仏宮寺釈迦塔は、『図説中国文明史8 遼西夏金元』によると、遼の興宗(こうそう、第7代皇帝)の皇后の父簫孝穆が建てたもので、官式建築です。1尺を29.4㎝とする唐の寸法が使われましたという。

ガイドの屈さんは、三世仏です。左側に過去仏の燃燈仏、右側に未来仏の弥勒ですという。

途中に踊り場でもなく階段の継ぎ目があった。そこは天井裏のような感じだったが、暗くてよくわからなかった。
『中国仏塔紀行』は、初層に裳階(もこし)を付けた中国に現存する最古の木造塔。塔は2段の基壇上に側柱と入側柱を梁によって組み、積み上げた構造で、外観は5層だが、各層間に暗層(天井裏)が設けられており、実際は9層となっているという。
木造では一番高いのだが、高いものを眺めたなあという気がしない。

同書は、塔は八角形で、唐代の四角形にくらべ、より安定している。また上から見ると筒が二層重なったような構造は、心柱を周囲に押し広げて、塔の内側に柱を環状に立てたようにしており、空間を広げるだけでなく塔の強度もおおいに増したという。
「上から見ると筒が二層重なったような構造」については、『中国建築の歴史』に平面図(プラン)があった。


いつの時代にも、北方民族は漢族の進んだ文化にあこがれがあったのだなあ。
さて、二層目に登りつくと古い隙間の多い床だった。 階段手すりの角度からも階段がいかに急かがわかる。また、八角形のため、放射状の梁が強さを感じる。

『図説中国文明史8 遼西夏金元』 は、遼代建築の設計は唐の特徴を受け継いでいるものの、発展した部分もあり、いくつかの重要な変化があらわてれいます。機能面での必要性から、柱の配置は唐代建築の厳格な対称構造をやぶって、ほんらい仏像を置いていた場所を後方にずらし、前方の空間を広げましたが、こうした変化はまぎれもなく、金代の減柱法(げんちゅうほう)や移柱法(いちゅうほう)の先駆けですという。
仏像の位置が中央からずれているのは記憶にないのだが、床が傾いているのは歩いていてよくわかった。残念ながら現在はこの二層目までしか登れない。




※参考文献
「中国仏塔紀行」(長谷川周著 2006年 東方出版)
「図説中国文明史8 遼西夏金元」(劉煒編・杭侃著 2006年 創元社)
「中国建築の歴史」(中国建築史編集委員会 1981年 平凡社)
「山西古建築通覧」(李玉明主編 1987年 山西人民出版社)
※参考ウェブサイト
日本すきま漫遊記より組み物の各部の名称
風に吹かれて匠の心意気