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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2019/07/23

格狭間の起源は刳り形のある四脚座?


仏像で格狭間のある台にのっているものをみると、

阿弥陀三尊および僧形像 飛鳥時代・7世紀 縦39.0横32.3㎝ 銅板製鎚起鍍金 法隆寺献納宝物
『法隆寺宝物館図録』は、押出仏は仏像などを浮彫りした型に薄い銅板をのせ、上から鎚でたたいて姿を打ち出したもので、1つの型から量産することができる。
日本では、7世紀後半から8世紀はじめの白鳳文化期を中心に流行したが、多くは仏堂の内壁に貼られたり、厨子などに入れて個人的に礼拝されたという。
阿弥陀三尊像はあるが、五尊像というのは見たことがないような・・・このような仏像群の元になるものは何だったのだろう
e国宝押出阿弥陀三尊および僧形像は、この像の構図や様式は、法隆寺金堂壁画、とくに6号大壁に近く、新来の初唐の図様を学びとったものであろう。時代的にも絵画でいえば前記壁画、彫刻なら薬師寺金堂の薬師三尊像などに近いころのものと思われるという。
蓮華座の八角形の敷茄子には、角に植物の蔓状のものが2本上方に伸びて左右に分かれ、それが一つの面に格狭間状の空間をつくりだしている。
格狭間のぎざぎざした切り込みが、その空間ではなく、脚部の立ち上がりがこんな蔓草だった名残かも。

阿弥陀如来倚像および両脇侍立像 飛鳥時代・7世紀 中尊28.4㎝ 銅製鋳造鍍金 法隆寺献納宝物
同書は、台座の腰の背面に「山田殿」という文字が刻まれており、この像がかつて所蔵されていたところがわかる。日本に残る最も古い阿弥陀三尊像という。
山田殿とは山田寺、あるいは建立した山田石川麻呂を指しているのだろうか。
格狭間は刳り込みの両側面が丸く外に出ていて独特。

観音菩薩立像・勢至菩薩立像 飛鳥時代・7世紀 像高観音21.6勢至22.0㎝ 銅製鋳造鍍金 法隆寺献納宝物
三曲法による造形だが、勢至菩薩よりも観音菩薩の方が均整がとれている。
格狭間は平たく中央が引っ張られた頂部だけが出ている。
装飾というよりも、強度を持たせるために格狭間を2つに分けたのかな。

観音菩薩立像 飛鳥時代・辛亥年(651) 像高22.4㎝ 銅製鋳造鍍金 法隆寺献納宝物
同書は、段をつけて眉や目を表す穏やかな顔立ちに、飛鳥様式から一歩抜け出した新しい時代感覚がみられるという。
救世観音立像(7世紀前半-半ば)に似た左右対称の衣文表現で、天衣や着衣の端が鰭状に、段々にし外へと向かっている。
玉虫厨子の下框に似た台脚で、開かれた格狭間、いや脚は幅広だが四脚座?

銅菩薩立像 中国・南朝陳時代、太建元年(569) 高22.4㎝ 東京藝術大学蔵
『小金銅仏の魅力』は、光背から深い鋺を伏せたような形の台座まで一鋳。鍍金は鈍い光を発する。鰭状天衣は大分穏やかになった。魚鰭状の蓮弁を見せる台座も初めてで、その正面に台座の香炉を表すという。
鋺形台座の底部両側から枘を出し四脚座にさし込むという。
底辺が閉じていても四脚座だった。
このように見ていると、側面に切り込みのあるタイプと上部にだけ切り込みのあるタイプとがあるようだ。

金銅菩薩立像 中国・北朝北斉時代、天保5年(554) 高18.8㎝ 富岡美術館蔵
『小金銅仏の魅力』は、鍍金は鈍い光を発する。瓔珞や天衣のあしらいには新しいものが見られ、隋時代への様式の変化を知る上の基準作となるものであるという。
上部に切り込みのあるタイプ。
四脚座の脚を内側に湾曲して太くするのは、安定感を高めるためだったのだろう。四脚座の中には細い柱状のそっけないものもある。

金銅菩薩立像 中国・北魏時代、太和8年(484) 高24.0㎝ 
『小金銅仏の魅力』は、全体を一鋳とし、鍍金をよく残す。五胡十六国時代の菩薩像とは瓔珞や天衣の形も大きく変ったという。
台座の力強い蓮弁や四脚座の三角文や刳り形はこの時代の特徴という。
その輪郭を飾る毛彫りは蔓草というよりも湧く雲を表しているよう。

金銅如来及眷属像 中国・五胡十六国時代 高13.5㎝ 高さ28.1㎝ 出光美術館蔵
『小金銅仏の魅力』は、この時代の如来坐像の荘厳(しょうごん)の様をほぼ完全に伝えている点で極めて重要である。四脚座上框から伸び出た柄には、挙身光をつけた両脇侍菩薩、別鋳の大火焔光背には頭光をつけた7体の化仏、その下に飛天(右方亡失)と比丘形、菩薩形の立像をいずれも別鋳して取り付けているという。

中尊は同鋳の方形座の下に蓮華文や水波文を毛彫りした別鋳の四脚座を備えるという。
上辺には鋭い切り込みが左右対称にび、蔓草ではなく水波文並ぶという。

金銅如来坐像 劉宋時代(五胡十六国時代、南朝・宋)、元嘉14年(437) 高29.3㎝ 永青文庫蔵
『小金銅仏の魅力』は、光背・台座も完備する南朝の数少ない仏像として貴重である。頭部は髪を大きな束に分けて細線を施す。頬から首に至る面に区分がなく自然味を欠くが、着衣や印相、四脚座も五胡十六国仏と同工という。
四脚座の内側に刳り込みを入れ、力強い火焔光背を付けて五胡十六国仏より発展しているという。
これが刳り形のある四脚座の私が辿れる最古。
植物文様が元になっているようにも見える。
もちろん四脚座には何の装飾も刳りもない素朴なものも、同時代に存在している。
刳り形のある四脚座に強度を持たせるために下部もつくったのか格狭間の起源とも考えられるのでは。

おまけ

如来倚像および両脇侍立像 朝鮮・三国時代(6-7世紀) 銅製鋳造鍍金
e国宝如来および両脇侍像は、僧祇支をつけ、大衣を通肩にまとい、胸元に腰帯をのぞかせる中尊の着衣形式や左右対称に鰭状の出をつくる両脇侍の天衣表現等は止利派の諸像と共通する。しかし、頬に丸味のある穏やかな表情や刻線による眉の表現(ただし中尊のみ)など、全体の造形感覚は止利派の諸像とは異なり、むしろ朝鮮三国の特に百済の仏像と通ずるものがあるという。
同ページは、現在3尊が設置されている台座は木造漆箔のもので江戸時代の後補であるという。
下辺も曲線になった格狭間が三国時代にあったのかと思ったら、江戸時代のものだった。

一遍聖絵と時宗の名宝展 十二光筥の格狭間

関連項目
山田寺の伽藍址を歩く

参考サイト
e国宝押出阿弥陀三尊および僧形像如来および両脇侍像

参考文献
「法隆寺宝物館図録」 1999年 東京国立博物館
「小金銅仏の魅力 中国・韓半島・日本」 村田靖子 2004年 里文出版