そして、黒柿という素材から日本製と思われる厨子には、奈良時代にそんなものがあったのかとびっくりの技術が駆使されていた。
黒柿両面厨子(くろがきのりょうめんずし、両面開きの戸棚) 2008年(第60回正倉院展)
同展図録は、前後両面に観音開きの扉をつけており、両面から使用できるようになっている。内部には棚板が1枚あり、上下2段に分かれており、戸棚のように用いられたと考えられる。天板及び底板はともに7枚矧ぎという。合板のような技術が奈良時代にあったのだ。

日本製でも、薄板を貼り合わせて反り返りを防ぐというような技術は、きっと中国から伝来されたものだろう。しかし、探しても、中国の現存する美術品で木製のものを見つけ出すことすらできなかった。
そこで検索してみると、日本合板工業組合連合会の合板とはに、合板の製造技術の基になる薄く剥いた板を木材などの表面に接着する手法は、B.C.1500年代古代エジプトで行われていました。その手法はローマ時代、ルネッサンス時代に受け継がれ手工業的工法で家具やドアなどを作るのに利用されました。1870年代頃ヨーロッパで単板(薄く剥いた板)切削用にベニヤレースが使われるようになり、1880年代頃には工業化されていたとされています。その後合板は世界各地に広まり、近代的工業に成長しつづけました。日本では1907年(明治40年)、名古屋の浅野吉次郎が独自に開発したベニヤレースの実用化によって始まったとされているという。
エジプトの合板製の遺物は見つけることができなかったが、合板という技術は、ローマ時代以降、はるばるとシルクロードを経由して、中国から日本にまで伝わったのだろうなあ。
※参考サイト
日本合板工業組合連合会(略称として「日合連」<にちごうれん>)の合板とは
※参考文献
「第六十回正倉院展図録」(2008年 財団法人仏教美術協会)