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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2021/02/19

敦煌莫高窟19 428窟は一仏二弟子二菩薩像の最初


莫高窟は、鳴沙山の東端は大泉河が浸蝕した南北に連なる崖になっていて、そこに窟群が開鑿されているので、開口部は東向き、正壁は西壁となっている。
敦煌莫高窟の428窟(北周)と427窟(隋)は、隣り合う中心柱窟で、それぞれの特徴がそれぞれの時代の様式を表している。
敦煌莫高窟 427・428窟平面図 『敦煌莫高窟1』より

428窟 北周期(557-581)
『敦煌莫高窟1』は、敦煌の早期では最大の中心柱窟、幅10.8m、奥行13.75m。北魏の254・257・248窟などとほぼ同じ形である。
中心柱四面龕内には結跏趺坐する如来が説法する様子を表現している。如来の顔は四角く、着衣は褒衣博帯という。

『中国の仏教美術』は、この時代を代表するのは第428窟である。莫高窟の北周塑像もまた、坐像にあっては胴長、全体としては頭部が大きめで、いわゆる童子形といえるという。
やはり中心柱を右繞する通路の天井はラテルネンデッケが並んでいる。
428窟中心柱東向き壁 釈迦説法像 北周 『敦煌の美と心 シルクロード夢幻』より

龕外にいるのは菩薩で、天王ではない。龕内には、上図では釈迦の右手に阿難が、下図では釈迦の左手には迦葉という十大弟子の最年少と最年長が釈迦の説法を聴いている。
『敦煌の美と心』は、仏弟子は右が迦葉、左が阿難である。莫高窟の初期の塑像は仏・菩薩・天王だけであったが、北周から仏弟子があらわれるようになる。この窟の仏弟子は最初期のものであるという。
なんと、そうだったのか🤗 一仏二弟子二菩薩という群像の成立は北周期だったのだ。
428窟中心柱東向き壁 一仏二弟子二菩薩像 北周期 『中国の仏教美術』より

どの図版にも阿難と迦葉を写したものがないので合成してみたが、若い阿難はそれなりに見分けることができるものの、『中国の仏教美術』では、清代の彩色もあって、年老いた雰囲気が伝わってこない。
428窟中心柱東向き壁 一仏二弟子二菩薩像うち阿難と迦葉 北周期

主室北壁
人字披天井とは、切妻天井で、頂部に平たい部分がある中国式の天井のこと。
この狭い三角形の頂部にも、説法図が描かれているが、千仏の下にはもっと大きな説法図が描かれているのが、下図に部分的に見える。
428窟前室北壁 釈迦説法図 北周 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より

説法図の続きには千仏の下に仏伝図が並ぶ。 
『中国の仏教美術』は、北周の莫高窟において顕著な現象は、本生、仏伝、因縁といった、小乗仏教的な壁画主題の扱われ方に変化が生じた点である。5世紀に造営された現存左の窟からも北周が敦煌を治める6世紀中頃にかけて、多くの場面を連続して表す形式の小乗的主題は、後壁や側壁といった石窟内の目立つ部分に描かれている。しかし、6世紀後半の北周時代にそれらは前壁に移され、やがて追いやられるようにして天井に表されるという。
428窟北壁 千仏と仏伝図  北周期 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より 

仏伝図としては、

釈迦説法図の左に降魔成道図
『シルクロードの仏たち』は、釈尊が菩提樹の下で禅定に入り、成道(悟り)の時が近づくと、マーラー・パピヤス(波旬)が現れた。マーラーは欲望を満たしてくれる最高神で、釈尊のように欲望を棄てようとする菩薩にとっては邪魔者である。降魔は悪魔のマーラーとその一族が降伏する意味で、降魔の後に釈尊は清浄な四禅定と呼ばれる状態に至ったという。
428窟北壁 降魔成道図 北周期 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より 

涅槃の場面
『敦煌莫高窟1』は、敦煌の早期壁画の中では唯一の涅槃図。釈迦は沙羅双樹の下で涅槃に入り、右脇を下にして臥しているという。
キジル石窟では中心柱の奥の壁面には必ず涅槃図あるいは涅槃像があるが、この窟では西壁に描かれている。釈迦の足をさすっているのは、説法に出掛けていて釈迦の涅槃に間に合わなかった迦葉。顔料が変色してしまって、人物の顔貌は想像もできない。
横向きに臥しているのに、その足だけは上を向いている。こんな絵が私は好き😊
428窟西壁 仏涅槃図 北周期 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より 

『シルクロードの仏たち』は、インドでは古代から輪廻が信じられてきた。過去における前生の出来事の物語-これをジャータカ(本生譚)と呼び、釈尊が過去における別の生涯で善行をした物語が多い。初期仏教(上座部)では「ジャータカ」が多く、大乗仏教が盛んになると「仏伝」(釈尊の生涯)が比較的多くつくられるようになったという。

スダーナ太子本生図
自分の持ち物を請われるままに与えてしまうスダーナ太子の物語。
『敦煌莫高窟1』は、上段は白象をバラモンに求められたため与える太子の場面。中段は宝象に乗ったバラモンたちが国に帰り、太子にもらったことを告げる場面。下段は太子が山に入り修行する場面を表すという。
428窟東壁北側 スダーナ太子本生図 北周期 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より

サッタ太子本生図または捨身飼虎図 
左上の場面では、太子は寝そべったが、弱った母虎は食べることが出来なかった。その右の場面では、自分の首を落として崖から飛び降り、肉体が砕けた状態で地面に落下したので、母虎も子虎たちも肉を食べて生き延びることができた、というような話。
下段では、そのことを聞いた2人の兄が遺骨を拾い、国王が供養塔を建てたという。
428窟東壁南側  北周期 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より 

盧遮那仏 南壁中層
『敦煌莫高窟1』は、通肩の袈裟を着けた盧舎那仏は、立ったまま説法をしている。左右には眷属の菩薩たち、敦煌莫高窟で最初期の盧舎那仏説法像であるという。
大乗仏教の毘盧遮那仏は隋代に登場する。上座部仏教の本生図などもあって、その分岐点が428窟なのだった。
428窟  北周期 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より 

同書は、袈裟に描かれた絵画は、「欲界」を表している。上部は天で、仏像、天宮、阿修羅、飛天。
大衣の裾までの中部には人界の4場面。赤い衣文線で4つに分けている。
下部は無間地獄で刀の出た山、剣の池、餓鬼などが表されている。図の下には供養者が描かれているという。
428窟  北周期 『中国石窟 敦煌莫高窟1』より 

北魏による長期の統治の後、東魏、北周、隋と短い政権がころころと建っては滅んでいった。短期ではあっても、それぞれの時代の特徴が仏教美術に表れている。


「中国石窟 敦煌莫高窟1」 敦煌文物研究所 1982年 文物出版社
「中国石窟 敦煌莫高窟2」 敦煌文物研究所 1982年 文物出版社
「敦煌の美と心 シルクロード夢幻」 李最雄他 2000年 雄山閣
「図説釈尊伝 シルクロードの仏たち」 久野健監修・山田樹人著 1990年 里文出版