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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2024/12/10

ブルサで見たステンドグラス


『トルコ・イスラム建築』は、イェシルジャーミイは、モスクは、建物が1414-19年に建設し終え、室内のタイルの装飾などは1424年に完成したという。
そんな早い時期に細かな色ガラスのステンドグラスがあるのには驚いた。

礼拝室の壁面三方とドーム移行部のトルコ襞の間には細かな植物文様のステンドグラスがあったのだ

礼拝室ドーム移行部
ステンドグラスはスレイマニエジャーミイや墓廟が造られた時期にもたらされたということだが、このステンドグラスが創建時期(遅くとも1424年)のものだったとすると、イスファハーンのチェヘル・ソトゥーン宮殿で見たイマームの扉という色ガラスを網目状のストゥッコに嵌め込んだステンドグラスのようなもの(1453)に先行している。
どれが壺?と言われてもよく分からないほど複雑に絡んでいる。ただの葉だろうか。

ミフラーブ脇のステンドグラスにはうねりのある葉が積み重なっている。丸いガラスが大きめというくらいで、16世紀のイスタンブールでミマールスィナンが建設したモスクや墓廟のステンドグラスとはそう違わない技術がすでにアナトリアにあったか、タブリーズあたりからもたらされたのだろう。



イスタンブールのメフメト廟(1548年)にあるステンドグラスのうちの1枚。このようなうねりのある葉が変化していったのかも。


イェシルトゥルベのステンドグラス
ドーム下8辺に一つずつ

せっかく写したのにみごとにピンボケ


八つの壁面上部のステンドグラス
このステンドグラスの方が、イシェルジャーミイのステンドグラスとの共通性が感じられる。


せっかくなので、チェヘル・ストーン宮殿で見たステンドグラスとしか思えない「イマームの扉」を再掲載。

イマームの扉(Imamzadegane-Darbe-Emam) 15世紀 網目状の漆喰、ガラス
館内の説明パネルは、トルキスタンを統治していたカラコユンル(黒羊)朝ジャハンシャーの時。イスラム暦857年(西暦1453)に完成したイマームの息子たちの墓廟のもので、チェヘル・ソトゥーンに移送された日付は不明。
このストゥッコの傑作は、優美な花と美しい鳥のデザインで、11の枠で仕切られている。無傷の裏側は、大小の色ガラスが嵌め込まれているが、それは上に置かれた型造りの漆喰と遜色ない繊細さであるという。
カリグラフィーはない。あまりにも極彩色だったので、そんなに古いものとは思わなかった。  

最も大きなガラス片で径3㎝。色ガラスはストゥッコの形になっているので、窓を通して入る光の通路が、色彩の饗宴をなし、それが生き生きとして見える
という。

イェシルジャーミイのステンドグラスと比べると、こちらの方が細く肥痩のない線で壺が表されている。壺は小さな脚部から極端に張った肩部、そして細く絞られた頸部から高くつきでた口縁部に、S字形の双耳と、左右対称を崩すことなく文様が展開している。
ふと思ったのだが、このような壺の形から、イェシルジャーミイのステンドグラスのような、太くなったり細くなったりしながら、広がったりすぼまったりを繰り返すモティーフへと変化していったのかも。


ウルジャーミイ(1400年完成)、ミフラーブ上部のステンドグラス

左側
これも壺から変化したものだろうか。半円アーチとその下の矩形のパネルは文様は連続していない。

右側は外枠の緑と赤の配置が違うだけ。このようなステンドグラスが、創建時のものなのかは不明。


15世紀のブルサのステンドグラスにはカリグラフィーは全くなかった。



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参考文献
トルコ・イスラム建築」 飯島英夫 2010年 富士房インターナショナル