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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2022/10/14

中之島にダイビル


中之島を歩いていると

 DAIBIRU HONKAN・NAKANOSHIMA DAIBIRU RESTAURANTS&SHOPS より


不思議な装飾柱のある建物が目に付いた。

ロマネスクっぽいが、動物や植物を区画する組紐文が組紐になっていない。


長い柱の上にはガラスのタンパンにアカンサスの葉や歯形文様などが並んでいるし、タンパンの隅には人が顔を出している。また、渦巻が卵鏃文様を包んだような柱頭の上にはイヌかネコの頭。その間にはサンティァーゴへの巡礼者が付ける帆立貝のような装飾。その間には小さなアーチが並んだロンバルド帯も。


西へ歩いていくと、また同じような装飾のある建物が表れた。しかも、こちらの方が古そうだ。

玄関はもっと装飾的。
ダイビルという名称であることが判明。
館内でいただいたパンフレットは、1925年旧ダイビル本館完工。
大阪商船(現商船三井)の本社社屋(残余のスペースは賃貸)として、渡辺節の設計・大林組施工により1925年に完工しました。
渡辺節は近代日本の建築家。古典主義をベースとした洋式建築を得意とし、旧ダイビル本館設計以前には旧京都駅、旧日本興業銀行本店を設計という。

旧京都駅か。二階建ての駅舎だったことくらいしか記憶にないけれど・・・
京都・梅の小路エリアガイド京都駅の変遷を知る!で、渡辺節氏が設計したのは2代目駅舎でルネサンス風、私が知っているのは昭和27年に建てられた3代目。

話をダイビルに戻すと、
同パンフレットは、旧ダイビル本館完工の2年前に発生した関東大震災の教訓を生かし、大阪では最初に耐震構造を採用しました。また、オリエント風を加味したネオロマネスク洋式の旧ダイビル本館は要部に彫塑が施されており、中でも中央玄関に飾られた「鷲と少女の像」やギリシャ風彫刻が施された1階正面の円柱・角柱(兵庫県の竜山石を使用)が、建物の格調をより一層高めていますという。
竜山石は古墳時代の石棺によく使われた溶結凝灰岩だが、今でも採石が行われている。
それについてはこちら

内側は葉文様が重なったようでもあり、蔓草が交差した中に植物が表されているようにも見える。

その両脇の下側には、転法輪をのせたシカは、ガンダーラ出土の初転法輪の浮彫を想起させる。

人頭が柱間にあったり、植物由来の装飾があったり、あれ、平たい左腕がにょきっと出ていて、何かを握っている。それは下から交差しながら伸びている3本の蔓草で、この腕も蔓草の一部になっている。


タンパン(半円形の部分 ロマネスクの教会玄関によく見られる)の上にあるのが鷲と少女の像。
以前に中之島公園を歩いていて、こんな写真を撮影していた
どうやら翼を広げて空を飛ぶ3羽の鷲の上に立つ少女は、斜め右を向いて右手をあげている。

タンパン部分
アカンサスの葉が並んだ装飾帯と、変化したイオニア式柱頭は、植物と化した人間のようでもある。その下にもアカンサスの葉。外側大の渦巻の中に花弁のある装飾はオリジナルかも。

移動して写した柱状の装飾
2本の蔓が二重の輪っかの中で交差する。こちらの方が植物っぽいかな。
最下部から、ドラゴンのようなものが背中合わせに睨みをきかせ、その上は魚?、2匹の蛇が銘板を抱え、雄鶏が横を向き、人間が二重の輪っかに座っている。

その人間は長い蕾のようなものを背中に回しているのは風神? その上には羊が横向きに表されている。

また別の円柱は3本の蔓を二重の輪っかの中で交差して、上には卵鏃文のある柱頭を渦巻が支えている。その上には渦巻いた角の牡羊の頭部が正面を向いている。
竜山石の表面が丁寧に細かな斫りで仕上げられていることも、拡大した写真で知ることができた。

別の柱の上には雄ライオンも。


1925年本館完工当時の外観西側の角は丸みのある鋭角になっている。
DAIBIRU HONKAN・NAKANOSHIMA DAIBIRU RESTAURANTS&SHOPS より

西壁を眺めていると、スクラッチ・タイルが使われていた。
スクラッチ・タイル(レンガ)はフランク・ロイド・ライトが設計し、1923年に完成した旧帝国ホテル中央玄関に使われていた。
1925年に完成した旧ダイビルにもスクラッチ・タイル。同じ工場で製造されたものだろうか。

現代的な高架の通路の下見上げたレトロなスクラッチ・タイルの壁面

それだけではない。ガラス張りのような高層部をレンガの建物が支えていた。


また、パンフレットは、

大ビル倶楽部
ゆとりある一流ビルの貫禄を内外に印象づけることも考慮し、1926年には最上階に大ビル倶楽部が設立され、在館者のための社交の場に供されました。倶楽部内には社交室、読書室、娯楽室のほか食堂、ビリヤード場などが配され、関西財界の要人により食事や会合の目的などで使用されましたという。
元々オフィスビルではなかったのだ。

現在はどんな人々が使ってているのだろう。
玄関に戻って恐る恐る入ってみたが、誰も見向きもしない。入ってもええの?

玄関側を振り返る。

隅の古風な私設郵便函。今でも使われているのかな?
おばちゃん、いやおばあちゃんともなれば厚かましさも人一倍。あれこれ写しまくるが咎める人もいない。

左隣は隙間をあけたレンガ積み、いや竜山石を一定の大きさにした切石に違いない。

奥はエレベータ室になっていて、さすがの昔お嬢さんは乗るのが憚られた。

この凹面のガラスには等間隔の線の間に凸凹が施されている。後日ますます活躍されている田上惠美子氏に尋ねると、一つ一つ研磨されてますなる研磨って一番時間がかかるんですよとのこと。

玄関ホールの西側も2階まで吹き抜けで、店舗が並んでいる。

エスカレータで2階に上がってみた。レストランやカフェを通り過ぎて玄関ホールの上にある通路にやってきた。
エレベータにエレベータが通っていない時は、ガラスが青く見える。開口部の両上隅が下を向いた人の横顔に見えるのだが・・・
竜山石を積み上げたシンプルな壁面には、レトロな金属の柵がよく似合う。

2階の天井いにはかなり厚みのある漆喰装飾が施されている。
これはきっとお城の修復などを手がける鏝師によるものだろう。神社仏閣の建造や修復を行うのは宮大工と呼ばれるが、城鏝師という人たちもいるのだろうか。

玄関ホールを見下ろすと、文様のないタイルが色彩豊かに並んでいた。

焼きものというのは、同じ窯で焼成しても、置かれた場所や温度で色が違ってくる。そんな変化を楽しんでいるような床面である。

ダイビル本館へのアクセス
京阪中之島線「渡辺橋駅」より地下直結 徒歩1分 
地下鉄四つ橋線「肥後橋駅」より地下直結 徒歩6分 
地下鉄御堂筋線「淀屋橋」より徒歩8分 
JR各線「大阪駅」より徒歩14分
ダイビル本館 大阪市北区中之島3-6-32
中之島ダイビル大阪市北区中之島3-3-23

                       →藤田美術館

関連項目

参考サイト