鐙は騎馬民族にとって絶対に必要な物というわけではなかった。騎馬民族ではない日本人にとって、馬に乗ることの助けになったのが鐙である。3世紀末から4世紀初めの箸墓古墳より出土した輪鐙が日本で最古であるらしいが、6世紀後半の藤ノ木古墳から出土したのが壺鐙でかなりの進化である。この壺鐙は日本独特のものだったのだろうか。
鐙 天馬塚出土 6世紀 金銅・木製 韓国国立博物館蔵
『黄金の国・新羅展図録』は、木心に薄い金銅板を貼り、その表面に鋲を打ち固定する形態である。断面方形の木棒を曲げて製作し、 ・・略・・ 天馬塚では、このような形態の鐙が3対出土し、飾履塚・金鈴塚・金冠塚などでもこれと類似した鐙が出土しているという。
輪鐙だった。

輪鐙に足を置いているのがよくわかる。他にも騎馬像はあったが鐙のあるのはこの作品だけだった。馬の胸についているのは注ぎ口なので、騎馬人物像ではなく、容器である。

鐙の柄部の端に穿孔し、そこに革帯を繋いで鞍から吊して使用する。鐙は、その材質によって、木材で製作した後に表面に金属板を貼るものと金属だけで製作するものに区別でき、形態によって輪鐙と壺鐙に大別される。
輪鐙は三国時代に普遍的に使用された鐙で、足をかける輪部と革帯で鞍と繋ぐための柄部に区分される。輪鐙は鐙の全形を木材で製作した後、その表面の一部、もしくは全面に金属板を貼った木心金属板貼輪鐙から、鐙全体を鉄などの金属で製作する金属製輪鐙へと変化する。壺鐙は、足をかける部分が靴の前半分のような形をしており、馬で走る時に足が容易には外れないようになっている。三国時代の例としては、陝川・磻(ばん)渓堤夕地区A号墳、陝川・玉田75号墳などの出土例以外にはほとんどなく、統一新羅時代(668-935)以後の製品が多数を占める。
このような馬具は、安岳3号墳のような高句麗の古墳壁画や三国時代古墳から出土する鐙や鞍などから、おおよそ4世紀代には朝鮮半島に定着したようであるという。
壺鐙は少ないながら三国時代には存在したようで、その画像がないのが残念だが、壺鐙が日本で改良された鐙ではないことがわかった。
※参考文献
「黄金の国・新羅-王陵の至宝-展図録」 2004年 韓国国立慶州博物館・奈良国立博物館