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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2007/08/01

山西省で四合院巡り



晋祠の次に行ったのは喬家大院という清代の大邸宅だった。
ガイドブックは、平遥の東北35㎞にある、喬一族のかつての大邸宅で、中国北方民家建築の典型。「紅夢」のロケ地となったことでも有名になった。高さ約10mの壁に囲まれた約8720㎡の敷地内に300を超す部屋があり、清末から中華民国にかけて国内外に名をはせた金融資本家・喬一族の生活をうかがい知ることができる。喬家大院は民俗博物館として内部は6つの展示区画に分かれ、喬家の所有していた珍宝や民俗工芸品などが陳列されており、中国アンティークファンにはこたえられない内容だという。
屈さんの説明では部屋数は130ほどだった。案内図があったが、そんなにたくさん部屋があるようには思えない。 東側の入口から西へとのびる大院甬道の両側に、四合院という中国北方民家の伝統的な間取りが組み合わせてあるらしい。間取りは風水に従っていると屈さんが言っていた。こんなに高い塀に囲まれているのが一軒の家の通路とは。
私の頭の中で清代といえば派手な陶磁器が浮かぶので、塀や建物が高温で焼きしめられたレンガ(磚、せん)で造られている建物は新鮮だった。硬質で均質な磚がびっしりと積み重ねられた壁面は、ヨーロッパの大きな切石を積み上げた建物ともまた違う雰囲気だった。 四合院には門から入っていく。 四合院にはそれぞれ中庭があるのだが、日本人の思う中庭とはだいぶイメージが違う。ここも磚が敷き詰められている。 中には民衆に演劇などを見せる舞台のある四合院もあった。さすがに名士の邸宅である。 その後行った明代の城壁が残る平遥(世界遺産)の中に残る家々も四合院という形式のもののようだった。 住居だけではない、「日昇昌記」という票号の建物(現在は博物館)も四合院になっていた。
屈さんは票号は中国の銀行です。日が昇るように繁盛するという意味です。通貨の銀を運ぶのは大変でした。そして危険なので、為替を考え出しましたと説明してくれた。 これだけの部屋数があるのは、従業員が寝泊まりしたり、来客を泊める部屋などもあったかららしい。 このように四角い中庭を四角い部屋が囲んでいるのだが、屈さんに付いて歩くだけなので、どこをどう通ったのか覚えていない。ウィキペディアは、山西省等では西日を避けるために東西の幅を狭く、南北の幅を長くしている。
北京の四合院に限れば、遼代には基本的な構造は形成されており、その後の金、元、明、清代を経て現在のような構成となった
という。


※参考ウェブサイト
ウィキペディア 四合院の模型が出ています