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忘れへんうちに 旅編では、南イタリアの旅を再開しました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/10/01

没後20年 ルーシー・リー展


「フィンランド陶芸展」を鑑賞していて、小さな高台を持つ器があった。それはキュッリッキ・サルメンハーラ(1915-81年)の作品で、ルーシー・リーの作品を思い起こすものだった。
彼女は1930年代にイギリスに行き、バーナード・リーチの影響を受けたという。確かルーシー・リーもイギリスに移住し、バーナード・リーチに影響を受けたのではなかったかなと、2015年に開催された「没後20年 ルーシー・リー展」の図録を見直した。

初期ウィーン時代(1921-38年)
「没後20年 ルーシー・リー展図録」は、1921年、ルーシーは教師の大半がウィーン工房のデザイナーだった工業美術学校の聴講生となり、翌年入学。ある日偶然、轆轤から器が形成される光景を目にし、陶芸家になることを決心した。ミヒャエル・ポヴォルニーの下で釉薬の研究に励み、陶芸の基礎を勤勉に学んだ彼女の作品は、すぐに建築家ヨーゼフ・ホフマンの目に留まる。在学中から頭角を現す。近年、オーストリア応用美術・現代美術館(MAK)の調査により、彼女が学生時代に制作したものが新たに発見された。簡素にフォルムと釉薬の色使いは、シンプルにして繊細なルーシー・リー・スタイルの萌芽が見られるという。

赤釉鉢 1926年 高さ8.1径14.2㎝ 陶器 オーストリア応用美術・現代美術館蔵
同展図録は、私生活では1926年にハンス・リーと結婚。夫妻の室内改装を若手建築家エルンスト・プリシュケに依頼した。バウハウスの概念を先進的に取り入れていた彼との交流は彼女の作品をより洗練させることになるという。
すぼまる小さな高台はルーシー・リーの作品の特徴の一つだが、初期の作品は高台が広がっている。

線文鉢 1930年 高さ9.5径15.6㎝ 陶器 オーストリア応用美術・現代美術館蔵
後年にルーシー・リーの作品の特徴とも言える線刻文が初期の頃に現れているのは興味深いが、その細さには及ばない。

同展図録は、しかし、戦争は希望に満ちた彼女の前途に容赦なく影を落とした。1938年9月にナチス・ドイツの迫害を恐れた夫妻はロンドンに亡命し、ウィーン時代は幕を閉じるという。

形成期 ロンドン時代 1938-70年

ロンドンに移住直後のルーシー・リーの評価はよくなかった。
同展図録は、リーはロンドン市内に小さな家を見つけたが、これが終生の住まいとなったアルビオン・ミューズの工房である。
作陶を開始するためにイギリスの陶芸界につてを求めたが、リーの陶芸はイギリスではほとんど認知されておらず、バーナード・リーチらは、リーを陶芸の初心者と見なしていた。
第二次世界大戦が始まり、戦争が深刻化するにつれ、作陶はより困難になった。そんな中、リーはファッション産業界からの依頼を受けて、洋服のボタンを陶器で制作する仕事を始める。ボタンは、轆轤挽きか石膏型によって形作られ、カラフルな色や金で彩色されたという。

ガラス製ボタン 1940年代
同展図録は、ウィーン時代から親交のあったフリッツ・ランブル(1892-1955)の誘いで、ガラス製のボタン作りを手伝うようになったという。
パートドヴェールでもなさそだし、型にガラスを流し込んで作られているのかな?
陶製ボタン
やがて自らの工房で陶製のボタンを制作するようになる。オートクチュール用の陶製ボタンは、ファッション業界やデパートからの需要が高く生産が追いつかなくなったため、人を雇い石膏型を使った量産体制に移行する。
ボタンは戦中戦後の限られた時期に作られたものであるという。

同展図録は、1939年、ダーティントンでリーチと邂逅したリーは、さっそく彼の見解を参考にした作例を制作し始める。
40年代の半ばの作品からは、リーチ風を咀嚼しようとする一方でバウハウス風をも感じさせる。
リーチ風やバウハウス風、そしてコパーの見解。様々な要素を咀嚼し統合し、それを自己の形にまとめ上げていくという。


黒釉ドレッシング瓶 1947年頃 高さ14.5径10.9㎝ 陶器
同展図録は、リーチに提供され、リーが独自の工夫を施した黒釉を用いたたっぷりとした艶を持ったものという。
表面にかなりの凹凸があるようで、それは器体自体と釉薬の架かり方の相乗効果で、どこにピントが合っているのか分からない、柔らかな質感を醸し出している。

白釉コーヒーセット・カップとソーサー(ハンス・コパーとの共作を含む) 1950年頃 ポット:高さ22.5径16.4㎝ ピッチャー:高さ12.0径11.0㎝ カップ:高さ6.7径10.5㎝ ソーサー:高さ2.3径13.7㎝ 陶器
同展図録は、共作はしばしばリーがデザインし、コパーが轆轤で作ったと言われる。基本的な役割はそうなのだろう。むしろ創作の過程でいろいろ意見を出し合い、デザインし直し、より良いものにしていっただろうという。
口縁部に茶釉をめく競らせる。ピッチャーだけが茶釉が垂れていて、この中では異質な感じがするが、把手の形から見ると、同一シリーズである。

白釉水差し 1950年代 高さ24.0幅17.5(13.0)㎝ 陶器
外側はたっぷりとした白釉だが、口縁部は内側に濃い青釉が掛かっている。全体が藍色なのか、先だけなのか、のぞいてみたくなる。

斑文大鉢 1950年頃 高さ17.5径32.2㎝ 陶器
同展図録は、粘土の素地に粒状の二酸化マンガンなど、少量の金属酸化物を練りこむこともあった。これらの酸化物は、焼成中に溶け出し、表面の釉薬と混じり合い、時にはスポット的な染みやにじみの効果を生み出しているという。
ルーシー・リーにしては珍しく釉薬を厚掛けしている。斑点ではなく、それが溶けて流れて線状になっている。白釉も高台まで流れている。
下すぼまりの器だが高台は低い。口縁部の歪みが面白い。

同展図録は、都市で作陶する陶芸家は、薪を焚く窯は使用しにくい。新たに設置した高温の電気窯によって、高温焼成の陶器や磁器も手がけるようになる。
この時期に生まれたのが掻き落としの技法である。イギリス西部地方のエイヴベリーの博物館で見た青銅器時代の土器の壺に、骨でひっかいた線が刻まれていることに発想を得て、細い金属棒によって器の表面を削る技法を始めるという。

線文小鉢 1952年頃 高さ9.2径12.2㎝ 磁器  
器体も薄くなり、高台にかけてすぼまっていくルーシー・リーの特徴が現れた作品。

四方鉢 1954年頃 高さ9.0縦39.5幅23.0㎝ 陶器
また、掻き落としによってできた溝に色土を埋め込む象嵌技法にも発展し、ともに代表的な技法となっていったという。
成形してから溝を彫っているので、四隅の線の歪みは意図したものだろう。均一過ぎず目に楽しい作品。

緑釉鉢 1954年頃 高さ12.0径26.2㎝ 磁器 紀井文庫蔵
鉢なので多少厚手。外側の線刻は等間隔の格子にとどまらず、下にいく程というか、器体がすぼまるほど間隔が小さくなっている。内側は曲線の格子になっているようだ。

線文大皿 1954年頃 高さ8.0径34.0㎝ 陶器
見込みは斜格子文様が途中から縦線へと変わっている。

同展図録は、器全体に釉を塗ることができるよう、高台は高く削られているものが多い。また、器に指あとがつくのを嫌っていたので、かみそりなどを使って器の表面をさらに滑らかに仕上げることもあったという。1955年頃の写真。
キュッリッキ・サルメンハーラが小さく高い高台の作品を作った時期とルーシー・リーが作った時期は重ならなかったし、バーナード・リーチにも小さな高台の器はない。それぞれが独自に創り出したものが、たまたま似ていただけだった。

黒釉鉢 1955年頃 高さ13.5径27.4㎝ 陶器
器全体に油滴天目のように細かな銀色の斑文が浮かんでいる。
液体を注ぎやすく、片口のように口縁部の片側を突き出させている。

茶釉線文鉢 1956年頃 高さ8.5径15.9年 磁器
器体の上部にだけ線刻がある。しかも、外側と内側が同じ。
この頃から磁器も制作しているのは、磁器の細かい土の方が線文を細かく彫ることができるからだろう。

線文大鉢 1958年頃 高さ10.3径26.0㎝ 磁器 イセ文化基金蔵
同展図録は、高く小さな高台から豊かに広がった口縁。器の内外で一方が暗色地方に掻き落としによる白線。もう一方が白地に象嵌による色の線で加飾された鉢は、ルーシー・リーの代表的スタイルのひとつである。細かい半ば格子模様は1950年代以降の作品から度々登場するモティーフとはいえ、本作品内側の象嵌によるそれは、特筆すべきものであろう。焼成前の乾いた土に針で線模様を描き、そこに刷毛で色土や釉を塗り込み、ある程度乾いた後、はみ出た部分をきれいに取り除く。こうして筆で描くよりもはるかに細く、シャープな彼女の象嵌模様が作られるという。
この線刻の細密さとこのように彫り続けていったルーシー・リーの根気😵 
本作品の場合、外側がマンガン釉による褐色地に掻き落として、胎土の白地が現れている。
赤い象嵌もあれば、高台内にも線刻するとは。

青釉線文小鉢 1958年頃 高さ3.4径8.0㎝ 磁器
中にはこんなにざっくりとした作品も。一見陶器のような雰囲気だが、磁器とはね。
線は平行でも真っ直ぐでもない。しかし、内側と外側の線の位置は一致していたと思う。

同展図録は、1960年代には、色の違う粘土を使い、轆轤挽きでスパイラル文様を作る技法や、器のパーツを個別に作り、組み合わせてひとつのフォルムを作り出す「コンビネーション・ポット」の手法を試み始める。また、ウィーン時代から試みてきた、ゴツゴツとしたテクスチャーをもたらす「溶岩釉」をさらに洗練されたものに改良していった。
この時代に、彼女本来の魅力にあふれたスタイルを確立することができたといえるだろうという。

溶岩釉花器 1960年頃 高さ11.4径8.2㎝ 陶器
同展図録は、粘土を轆轤挽きしてから、それに白い「溶岩釉」をかけて焼成した花瓶。粘土にはあらかじめ顔料や添加物が練り込んであるため、焼成のあいだにそれが溶けて白い釉薬と混じり合い、複雑な色調となっている。「溶岩釉」とは、ルーシー・リーが生み出した最も特徴的な釉薬のひとつであり、シリコン・カーバイドを粘土素地や釉薬に加え、焼成の時に爆発のような効果を与えるのである。シリコン・カーバイドは焼成中に分離してガスを放出するが、そのガスが釉を打ち破り、細かな穴が無数にあいた溶岩のような効果を生むのである。
このデコボコした表面の効果は、技法は違っているがすでにウィーン時代から試みられてきた手法である。リーは、触れてもザラザラしたりしないような表面の仕上げを好んだとされ、次第に改良を加えてより洗練されたものにすることに成功したという。
軽石に部分的に釉薬がかかったような作品なのに、表面はザラザラしていないとは👀

線文円筒花器 1968年 高さ22.0径11.5㎝ 磁器 東京国立近代美術館蔵
同展図録は、膨らんだ胴から一度細くすぼまって、そこから大きく口が開いている長頸花器が代表的である。また、円筒形の胴にラッパ型の口を合接した器形も、古代ギリシャなどの器に範を得たものかも知れないが、シャープで現代的なデザイン感覚にあふれているという。
線文の象嵌や器体の金属的な光沢がエジプトを想起させる。この釉薬は後年にブロンズ釉とされるものとは違うのかな?

鎬文円筒花器 1968年頃 高さ25.0径11.5㎝ 陶器 
同展図録は、轆轤によって成型したのち、ヘラによって力強い筋を彫り込んだもので、掻き落としの技法から展開したものであろう。リーは、鎬文(しのぎもん)を施した器に白の釉薬をかけたものを「フルーテッド」と呼んでいるという。
flutedとは、円柱の縦溝彫りなどを表す言葉である。
斜めに走る深い鎬はこれまでなかったが、1970年代にかけて作られる。

円熟期 1970-90年
同展図録は、ルーシー・リーの陶芸は、それまでの技法をベースにフォルムと装飾の検討を踏まえ、多くの洗練された表現を生み出していく。そこには、フォルム-釉薬-装飾を構築的に組み合わせたルーシー・リー・スタイルが完成に向かうプロセスを見ることができるという。

黄釉線文鉢 1972年頃 高さ12.5径25.4㎝ 磁器 紀井文庫蔵
同展図録は、ルーシー・リーは1970年代になると、鮮やかなブルー、イエロー、ピンクなどのカラーを使うようになった。
リーは、釉薬に関する高度な線文知識と膨大な実験成果を持っており、注文主の要求通りの効果を的確に再現することができた。慎重に調合された釉薬は、十分に乾燥された器に、刷毛で丁寧に塗られたという。
鮮やかな黄色い器で、磁器ということだが貫入が見られる。
また、縦横の細かな格子文様は線刻のみで象嵌はなく、そのせいかピンホールが多数出現している。それが横から見るとでこぼこした感じで、あるいはルーシー・リーはそれを狙ったのかも知れないが、類似の作品は展示されていない。

茶釉線文鉢 1976年頃 高さ9.2径20.0㎝ 磁器
縦や斜めに入る線は多いが、この作品は白地に細い線が映えている。その線はところどころで二重になっているところもあるので、象嵌ではなく、轆轤を回して筆で描いたのかも。

スパイラル文花器 1978年頃 高さ33.5径15.9㎝ 陶器 茨城県陶芸美術館蔵
同展図録は、1960年代後半に開発された技法。粘土に着色材を混ぜて練り込み、色の違う粘土を轆轤挽きでスパイラル文様を作る技法。轆轤による成型によって、渦を巻き、螺旋状に文様が現れるダイナミックな表情を生み出すことに成功している。また、首の長い花瓶などは、パーツごとに作成してそれらを継ぎ合わせているが、文様の流れが途切れることのないように精巧な作業が施されているという。
このザラザラした表面は溶岩釉ではないの?

ニット線文鉢 1978年頃 高さ10.9径29.0㎝ 陶器 イセ文化基金蔵
側面は図録裏表紙(一番下)です。
同展図録は、細くシャープなラインの象嵌模様は、ルーシー・リー作品の大きな魅力のひとつだが、同じ象嵌の手法を用いながらそれとは逆の、滲んだラインが深い味わいを醸し出す本作品のようなタイプも、彼女は創り出している。
ここに見られる独特の風合いは、象嵌のラインに埋めた二酸化マンガンが、周囲の白い釉薬と反応して滲み出し、節のある特徴的なラインになることで誕生した。それがあたかも編み目模様を思わせるところから、この様なタイプの作品は「ニット線文(knitted)」と名付けられている。
格子模様のタイプではラインが交差する分、周囲の釉薬との反応具合も様々で、より複雑な表情が生まれているという。
磁器ではなく陶器に線刻、象嵌したのでこのような柔らかな風合いが出たのだろう。

ブロンズ釉線文鉢 1979年頃 高さ10.8径22.2㎝ 磁器
同展図録は、ルーシー・リーは、白のほかに光沢のあるブロンズ色も好んだ。ブロンズ釉は二酸化マンガンに酸化銅を加えて焼成することで得られ、見る角度や光源によって、器の表情が豊かに変わる点がブロンズ釉の魅力のひとつである。リーの場合、釉薬は作品ごとに新たに調合され、余らせるようなことはほとんどなかった。作品1点1点にかける強い想いが、この器にも感じられる。
細く高い高台に、口縁に向けて大きく広がりを魅せる朝顔型のフォルムは、リーの鉢として代表的なもので、それ自体が華やかさを備えているという。
酸化銅といい、色合いといい、ラスター彩が頭に浮かぶが、ラスター彩は薄く、また濁りのない釉薬である。それが二酸化マンガンの効果なのだろう。

ピンク線文鉢 1980年頃 高さ9.5径20.1㎝ 磁器
同展図録は、ルーシー・リーといえば、まずこのピンクを思い浮かべるのではないだろうか。それほど特徴的な、この鮮やかなピンクは、酸化クロムを含んだ化粧土に錫を含んだ釉薬を掛けて焼成することで得られたということが、リーの釉薬ノートの記述より再現されている。ピンクの濃淡は釉薬に含まれる錫に左右されると考えられるが、本作品は、作者の理想としたピンクに最も近い発色を得たものといわれているという。
口縁部にブロンズ釉を掛けた作品が多くなる。このようにほとんど下に流れないものから、表表紙(下に図版)のように全体に流れているものもあれば、器体の半分くらい滲んでいる作品まで、ルーシー・リーは楽しみながら作っていたようだ。

ブロンズ釉白線文鉢 1982年頃 高さ12.1径20.5㎝ 磁器
同展図録は、金属的な質感を湛えたブロンズ釉による鉢で、高台と口縁に近い白とその中央部の線条が、全体に引き締まった印象を与える。腰部から胴部にかけて、ふくらみを保ちつつ上昇し、それが本作品に安定感を生み出しているという。
見込みにも同じ位置に細い線条のある白い部分があるが、その下がどんな風になっているのか、もう忘れてしまった。

        東洋陶磁美術館 フィンランド陶芸展3

参考文献
「没後20年 ルーシー・リー展図録」 2015年 日経新聞社
表表紙 青釉鉢 1980年頃 高さ9.5径21.2㎝ 磁器
1980年代は、口縁部に幅広くブロンズ釉を巡らした作品が目立つ。作品ごとにブロンズ釉の幅や垂れ具合が異なっていて、ブロンズ釉が溶けて流れ出していく妙を楽しんでいたのではと思ってしまう。
裏表紙 青ニット線文碗 1980年頃
上に見込を移した図版と解説があります。