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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/06/05

角形リュトン


リュトンはこれまでに様々な場所から出土したものを見てきたし、形も多様であった。
リュトンには下方の先端部に穴が開いていて、指でその穴を塞いでいないと漏れてしまうため、酒を注がれると、飲み干すまでは置くことができないという風な説明を受けたことがある。

『聖なる酒器 リュトン』は、注ぐ器としてのリュトンの起源は、
新石器時代の獣形容器と角形容器に遡ります。
古くから獣形容器は呪術性をもった容器であり、
角形の器は一つの原型でした。
4000年近く前の地中海域では、
末端に穴を開けた角型のリュトンは
主にワインのフィルターとして使われ、
獣頭形のリュトンは献酒などの儀式に使われていたようです。
この角形容器の先端に獣形をつけた杯が作られるようになったのは、
3千数百年前の小アジアであり、
使用時に獣形が正立する杯の形が出現したのは、
2600年前の前アケメネス朝時代、メディア王国の時代でした。
そして、この曲がった角の先端に付けられた獣形に
注口が開けられたリュトンが誕生したのは、
古代オリエント世界を統一した
アケメネス朝ペルシアの時代だったのですという。

リュトンという言葉の起源について同書は、
リュトン(ギリシア語 ρυτον、rhyton」は、
儀式で灌奠を行うための器でした。灌奠とは酒、香水、蜂蜜、油、乳といった高価な液体を、
地や他の器などに注いで神に捧げるもので、
犠牲を捧げることに通じていました。
リュトンという名前は、
「流れる ρεω、rheo」という言葉に由来します。
その器は正に注ぎ出す、流出の器だったのです。
さらに古くは、リュトンはケラス(κερος、keras:角)とも呼ばれた、
角形の器でした。
その角形の器には、しばしば動物の形が付けられましたという。

『黄金の国・新羅展図録』は、角杯は、牛や犀などの動物の角を切断して酒のような飲料を注いで飲んだ風習に由来する容器であるという。
祭祀に用いた角杯は、東漸するうちにその用途がなくなっていった。

白磁角杯 高9.5㎝ 李氏朝鮮時代(15世紀) 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、リュトンとも呼ばれる角杯はもともと遊牧民族が酒などを飲むのに使っていた容器です。中央アジアでは金属器のリュトンがあり、これらの造型が朝鮮半島にも伝わったのかもしれません。リュトンは三国も高麗時代にも制作されています。
-朝鮮時代の初期、15世紀には、白磁は国王の御器として専用されていた。
雪白色に輝くような焼き上がりを見せるものがあるが、この角杯は、少し焼成温度が低かったためか、つやや輝きはない。
それがかえって潤いを与え、成形も丹念に厳粛に作られ、いかにも国王の器に適わしいという。
角杯が白磁で、しかも李朝期というかなり時代の下がった時期に作られていることに驚いた。

韓半島の角形のリュトンは見たことがあるが、三韓時代の硬質土器だった。その形がずっと半島で残り、王の威信材として伝わっていたということなのだろう。

騎馬人物形土器 伽耶(5世紀) 高23.0㎝ 伝慶尚南道金海出土 国立慶州博物館蔵
『世界美術大全集東洋編10』は、高杯と同じ形態の脚の上に長方形板を載せて、その上に武装した馬が載る。菱形の小さい透孔が上下2段に1列に開き、櫛歯文を刻んだ脚は、伽耶地域の土器の特徴を示し、5世紀中葉の製作と考えられる。板の上に載る騎馬人物は、馬・馬甲・人物・角杯の各部分に別々に作り、お互いを組み合わせた後に焼成している。臀部に載る角杯は左右に高く立ち上がり、寄生(馬の臀部に立つ装飾物)の役割を果たしている。
日本でも奈良県南山4号墳から、角杯の底部がつく馬の臀部破片と台脚部が出土した。本品と同類であり、金海地域からの搬入と考えられているという。
馬具の寄生を検索していて、日本では蛇行状鉄器がそれに当たることがわかった。
西方浄土筑紫嶋蛇行状鉄器に、蛇のように細長く曲がりくねった管が何点か、そして馬の鞍後部に旗竿としてそれを取り付けている図等が紹介されていた。
この土器の場合は、2本の角は旗を立てるものではなく、騎馬人物の身分を表していたか、人物を護ることを願ったものではないだろうか。

角杯・角杯台 新羅(5-6世紀) 高22.5台高11.0㎝ 慶州地域出土 角杯:韓国国立中央博物館蔵 台:韓国国立慶州博物館蔵
『黄金の国・新羅展図録』は、朝鮮半島で一般的な角杯が登場するのは三国時代で、天馬塚からも20本の牛角と漆器製と金銅製の角形容器が共に出土している。
角杯は自立しないためこれを受ける台が必要である。角杯台は、二段透孔の台脚に円形の皿を取り付け、その上に上部が開口した円筒を接合し、その側面に孔をあけて角杯の端が外部に出るよう製作しているという。
20本もの角杯が出土しているということは、王族の酒を飲む容器だったのだろう。

角杯・角杯台 新羅(5-6世紀) 高17.0㎝ 慶州味鄒王陵C地区7号墳出土 国立慶州博物館蔵
『ユーラシアの風新羅へ展図録』は、簡素で実物の角のような現実味があり、ユーラシアステップの遊牧民が盟約など重要な儀式に使った実物の角の杯を彷彿させる。角杯の台には当時流行した器脚の様式をそのまま応用し新羅様式を作り出しているという。
転がらないために、いろんな工夫をしていたのだ。

角杯 新羅(5-6世紀) 長27.8㎝ 浦頂冷水里古墳出土 国立慶州博物館蔵
同展図録は、角杯の口縁周辺には三角模様と円形模様が刻まれている。全体の形状に強い様式化が感じられるという。
今まで見た角杯と比べると、かなり反り返っているのは自立させるため?これでバランスしているのかな?

角杯 日本古墳時代(6世紀前半) 残高22.5最大径9.5㎝ 兵庫県明石市赤根川・金ヶ崎窯跡出土 明石市教育委員会蔵
『ユーラシアの風新羅へ展図録』は、粘土紐を巻き上げて成形され、外面は篦ナデによって調整されている。多数出土している須恵器から本窯の操業時期は6世紀前半に比定できるという。
硬質土器の焼成法と共に器の形も半島から伝わって須恵器ができたが、角杯という形までも将来されていたのだった。

いつものように角形リュトンを遡ってみると、
『ユーラシアの風新羅へ展図録』は、スキタイ系遊牧民は、前5世紀頃動物形注口をつけたペルシア型のリュトンも受容したが、儀式用には変わらず角杯が使われたようである。角という壊滅しやすい材質のため、今に伝わるものは多くない。東アジアで発見された青銅、玉、陶漆製の角杯は、スキタイ系角杯の伝統を汲む草原地帯の遊牧民との接触を示しており、当時の激動する国際情勢や文化交流を物語るものであろうという。

獣頭付角杯形土器 伽耶(5世紀) 所蔵不明
草食獣の頭部がリュトンの末端に付くが、ここに孔があったかは不明。足つきで自立する。  

角形玉杯 前漢前期(前2世紀) 長18.4口径5.8-6.7㎝ 広東省広州市南越王墓出土 西漢南越王墓博物館蔵
『世界美術大全集東洋編2』は、玉材を丸彫りし、獣角の形を作り出している。中国内地の骨董界では早くからこれに酷似する玉杯の存在が知られていたが、「リュトン杯」と呼ばれる西方系の金銀器との連想から、長いあいだ唐代以後の様式と考えられ続けてきた。南越王墓からの発見によって、そうした従来の年代観は1000年以上も引き上げられることになったのであるという。
一見羊の頭部を表したように見えるが、よく見ると、2つに分かれたものは角ではなく、底部に羊の鼻も表していない。

青銅製兕觥(じこう) 周末期(前4-3世紀) 華南出土 所蔵不明
兕觥はなど動物の形をした蓋付きの容器だと思っていたが、角杯も兕觥の一種だった。蓋もあったと思われる。

角杯 前8-前1世紀 新疆ウイグル自治区且末(チャルチャン)出土 所蔵不明
これは動物の角を杯にしたものだろう。

青銅製兕觥 商晩期(前11世紀) 河南省安陽出土 所蔵不明
先端が失われているようだが、この形は中国では周末期まで、ほとんど変わらずに伝わっていったようだ。

角形容器 前5千年紀 ブルガリア、スタラ・ザゴラ鉱泉出土
これが一番古い角形容器。把手がついているものは他にはなかった。
ブルガリア地域に住んでいたトラキア人が使っていたものだろう。

動物の角はどの地域でも見られるものなので、角杯に地域や時代による形の変化がほとんどみられなかった。

東洋陶磁美術館 朝鮮半島の白磁
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参考サイト
西方浄土筑紫嶋蛇行状鉄器

参考文献
「聖なる酒器 リュトン 語りかける いにしえの器たち」 2008年 MIHO MUSEUM
「ユーラシアの風 新羅(しんら)へ」 MIHO MUSEUM・岡山市立オリエント美術館・古代オリエント博物館編 2009年 山川出版社
「世界美術大全集東洋編10 高句麗・百済・新羅・高麗」 編集菊竹淳一・吉田宏志 1998年 小学館
「世界美術大全集東洋編2 秦・漢」 1998年 小学館
「黄金の国・新羅-王陵の至宝展図録」 2004年 奈良国立博物館