南側から金堂と塔を横並びに撮ることはできない。西院の境内は金堂・塔の南側よりも北側の方が広くなっているので、並べて撮るなら北側からになる。

法隆寺でもらったしおりを見ると、塔・金堂から南面回廊とほぼ等間隔のところで、北面回廊は東西回廊から出ているのだが、すぐに北側に折れて、講堂を取り込んでいる。回廊は凸字の形になっているのだ。
何故こんな折れ曲がる回廊にしてまで大講堂を取り込んだのだろう?北面回廊がそのまま一直線になって、講堂が山田寺のように回廊の外になることが都合が悪かったのだろうか?塔と金堂が並列するようになっても、講堂は四天王寺式のように北面回廊の位置におくことにこだわったのだろうか。








4時半を過ぎるともう日が傾いてしまった。

※参考文献
法隆寺のしおり