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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2020/08/21

メスキータ展


『メスキータ展図録』は、メスキータの日本で初めてとなる回顧展を開催します。サミュエル・イェッスルン・ド・メスキータ(1868-1944)は、19世紀末から20世紀前半にかけてオランダで活躍した画家、版画家、デザイナーで、長く美術学校で教鞭をとりました。
版画では、特に木版画に注力し、明暗のコントラストとシャープな線を生かした独創的な作品を数多く残しました。また、生涯を通じて描いたドローイングは、「自分ではまったく意図していない無意識の現れ」を記録したもので、豊かな空想力に満ちた、他にあまり例をみないものです。
メスキータは1944年にアウシュヴィッツで亡くなりました。アトリエに残された多くの作品は、エッシャーら教え子や知人たちが決死の思いで救い出し、大切に保管しました。周囲の人々のこうした行動がなければ、戦後もメスキータの名声が守られることはなかったでしょうという。
メスキータの日本初の回顧展は、クリスティアン・オルトヴィン・ヴォルタース氏とマリア・ヴォルタース=ヘーインク氏のコレクションということだ。

メスキータについて同展図録は、アムステルダムで生まれたポルトガル系ユダヤ人の家系。1882年、14歳の時に国立美術アカデミーを受験して不合格となったため、建築事務所に見習いとして勤め、1885年に国立美術工芸学校に入学する。一年後に国立師範学校に転籍、美術教員の資格を取得した。
初期のメスキータは油彩や水彩、ドローイングなどを制作したが、1890年代以降は、エッチング、リトグラフ、木版画など、さまざまな版画の技法を試みているという。

ハールレムの市庁舎 1911年 エッチング 42.1X52.0
メスキータはハールレムの応用美術学校にドローイングの教師として勤めはじめる。エッシャーはこの学校の学生であった。ハールレムの市庁舎を正面から描いたこの作品は、ほとんどすべての線が定規を使わず手描きであるにもかかわらず、都市風景というよりは、まるで建築の立面図のように見える。それは、遠近法による歪みがなく、建物表面の凹凸によってできる影もほとんど描写されていないせいであろう。メスキータは10代の頃に建築事務所で見習いをしていたので、立面図には親しんでいた。その時の経験がこの平面性の強い表現に生かされたのかもしれないという。
細部の装飾はともかく、屋根は見えている範囲で6枚矧ぎ合わせてある、しかも、それが等分でもなく、直線でないものもあるのが不思議。
wikipediaに現在の市庁舎の写真があった。左右反転させているのか、裏側なのか、ほとんど変わらない姿なのだが、屋根はレンガ形の石板が並んでいた。でも、1911年当時は何度も修復した跡が残る屋根だったのかも。

人物編

ファンタジー:稲妻を見る二人 1914年 木版 13.6X15.0
同展図録は、明暗のコントラストを巧みに用いた作品である。画面右側の黒い髪から始まり、手前の人物の白い顔、その奥の人物の黒い顔、室内の白、窓の黒という順番に、黒と白が交互に重なって、それぞれを強めている。さらに、同じような横顔のシルエットが反復し、稲妻の線と顔の皺の線が呼応するなど、構成にも工夫が見られ、緊張感のある画面となっているという。 
日本人ならジグザグの線で表すが、人物の皺に合わせて曲線的な稲妻とは、あまり轟きそうにないなあ😑
稲光で照らされた顔と部屋。手前の人の陰にいたので、照らされなかった奥の人物など想像が膨らむ。
夫婦なのか、姉妹なのか、それとも奥の顔には皺が2本ずつ刻まれているので、母娘かも。

ファンタジー:月を見上げる人 1914年 鉛筆・水彩・紙 24.8X20.6

トーガを着る男 1923年 木版 39.1X26.3
トーガという衣装は、古代ローマ時代に男性が着用した上着。袖などはなく、一枚布を肩から纏ったので、襞の多い外観となる。
この作品では、その襞を着衣の外側に表しているのか、後方からライトで照らされているのを表現しているのかな。サボテンかと思いましたがな😓 

少年(ヤンチェ・スケルペンゼール) 1927年 木版 19.5X14.5
まるで木目を描いたかのようでありながら、僅かな太さや線の揺らぎで凹凸を表している。
鼻筋の向かって左側が膨らみ気味で、右側がくぼみ気味。顎が前に出ているらしいことも感じられる。
二重格子模様のというか、チェックの帽子は複雑な形をしている。

父 1938年 木版 64.5X49.8
吹き降りの中、子供を肩車して急ぐ男。前方には更に強く雨が降っている。
下から見上げた視線で描いているので、父の脚は長く、子供の頭部が非常に小さい。

動物編
同展図録は、動物や植物のモチーフの多くは、アムステルダムのアルティス動物園に取材した。熱帯の植物やエキゾチックな動物など、オランダではふつうに目にすることのないモチーフが選ばれているのはそのためである。1916年には、この動物園で開かれた「動物と美術」展に委員長として携わっている。
人物の場合に、正面向きか横向きのポーズが多いのと同じように、動物画では横向きのポーズが圧倒的に多い。エッチングと木版という技法の違いはあるが、毛皮や皮膚を、それぞれの技法の特性を生かして、どう表現するかということに腐心しているという。

ラクダ 1914 木版 19.8X35.0
冬毛のフタコブラクダは毛がふさふさしているので、ヒトコブラクダよりも大きく見える。コブの先は前の方が向こうに倒れ、後ろの方が手前に倒れている様子や、その独特の座り方は、横向きでないと表せない。
ただ座っているだけではなく、ポーズを取っているかのような目👀

ラクダ 1916年 エッチング 23.8X28.7
ヒトコブラクダとフタコブラクダの分かれ目は中央アジア。
ヒトコブラクダの半身像は毛が短く、目を閉じて眠っているよう。おそらくコブは手前に倒れ気味だと思うのだが、メスキータは何故半身だけ描いたのだろう。上半身だけ小屋の外に出て、うたた寝でもしていたのかな。

コブウシ 1916年 エッチング 23.2X27.8
イランのカスピ海側で見たコブウシは、黒・白・茶が入り混じっていたが、メスキータが描いたのは白いコブウシ。
コブウシの立っている道や背後のレンガ積みの建物など丁寧に描き、建物内部のレンガの壁まで描写している。コブウシの回りを細かく表すことで、コブウシのなめらかな白い肌を強調している。

バイソン 1917年 エッチング 23.5X27.3
これも半身像。
最初は黒い体くらいに見ていたが、顔には顔面を覆う短い毛並みを幅のある線状にし、その先が顎鬚で終わる。体の方は毛並みが変わり、小さな菱形を並べているようにも見える。
じっくり見るほど味わい深い。

シマウマ 1918年頃 木版 27.3X41.6
図録の「M.C.エッシャーの語るサミュエル・イェスルン・ド・メスキータ」は、人柄が伝わるようなエピソードをあげるなら、彼はもともと鮮やかに黒と白に色分けされている自然界のモチーフを題材にして、黒と白の明確な表現の木版画を作ることには反対していた。私には彼の声が、昨日のことのように聞こえる-「シマウマっていうのは生きている木版画だ。そのシマウマをもう一度木版にすることは、自制しなくちゃいけない。」あとになって、彼自身が木版画で「シマウマ」を制作していたことを知り、どんなに驚いたことかという。
シマシマの動物の背後が、木目の縦縞や横縞とは👀
メスキータの遊び心と、それを真面目に受け止めていたエッシャーの驚き。そんな人間の世界のことなどどこ吹く風のシマウマのお目々は、探さないと分からないほど🧐

鹿 1925年 第9ステート(全10ステートのうち) 木版 45.2X41.5
木版画制作にあたってメスキータは、対象を単純化すると同時に、幾何学的な構成を行うことがすくなくないが、この作品は幾何学性を徹底的に推し進めた一例である。鹿の輪郭線や角は、ほとんど直線で描かれ、曲線は、わずかに耳や角の一辺などに用いられているに過ぎない。角はほぼ三角形で、単純化というよりは、現実にはあり得ない形にまで変形されている。背景はステートが進むごとに整理されていく。最終的には鹿のフォルムがくっきりと浮かび上がり、より幾何学性が強調される結果となったという。

二頭のガゼル 部分 1926年 木版 18.5X37.5
本来ガゼルの胴は白ではなく、茶色い毛皮に白や黒で模様が入っている。また毛はふさふさしているわけではなく、馬などと同じように肌に張りつくように生えている。習作ではそうした様子が写し取られているのだが、木版の完成作を見ると、胴体は真っ白で、まるで羊のような毛を生やしている。腰のあたりに入った一本の線は、習作と比較することで、初めて、後ろ脚の輪郭であることが理解されるが、それ以外の胴体の部分は大胆に省略されてしまっている。全体のポーズや頭部を除けば、全く別の動物と言っていいほどに改変されているのだという。
特徴的な角や顔でガゼルとわかるが、この解説がなければ、ふっくらした毛に覆われた妙な動物と不審に思っただろう。
木の幹を横にしたような表現の空🧐

鹿 部分 1933年 木版 15.5X16.6
作品としては小さいが、A4よりもおおきな図録の見開きで3/4を占めるくらいに大きく記載されているので、片側だけを取り込んだ。4歳の鹿は頭部から胸部にかけては直線的な毛並み、胴部は横向きとなっていて、線がやや乱れている部分が肢となっている。
動物は横向き描くことの多いメスキータだが、26年のガゼルのように横向きだが頭部は前を向いている。鹿の回りの綿雲のようなものは何を表しているのだろう。背後に池でもあるのかな。
最下段に小さな縦向きの白いものが並んでいるのは、草か芝生だろう。

鳥編

うずくまる鴨 1909年 
これを見て一瞬でカモに見える人はいるのだろうか。
丸まって首を後方に向け、クチバシを羽の中に隠して眠っている。前にある赤っぽいところが胸部。
カモにもいろんな種類があるが、目の周りが黒いものはエジプトガンくらい。

ワシミミズク 1915年 木版 37.2X22.4
メスキータの版画では、背景を省略して、モチーフの形に合わせて一種の枠組みを作り、その中にモチーフを据えたものがあるという。
頸部に凹みのある缶のような白地の片方に耳、ではなく羽角が接していることから、正面を向いているワシミミズクだが、体を斜めにして横木に留まっていることを知る。そして鋭い爪の出た肢も、均等には出ていないことも。

シロフクロウ 1927年 木版 20.0X22.0
東京ズーネットシロフクロウが抱卵中ですの番いを見ると、雄の方が白く、雌は羽先に黒っぽいいろがのこっていたので、これは雌。
3本の線が何を表しているのか分からないが、この雌は抱卵しているのかも。

サギ 1928年 エッチング 17.8X12.2
ほぼ細い輪郭線だけで、頚をすぼめたシロサギの羽の膨らみも表現している。
飾り羽も簡略に描いているが、これがあることで、ダイサギと分かる。

植物編

アヤメ(部分) 第9ステート(全12ステートのうち) 1920年 木版 64.6X27.5
メスキータは、規則的な線の反復を装飾的要素として巧みに利用した。初期鉄器な要素とは全く関係のない線が、装飾的な目的のためだけに導入されている。早いステートでは、アヤメが直接的に表現されているだけだが、後の方のステートになると、葉の部分を中心とした背景部分に、長短の横線によるリズミカルな反復が見られ、これによって装飾性が強められているという。 
ステートを重ねてアールデコっぽくなってしまったよう。

カラフトアツモリソウ 1921年 エッチング 32.6X19.8
アツモリソウはもっとふっくらした花だったような・・・
『日本の野草』は、葉は広い楕円形で互生する。茎の先に径3-5㎝の淡紅色の美しい花を下向きにつける。唇弁は袋状で大きい。和名は敦盛草で、袋状の唇弁を平敦盛が背負った母衣(ほろ)に見立てたものという。
余談だが、アツモリソウがあればクマガイソウもあって、それはもちろん敦盛を討った熊谷直実で、同じラン科アツモリソウ属の花。 

サボテン 1926年 木版 18.2X9.6
トーガを来た男が1923年なので、このサボテンはそれよりも後に制作されたものだ。
棘と短い線とでサボテンの輪郭を表している。

アーティーチョーク 1934年 木版・加筆 31.3X27.0
アーティーチョークはキク科チョウセンアザミ属。緑の萼が覆う蕾を食用にするが、開花すると、当然ながらアザミのような花になる。
蕾を包んでいた萼が、一枚、また一枚と開き、そして下を向いてしおれていく様子が、肥瘦のある白い線で表す。大きな花にはあまり関心がないみたいな描き方。

エッシャーとその師メスキータ

参考サイト
東京ズーネットシロフクロウが抱卵中です

参考文献
「生誕120年 イスラエル博物館所蔵 ミラクル エッシャー展図録」 

「メスキータ展図録」 2019年 キュレイターズ


「山渓カラー名鑑 日本の野草」 1983年 山と渓谷社