お知らせ

忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/10/11

ブリンディシ サン・ジョヴァンニ・アル・セポルクロ教会 壁画

サン・ジョヴァンニ・アル・セポルクロ(San Giovanni al Sepolcro)教会にはフレスコ画が残っている。
説明パネルは、聖ヨハネの墓は、八角形で8本の円柱が二列に並んだ聖遺物である。聖地から戻る前に信者や巡礼者が祈るための場所に過ぎなかった。テンプル騎士団と聖墳墓軍の騎士たちだけの謎に満ちた崇拝の場であった。ブリンディシに砦があったことが知られているという。
既に建物があったためか、内陣や後陣を設けるためか、東側が直線的に切られ、正円ではない(その上斜め方向から撮影したので、歪みも加わっている)。
異形の建物で、13世紀のフレスコ画が、礼拝堂だったことを思わせる。しかし、すぐにオカルトとも言える側面を持っていることがわかるという。
確かに、ローマのサンタ・コスタンツァ廟のような円形で柱が二列に並ぶが、柱間のアーチはややいびつ。その簡素さが木製の天井とよく合うが、柱頭は繊細なアカンサスの葉文様で、円柱は古い建物の転用材のよう。


側壁にはフレスコ画が残っている。聖人の肖像が並んでいたよう。
説明パネルは、細い円柱に支えられた2つのアーケードの中には二人の人物が描かれていた。左の人物は下半分しか残っていないが、長い衣が足首まで隠している。もう一人は頭光の射す人物で、短い服で巡礼者の聖ニコライオスである。彼はギリシアのオシオス・ルカス修道院から11世紀末にアプリア地方にやって来たという。

左後陣の左壁、窓の右に人物像
描かれた後に窓を開いたのか、顔が削られている。

左後陣の浅い壁龕のフレスコ画は13世紀後半-14世紀前半
その上部はデエシス(玉座のキリストの左側に聖母、右に洗礼者ヨハネ)というが、言われてみれば左端がマリアの青い長衣がうかがえる。
その下は聖女のよう。
右側の聖人も聖ニコライオスらしい。
壁龕下部は大理石の縞を模したような線が描かれるが、これは歴史が古く、サントリーニ島のアクロティリ遺跡(前17世紀)ですでに見られる。
それについてはこちら
外側の壁龕には
上は十字架降下 13世紀前半
キリストの磔刑、14世紀後半

内陣には壁画は残っていなかった。その右壁面にソロモンの結び目の線刻
このような図だった。
説明パネルは、ソロモンの結び目は、最も古く、最も有名な印で、複雑な象徴である。
結び目は天と地を繋ぐものとしての象徴であるが、聖書では神から授けられたソロモン王の象徴であるという。

右後陣のフレスコ画は14世紀
上半分に残っているが、ほとんど失われている。
説明パネルは、キリストの磔刑図、下方右側は聖母という。
十字架の両側には頭光のある有翼の天使が跪いているという。
半ドームのアーチからのびる枠に文様帯がよく残っている。
玉座に坐す聖司教と、赤い着衣の聖人らしい。



付け柱の両側にはフレスコ画がよく残っている。
付け柱の左
上は十字架降下。
付け柱の右側は人物像が並び、右端が馬
馬が交差しているが、どちらも後ろ肢だけ。右の濃い壁面の下に古い時代の壁画が現れたのだろう。
新しい方のフレスコ画は、聖母子のエジプト逃避の場面に違いない。

付け柱を挟んで右壁面の壁画
付け柱の右には聖母子像が2面。左の方が古いかな。
そしてその壁面には、新たな2人の図像が描かれていたことが、残った着衣の層で分かる。色の様子から、付け柱左のエジプト逃避と同じ時代のものだろう。
どうやら、壁画が傷むと、同じ聖人や聖書の場面などを上に描くということを繰り返していたらしい。

扉口を挟んで右の壁面にはうっすらと残っている。
二人の聖人の図像は着衣比較的よく残っている。
左の人物の長衣はあまり襞のないもので、斜格子が細密に描かれている。右の人物の方は、襞が多く、くっきりとした色彩だが、よく見ると上半分とは描かれた層が異なっている。
右のフレスコ画は、横向きの人物が2人、珍しく横向きに描かれている。しかも頭光のない人物で、同じような帽子を被っている。何かの儀式を表しているのだろうか。

ブリンディシ サンジョヴァンニ・アル・セポルクロ教会 石彫

関連項目
ブリンディシ(Brindisi) 朝散歩