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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2012/06/08

円形平面から円錐ドームを架ける




正方形空間にドームを架ける場合はペンデンティブとスキンチという移行部の工夫が必要となる。
スキンチは中央アジアでササン朝成立前後に誕生したとされるが、ペンデンティブは現在のところその初現はわかっていない。
スキンチについてはこちら
ペンデンティブの起源についてはこちら 

しかし、平面が円形ならば、そのような仕掛けは必要なく、石材やレンガを持ち送っていくとドームになる。この場合は円錐ドームとなる。

ポンペイに前80年頃建てられたフォロの浴場がある。やっぱり円錐ドームだった。
フォロの浴場についてはこちら
ポンペイには他にも浴場があるが、最も古いものは前2世紀のスタピア浴場だ。
こちらも円錐に近いドームが架構されている。
スタピア浴場についてはこちら
同じような頃、パルティアの都ニサ遺跡にも円形平面からドームが架構された建物があった。
『世界美術大全集東洋編15』は、アルケサス朝は西方のイラン高原、メソポタミアなどのセレウコス朝の版図を侵食して領土の拡大を図ったが、前2世紀半ばにミスラダテスⅠ世(在位前171~前138)が登場し、メソポタミア以東を支配するまでに至った。旧ニサの都城はこの国王によって創建され、ミスラダケルトと命名されたが、以後アルケサス朝が3世紀半ばに滅亡するまで、修復を繰り返しながら存続したとみなされている。
旧ニサの代表的な建物はこの都城のほぼ中央にある「方形の建物」と「円形の建物」で、ともに日干レンガで構築されていたという。 
下図の⑥が方形の建物、⑨が円形の建物。
グーグルアースでも円形の建物ははっきりとわかる。その壁面は他の建物と比べると格段に厚い。

大きな地図で見る

旧ニサの円形神殿復元図 前2-後1世紀
『0LD NISA IS THE TREASURY OF THE PARTHIAN EMPIRE』は、ゾロアスター教時代の典型的な建物だった。円形の広間は二階建てで、下階はくぼみのない壁面、上階は円柱の間の各壁龕に彩色された神々の塑像があったという。
これは復元想像図だ。これまで見てきた建物から考えて、この時代の円形の建物に、当時ローマのパンテオン(後118-128年)のような格間があって、半球ドームが架けられたとは考えにくい。パンテオンのドームができるまではこちら
きっと円錐ドームだっただろう。
円形の広間は直径17mで、外側は正方形、屋根はドームで覆われ、おそらく祭司は王家一族から出ていたという。
丸い建物なら丸い壁面を分厚くすれば補強になるように思うが、外側を正方形にすることで、外周の四方に扶壁(バットレス)のような支えとなったのだろうか。
このようなドームは西方の技術と思われる。それは出土物からニサがヘレニズム色の強い都城だったことが判明しているからである。

兵士の頭部 前2世紀 ニサ、方形の建物に付属する部屋出土 粘土 高45.0㎝ アシュハバード、トルクメニスタン科学アカデミー蔵
『世界美術大全集東洋編15』は、塑像は輸入品とは考えられないので、この地にギリシア美術(ヘレニズム美術)の技術を身につけたギリシア系の工芸家が存在したことが判明する。粘土で成形し、表面にストゥッコ(化粧漆喰)を塗って着色しているが、その顔貌表現は写実的であるという。
アルケサス朝の人々は東方アーリア系(イラン系)なので、このような風貌だったのだろう。
若者頭部 前2世紀 ニサ出土 壁画断片 高12.0㎝ アシュハバード、トルクメニスタン科学アカデミー蔵
アルファベットらしき文字も書かれている。
その後ササン朝成立前後にスキンチを用いたドームが造られるようになるが、それは円形ではなく正方形の壁面の上に架けられたもので、ニサのドームとは全く異なる。

関連項目
円錐ドームならミケーネにも
パンテオンのドームができるまで
ポンペイでスタビア浴場を見学したかった理由

※参考文献
「世界美術大全集5 古代地中海とローマ」1997年 小学館
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」1999年 小学館
「0LD NISA IS THE TREASURY OF THE PARTHIAN EMPIRE」2007年