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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/05/25

東洋陶磁美術館 朝鮮半島の白磁


大阪市立東洋陶磁美術館には定窯白磁の素晴らしい鉢があり、これまでにも記事にしてきたが、今回は撮影可ということなので、自分の写真を添付してみました😊

白磁刻花蓮花文洗 北宋時代(11-12世紀) 定窯 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
説明パネルは、器の内外に表された蓮花文は、定窯特有の牙白色(アイボリー・ホワイト)の白磁の中に浮かび上がっています。光を通すほど極めて薄くつくられており、ゆがみがなく焼成するために上下逆にして焼かれました。定窯白磁は宋・金時代に宮廷内でも用いられましたが、本作は宋代定窯白磁の優品の一つです。釉のかかっていない口縁部には銀製の覆輪がはめられていますという。
でも、定窯の白磁らしい牙白色には写せなかった。
見込には大きく蓮華が表されるが、葉は蓮ではなく蔓草のよう。
花弁はヘラ彫りで浮き出して彫られているが、その片側にだけ細い線が入り、花弁の中にも細い櫛掻きで葉脈表される。
外にも大きな蓮華が巡る。縦の蓮華は4つかな。
そして、内側にはないが、器の胴部から下に向かって縦に浅い凹みが認められる。一つの蓮華に凹みが2つあるらしい。

朝鮮半島でも白磁はつくられ、同館で常設展示されている。

白磁陰刻牡丹蓮花文瓶 高麗時代(12世紀) 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
説明パネルは、高麗白磁は青磁と同じ窯で焼かれ、形や文様の共通性も多く、高級品でした。本作は、頸が細く長く、胴がたっぷりとふくらんで、高麗の優美な造形感覚を示しています。胴面に陰刻された牡丹文と蓮花文にも、細緻で優雅な文様表現を見ることができます。全羅北道扶安郡柳川里窯址から同様の陶片が出土していますという。
『美の求道者・安宅英一の眼展図録』には、安宅氏が高麗陶磁の中で、もっともその取扱いに慎重を期していたもの。
筆者も修行時代のかなりの長期にわたって、直接手を触れることが許されなかった。
それは口から頸にかけて大きな修理があり、また釉薬が剥がれ易かったことに一因がある。
しかし、安宅氏のこの作品に対する思いが、それだけ深かったことにもよるだろう。
高麗陶磁に宿る美神を、この一点の中に見ておられたように思われるという文が添えられている。おそらく同展開催当時の館長伊藤郁太郎氏の文と思われる。
高麗で制作された白磁は牙白色ではない。
牡丹側を正面にして展示されていた。蓮華文はどんなだっただろう。
線刻による牡丹文は、頂点は大きな花ではなく、開きかけた蕾になっていて、高麗の花に対する美意識が現れている。
ただ、器体には細かい嵌入が見られ、完全な磁器ではない。そのためか、左下部や右側面にはシミが出ているが、これは雨漏とは呼ばない?できあがった時点ではこのようなシミはなく、酒器などに使っている間に出てきたのだろう。
高麗ではそのような景色を楽しんだのかな。それともそのような趣向は日本独自のものなのだろうか。
高台内にも釉薬がかかっている(説明パネルの写真より)。

白磁壺 朝鮮時代(16世紀) 高23.0㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
説明パネルは、朝鮮半島における白磁生産は高麗時代に端を発しますが、15世紀後半には京幾道広州市に官窯が設置され、本格的に白磁が生産されました。この壺は玉縁状の口、楕円状の胴体が横へ膨らんだ造形にあたたか味があり、その魅力を増しているようですという。
『美の求道者・安宅英一の眼展図録』は、「稀代の目利き」、とも称せられた青山二郎氏と、安宅コレクションとの関係を示す、ただ一点の作品。
箱の蓋裏に、青山氏が墨書した銘「白袴」と、「青山二郎」の角印を押したラベルが貼られている。この銘は、この壺の本質を見事についたもので、この壺に対する青山氏の眼の確かさを証明するという。
ずんぐりとした壺である。嵌入が入るその釉の色は青みを帯びている。
玉縁状の口縁が特徴的。膨らんだ胴の割に口は小さく、高台とほぼ同じ大きさに見える。
高台内も釉が薄く掛かる。もっとも、こんな大きな壺の高台に釉がかからないように掛ける方が難しいだろう。

白磁壺 朝鮮時代(18世紀) 新藤晋海氏寄贈 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
説明パネルは、胴の曲線のゆがみやひずみが、かえって表情を豊かにしている白磁の大壺です。落着いた乳白色の美しい釉色が厚くかかっています。こうした大壺は数少なく、韓国では「満月壺(タルハンアリ)」とも呼ばれ、朝鮮白磁の粋として珍重されていますという。
「白袴」とは似つかない形だが、口縁部が共通する。
これは安宅コレクションではなかった。
本作は志賀直哉から東大寺元管長・上司海雲師に贈られ、東大寺の観音院に飾られていましたが、1995年に泥棒が地面に叩きつけ、粉々になりました。その破片が、すぐれた技術による修復を経て、以前と変わらない姿でよみがえりましたという。
一見表面が傷だらけに見えるが、とても粉々になったものを修復したとは思えない。それほど技術と作品への思い入れの成果だろう。

私が大学生の頃安宅産業が倒産した。その後安宅コレクションは住友グループが買い取ったため散逸を免れた。住友グループは全て大阪市に寄贈し、大阪市立東洋陶磁美術館が開館したのが1982年のことだった。家族で鑑賞に出かけたが、その時の図録よりも、2007年に開催された『美の求道者・安宅英一の眼展』の図録の方が解説が細かいので、その図録で白磁をもう少し見てみると、

白磁角杯 高9.5㎝ 李氏朝鮮時代(15世紀) 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、リュトンとも呼ばれる角杯はもともと遊牧民族が酒などを飲むのに使っていた容器です。中央アジアでは金属器のリュトンがあり、これらの造型が朝鮮半島にも伝わったのかもしれません。リュトンは三国も高麗時代にも制作されています。
-朝鮮時代の初期、15世紀には、白磁は国王の御器として専用されていた。
雪白色に輝くような焼き上がりを見せるものがあるが、この角杯は、少し焼成温度が低かったためか、つやや輝きはない。
それがかえって潤いを与え、成形も丹念に厳粛に作られ、いかにも国王の器に適わしいという。
韓半島角の形のリュトンは見たことがあるが、三韓時代の硬質土器だった。その形がずっと半島で残り、王の威信材として伝わっていたのだった。
角形リュトンについてはこちら

白磁象嵌「楽」銘碗 李氏朝鮮時代(15世紀後半) 径12.8㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、朝鮮陶磁の神様と呼ばれた浅川伯教氏(1884-1964)は、この碗が「詩」「書」「禮」という銘を黒色で象嵌した白磁盃3点とともに出土したと記しています。柔らかい質の白磁で、慶尚南道・西部地方の製品と見られます。
-朝鮮時代の前期、15世紀のある時期、短い期間、この技法が現れた。
遺例は決して多くなく、とくに「楽」字銘をともなうものは、ほかにはないという。
この器が定窯白磁の牙白色に似ているかな。

白磁祭器 李氏朝鮮時代(16世紀) 高20.0㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵 
同展図録は、「簋(き)」と呼ばれる祭器で、本来あるべき複雑な装飾を省略し、かえって造形の力強さを増しています。15世紀後半-16世紀にかけて慶尚南道西部地域で焼かれた柔らかい質の白磁ですという。
焼成時に胎土から気体が出たピンホールが目立つ。器壁のおおざっぱな削り方や柔らかい雰囲気は、白磁というよりも、粉引のよう。

白磁面取壺 李氏朝鮮時代(18世紀後半) 高21.9㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、全体を8面に面取した壺で、口作りの様子から本来は蓋を伴っていたと思われます。
かすかに黄みを帯びた釉色が穏やかな印象を与え、胴裾の貫入より生じた染みが景色となっていますという。
面取しても角がそれほど目立たず、牙白色の優美な壺だ。
「白袴」の外に捻った口縁部とは異なり、上に立ち上がっているのも器体によく合っている。
高麗時代(12世紀)の磁陰刻牡丹蓮花文瓶と同じくシミが見られるのも、日本人好みかも。



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関連項目
角形リュトン
東洋陶磁美術館 唐代胡人俑展
東洋陶磁美術館 乾山の向付は椿だった

参考文献
「美の求道者・安宅英一の眼-安宅コレクション展図録」 大阪市立東洋陶磁美術館編集 2007年 読売新聞大阪本社