喬家大院の四合院には出入口や窓もアーチ形になっているところがあったが、室内は平天井だった。


渾漆齋大院という有名な漆芸家の工房は、その昔日昇昌の支配人・冀玉崗氏の祖先の住宅だったのだそうだ。塀の高い立派な邸で、その入口もアーチ形だった。



黄土高原で、窰洞という形態の住居がいつ頃から造られていたのかわからないが、四合院にも入り込んでくるほど、窰洞は夏暑く冬寒い山西省の気候に合った住居なのだろう。
ホシガラスが埋めて食べ忘れた種のように、バラバラに芽を出した記事が、枝分かれして他の記事と関連づけられることが多くなった。 これから先も枝葉を出して、それを別の種から出た茎と交叉させ、複雑な唐草に育てて行きたい。