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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2021/04/30

麦積山石窟142窟 にぎやかな窟


142窟 北魏末期 平面方形平天井 窟高2.15m、幅2.03m、奥行2.54m
『天水麦積山』は、麦積山でも最も内容が豊富ということで代表的な窟である。西崖区東側にある。仏、菩薩の両側にはそれぞれ5、6層の塑像が貼り付けられている。仏、菩薩、弟子そして供養者など。麦積山では内容が最も豊富な石窟の一つであるという。
麦積山石窟の北魏窟では一般的な大きさの窟であるが、背後の壁面に多種多様な塑像が貼り付けられていて、北魏末期窟の中でも、特異な石窟である😲
麦積山142窟正壁 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

正壁 一仏二菩薩像 如来高さ1.82m
『天水麦積山』は、釈迦如来の説法の場面を表す。顔は長円形、首は細長く、上身は扁平で壁面に貼り付いている。通肩の大衣を被り、裳裾は台座を覆うという。
通肩とは言うが、ガンダーラ風から中国風になって、僧祇支や帯などが見えるくらい、ゆったりと大衣を着ている。
麦積山142窟正壁仏三尊像 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

東壁如来坐像及び仏弟子像 如来像高1.58m
『天水麦積山』は、迦葉像はなくなっているという。
西壁の釈迦と共に、長く垂らした大衣から右足を出して結跏趺坐し、大きな足の裏を見せている。
三世仏の内の過去仏、燃燈仏だろうか。正壁の釈迦とは異なり、顔は柔和で笑みさえ感じる。
麦積山142窟東壁如来坐像及び仏弟子 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

主尊左脇侍菩薩と東壁仏弟子 仏弟子高さ0.92m
『天水麦積山』は、脇侍菩薩は円形台の上に裸足で立つという。
菩薩も阿難も裸足だ。老人の迦葉には見えないが、あまり若い弟子には見えない🤔
『中国石窟芸術』は、弓なりの眉、澄んだ目は月のよう、唇は軽く閉じ、顔は清秀で、襟を立て、双領下垂式の僧衣をゆったりと着ている。袖には円弧状の折帯文を線刻する。衣端にはラピスラズリあるいはトルコ石で彩色されているという。
彩色がよく残っているせいだろうか、弟子の着衣の折畳文が華やかに見える。
麦積山142窟正壁左脇侍と東壁仏弟子 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

西壁左脇侍菩薩像 像高0.92m
『中国石窟芸術』は、交脚菩薩の脇侍である。髪髻は高く、髪筋の線は細い。双領下垂式の僧衣を着け、胸前に両手で供物を持つ。袖縁には弧形折帯文(中国語のまま)が連続し、流暢な線である。裙の裾は外側に開き、靴を履いた足が見える。両足は円台の上に乗る。着衣はラピスラズリ、トルコ石、紅で彩色されているという。
折畳まれた衣端がジグザグに表されるのは、古代ギリシアから伝播された着衣の表現法だが、東壁仏弟子の着衣に見られるような折畳文とは異なる、一風変わった折畳文のように感じる。
西壁には数段に大きな千仏が貼り付けられているし、正壁の方にもあるが、如来だけではない。それに壁面には水玉模様のようなものが描かれている。
麦積山142窟西壁脇侍菩薩像 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

西壁交脚菩薩像 像高1.51m
『中国石窟芸術』は、髻を高く束ね、面長。弓なりの眉、大きな目、細長い首、首には鈴の点いた飾りを付ける。広く大きな帔帛は肩と二の腕を覆い、先端が外に張り出し。腹部の下で交差する。宝珠や珊瑚を通した長い瓔珞を垂らす。左手で帔帛と瓔珞を持つ。脚は足首で交差し、ぴったりした靴を履く。裙の裾は沢山の衣端が垂れている。
造形は細身で秀骨清像の特徴がよく現れているという。
盛り上がった肉髻ではなく、束ねた髪を結っているのだった。
着衣の襞は浅い線刻で、よほど薄い布の裙なのか、幾重にも重なった衣端の襞の表し方が独特の菩薩像である。 
右脇侍菩薩は最初からなかったのだろうか。
麦積山142窟西壁交脚菩薩像及び力士像 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

南壁力士像 0.64m
『中国石窟芸術』は、小さな髻、眉頭に皺を刻む。眉は盛り上がり、目玉は突き出て、鼻は広がる。尖った牙を出した口、胡髭を線刻する。帔帛は肩をと二の腕を覆い、腿のところで交差する。ハイウエストの裙は外に折り返して襞をたたみ、陰刻で衣文線をつける。左腕は筋肉を表現するという。
下唇を噛み締めて、外から入ろうとする邪悪なものを威嚇しているのだろう。
麦積山142窟南壁力士像 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

正壁西端1段目 弟子高さ0.14m
とても不思議な造形である。とても仏教石窟にあるものとは思えない。
『中国石窟芸術』は、正壁と西壁の境の窟頂には象の頭がある。その頭頂にはイノシシがいる。象の耳は下に垂れ、鼻は湾曲して前に伸びる。象の頭の右側には一人の坐禅する僧、鼻の右側には如来が立っていて、跪いて如来を拝む弟子、その左には菩薩が立っている。全てが塑造である。
弟子の顔は清秀で、双領下垂式の袈裟を着て、黒、緑、藍などで彩色されているという。
象の頭は、釈迦の右眷属が象に乗る普賢菩薩であることを示しているのだろうか。
その鼻の近辺で、釈迦に跪いて巨大な手を合わせる弟子や菩薩などが表されているのは、どういうことなのかは分かっていないらしい。
その上に坐禅する僧や、イノシシがいたりと、楽しい場面である。
麦積山142窟正壁 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

正壁西端2段目 母高さ0.24m
『中国石窟芸術』は、母子の供養者、母は籠冠を戴き、表情は穏やか。大衣は通肩でゆったりとして、裙は脚部を隠している。右手には仏具を持ち、左手で子供の右腕を取っている。麦積山石窟では供養者の中では珍しい組み合わせであるという。
背後の丸いものは蓮の葉や花かも🙃 
麦積山142窟正壁 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

正壁と東壁の接合部上部
『中国石窟芸術』は、サルの頭が見える。後部に耳がある。弓なりの眉、丸い目、鼻筋は細く、顎は胡人のよう。サルの頭の上には双樹、その上に如来が坐している。サルの頭の左側から蔓草の葉が伸びる。葉の上にはガチョウがいる。羽根を伸ばし、下を見ている。サルの頭の右側には跪く弟子が3人。下には如来立像と脇侍菩薩が貼り付けられているという。 
左上のものが象の頭なら、右は文殊菩薩が乗る獅子ではなく、サルとは🤔
それにしても、サルの頭から生えているのは角ではなく樹木だったり、蔓草の上にはガチョウがいたりと、仏教には関係がないようなものが造形されていて、興味深い窟である。
麦積山142窟正壁 北魏末期

東壁 如来と弟子の間 如来、菩薩、弟子像 如来高さ0.26m 影塑(型造りの塑像)
『中国石窟芸術』は、釈迦は高い肉髻、細長い顔、偏袒右肩の大衣を着て、裳裾を台座に掛ける。着衣は重厚である。右手は施無畏印で左手は大衣の角を握る。
弟子は釈迦の方を向いて双領下垂式の僧衣を着、右手を挙げて左手はおろす。
菩薩は高い肉髻、襟を合わせる内着に両肩を覆う大衣。左手は胸前に挙げ、右手は腹部で蓮蕾を握る。
これらの造形は清秀で、着衣はゆったりとして、典型的な秀骨清像で、褒衣博帯が特徴であるという。
麦積山142窟正壁 北魏末期 『中国石窟芸術 麦積山』より

壁面には如来や菩薩、僧、供養者などの塑像がにぎやかに貼り付けられているだけでなく、窟頂部には壁画が残っている。
『中国石窟芸術』は、頂部には飛天を描き、泥塑の飛天や花飾りなどを貼り付けている。飛天の姿はそれぞれ異なるという。

飛天図
『中国石窟芸術』は、黒髪を双鬢髻にまとめ、横向きで肌は白い。黒い襟のある着衣、藍色と白の縦縞の裙を着け、腰は細い。飄帯は紅色と藍色で、後方に翻るという。
麦積山142窟正壁 北魏末期

『中国石窟芸術』は、飄帯は周囲の雲気や花卉に伴って翻るという。
脚部を見ると、駆けているようで、腹部から体を曲げて宙に浮かぶ飛天とは異なり、躍動感がある。
麦積山142窟正壁 北魏末期

同じ北魏末期に開鑿された133窟の壁画とも違う、軽快な飛天が天井に描かれた窟のよう。

   麦積山石窟 北魏窟←    →麦積山石窟121・123窟 北魏末期から西魏へ 

関連項目

参考文献
「中国石窟 天水麦積山」 天水麦積山石窟芸術研究所 1998年 文物出版社
「中国石窟芸術 麦積山」 花平宁・魏文斌主編 2013年 江□鳳凰美術出版社
「北魏仏教造像史の研究」 石松日奈子 2005年 ブリュッケ