言葉が出てきた。本来の襞と襞の間が広いので、非常に浅い翻波式衣文になっていて、特に彫り出さなくてもとも思うが、少し離れて眺めると、翻波式衣文が立体感を増しているようだ。 4 浅い翻波式衣文があり、はっきりとした翻波式衣文がみられるもの
伝大自在王菩薩立像 木造 像高169.4㎝ 奈良時代(8世紀)
旧講堂木彫群中の一体で、現在の大自在王菩薩との呼称は本来のものではない。
衆宝王・獅子吼に見られた際だった唐風が、次第に日本的感覚で整えられつつあるとされる。本像は平安前期木彫様式の進展に重要な基盤をなした一連の唐招提寺奈良朝木彫群の多様性をうかがわせる作例としても注目されるという。
腹部の裙の折り返しに浅い翻波式衣文がある。そして天衣にも1本の翻波式衣文があるが、これは細いが今まで見てきた中では最も深い。 5 密集した衣文の間に1本ずつ翻波式衣文が見られるもの
如来立像 木造 像高154.0㎝ 平安時代(9世紀)
すらりと伸びた下半身や、胸や大腿部の滑らかな曲面に独特の表情がある。一方、着衣に刻まれた流麗な翻波式衣文が心地よいリズムを奏でており、像表面の線条的な階調によって、宗教的崇高感を醸し出そうとすることに作者のねらいがあったかと思われるという。
これが典型的な平安木彫の翻波式衣文だ。 そうそう、鑑真和上像には全く翻波式衣文が見られなかった。
鑑真和上像はこれらの木彫と異なって脱活乾漆で造られているので、唐の仏工ではなく、日本の仏工が造ったのではないだろうか。
膝をじっくりと見ていると、かなりでこぼこがあって、劣化が進んでいるようで、久しぶりに見た鑑真さんは痛々しかった。
関連項目
唐招提寺の四天王像
※参考文献
「国宝鑑真和上展図録」(2009年 TBS)
「天平」(1998年 奈良国立博物館)
「日本の仏像13 唐招提寺鑑真和上像と金堂」(2007年 講談社)
「中国の仏教美術」(久野美樹 1999年 東信堂)