ヴィッラ・アドリアーナに行ってみたいと思ったのは、パンテオンを再建(118-128年)して初の完璧なドームを架けたハドリアヌス帝が、ローマ郊外のティブール(現ティヴォリ)の麓に118-134年にこの別荘の建物群を建造しているので、その建物の中にどんなドームがあるかを見てみたいと思ったからだ。
中でも、大浴場に残る天井あるいは屋根の残骸の写真(多数のホームページより)を下から見上げて、それが完璧なドームかどうかを確認したかった。
大浴場平面図(説明パネルより)
カノポスから戻って南側から見た⑧は大きな部屋
大浴場平面図(説明パネルより)
カノポスから戻って南側から見た⑧は大きな部屋
壁が半分なくなっているので内部が見える。一見ヴォールト天井風だが、屋根は浅い切妻だった。
その天井は奇妙なもので、しかも浮彫漆喰による装飾を施している。 四隅からの対角線が交差する箇所に黒い点がある。
⑧西壁
その天井は奇妙なもので、しかも浮彫漆喰による装飾を施している。 四隅からの対角線が交差する箇所に黒い点がある。
⑧西壁
おそらく正方形平面の四隅上方にアーチを架けるための起拱点になる石材を嵌め込み、各面に大きなアーチ、あるいはヴォールト天井を架けて、それを交差させた交差ヴォールトなのだ。交差ヴォールトの頂点にあるのが黒い点。
ロマネスク建築の交差ヴォールトの図(『図説ロマネスクの教会堂』より)は柱の上に造られた交差ヴォールトだが、それを壁に囲まれ、起拱点を取り付けた部屋に置き換えてみると、この部屋の天井が理解できる。屋根は各面が浅い切妻になった、交差切妻屋根(勝手につけた名称です)。 ハドリアヌスの前の皇帝トラヤヌスの時代(98-117)に建造されたトラヤヌス市場(112-113)の大ホールを思わせる。
大浴場の東玄関側に回り、いよいよ⑤の長方形の広間へ。
そこに架かる天井の残骸。これはドームだったのか?
別方向より見ると、右下の起拱点から稜線のようなものが見える。⑤の広間が長方形の平面なので、円形のドームを架けることはできない。ヴォールト天井(トンネル状の天井)でもないので、交差ヴォールト状のものではないだろうか。
天井は頂部に行くほど壁が薄くなっていく。こういう風に断面が見えるともどのように天井を造っていったかがよくわかる。ハドリアヌス帝の墓廟のドーナツ状の通路の一部がこんな造り方だった。ただし、ハドリアヌス帝の墓廟は135年に建造開始、完成は没後の139年なので、こちらの方が先。
左(北西)の隅の起拱点から稜線が出ているのが確認できた。その上の極端に薄いところが交差ヴォールトの部分。
幸いなことに説明パネルには平面図だけでなく、屋根伏図(推定)もあった。 この⑤の広間は、長方形平面だが、屋根は正方形で、⑧の部屋と同じ大きさのように見える。その上、何を表現しようとしたのかよく分からないが、一つの正方形を4等分した線と、対角線とで8つの三角形ができている。
ロマネスク建築の交差ヴォールトの図(『図説ロマネスクの教会堂』より)は柱の上に造られた交差ヴォールトだが、それを壁に囲まれ、起拱点を取り付けた部屋に置き換えてみると、この部屋の天井が理解できる。屋根は各面が浅い切妻になった、交差切妻屋根(勝手につけた名称です)。 ハドリアヌスの前の皇帝トラヤヌスの時代(98-117)に建造されたトラヤヌス市場(112-113)の大ホールを思わせる。
別方向より見ると、右下の起拱点から稜線のようなものが見える。⑤の広間が長方形の平面なので、円形のドームを架けることはできない。ヴォールト天井(トンネル状の天井)でもないので、交差ヴォールト状のものではないだろうか。
天井は頂部に行くほど壁が薄くなっていく。こういう風に断面が見えるともどのように天井を造っていったかがよくわかる。ハドリアヌス帝の墓廟のドーナツ状の通路の一部がこんな造り方だった。ただし、ハドリアヌス帝の墓廟は135年に建造開始、完成は没後の139年なので、こちらの方が先。
左(北西)の隅の起拱点から稜線が出ているのが確認できた。その上の極端に薄いところが交差ヴォールトの部分。
幸いなことに説明パネルには平面図だけでなく、屋根伏図(推定)もあった。 この⑤の広間は、長方形平面だが、屋根は正方形で、⑧の部屋と同じ大きさのように見える。その上、何を表現しようとしたのかよく分からないが、一つの正方形を4等分した線と、対角線とで8つの三角形ができている。
部屋の一辺が傾斜の緩い切妻屋根になっているのが見えたので、この伏図は四方が切妻屋根を表しているのだ。
それをGoogle Earthで確認できたが、それをどう表現すれば良いのだろう。
その頂点を見上げると、こんな風に円形の何かがあるが、オクルスを開くことはできなかったらしい。
またトラヤヌス市場の大ホールに戻るが、浅い交差ヴォールトの頂部にも、似たようなものがあった。この屋根がどのような構造だったかは、修復されてしまったため、Google Earthで知ることはできない。
大浴場上方から撮影した写真が、真@tokyoさんのトラベラーページのハドリアヌスの別荘(ヴィッラ・アドリアーナ) その3 遺跡の建築群(大浴場、海の劇場、宮廷、黄金の間その他)にあり、⑧の部屋の屋根が交差切妻屋根(性格な用語が分かるまで、とりあえずこう呼びます)であること、そして⑤広間の天井が浅い交差ヴォールトであることが確認できました。真@tokyoさん、どうも有り難うございます🤩
⑯は、手前に大きなヴォールト天井、奥に幅の狭いヴォールト天井という風に思っていたが、屋根伏図で見ると、ヴォールト天井の上に、交差切妻屋根が架けられていたようだ(ただし推定の図面)。
軸側投影図法(説明パネルより)で見ると、ドームは10だけで、3・5・7・11・15・20に交差切妻屋根が架けられていたらしいことが分かった。
9室は変則的な八角形で、どんな屋根だったのか予想できなかったらしい。
ハドリアヌスの別荘(ヴィッラ・アドリアーナ) その3 遺跡の建築群(大浴場、海の劇場、宮廷、黄金の間その他)
通りすがりに写したものは15と20室だった。
15室は少しだけ屋根の尖ったところが見えている。
参考文献
「図説 ロマネスクの教会堂」 辻本敬子 ダーリング・益代 2003年 河出書房新社