晋祠の次に行ったのは喬家大院という清代の大邸宅だった。
ガイドブックは、平遥の東北35㎞にある、喬一族のかつての大邸宅で、中国北方民家建築の典型。「紅夢」のロケ地となったことでも有名になった。高さ約10mの壁に囲まれた約8720㎡の敷地内に300を超す部屋があり、清末から中華民国にかけて国内外に名をはせた金融資本家・喬一族の生活をうかがい知ることができる。喬家大院は民俗博物館として内部は6つの展示区画に分かれ、喬家の所有していた珍宝や民俗工芸品などが陳列されており、中国アンティークファンにはこたえられない内容だという。
屈さんの説明では部屋数は130ほどだった。案内図があったが、そんなにたくさん部屋があるようには思えない。

私の頭の中で清代といえば派手な陶磁器が浮かぶので、塀や建物が高温で焼きしめられたレンガ(磚、せん)で造られている建物は新鮮だった。硬質で均質な磚がびっしりと積み重ねられた壁面は、ヨーロッパの大きな切石を積み上げた建物ともまた違う雰囲気だった。





屈さんは票号は中国の銀行です。日が昇るように繁盛するという意味です。通貨の銀を運ぶのは大変でした。そして危険なので、為替を考え出しましたと説明してくれた。



北京の四合院に限れば、遼代には基本的な構造は形成されており、その後の金、元、明、清代を経て現在のような構成となったという。
※参考ウェブサイト
ウィキペディア 四合院の模型が出ています