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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2018/06/01

東洋陶磁美術館 朝鮮半島の白っぽい陶磁


旧安宅コレクションをもう少し。

鉄砂虎鷺文壺 朝鮮時代(17世紀後半) 高30.1㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
説明パネルは、前足をふんばり、首をもたげて目を開く虎の姿は、長いまつげとむき出した牙のために戯画風になっています。しかし周囲の霊芝雲や、蓮花をはさんで立つ二羽の鷺には、霊的空気さえただよいます。胴のもう一面には三本の竹が力強い筆勢で一気に描かれています。朝鮮時代陶磁屈指の名品として、古くから評価の高い壺ですという。
『美の求道者・安宅英一の眼展図録』は、第二次世界大戦以前の韓国陶磁の大コレクターの一人に、赤星五郎氏がいた。その赤星コレクションのやきものは、ほとんど安宅コレクションに帰した。
虎の絵は、過去の著作ではすべて戯画と見て、無邪気、滑稽、愛嬌などと評されているが、これは裏面にある仏画のような鷺図と対比して考えるべきで、実はきわめて厳粛な図である、と筆者は見ている。
安宅氏がどう考えていたかは聞き洩らしたが、時に鷺図の方を正面に出しての陳列を指示したことがヒントになるかも知れないという。
口縁部と器体が「満月壺(タルハンアリ)」に似ていて、同工房で作られたのかと思うほど。
複数回見ているこの思わず笑いたくなる壺だが、鷺図は一度も見たことがない。
大阪市立東洋陶磁美術館の収蔵品検索で現れた鷺図は、この虎図を描いた人物とは別人の筆になるのではないかと思うほどに細い線で軽やかに描かれている。
しかも、大きな蓮華に乗る二羽の鷺は、中央に延びる茎と蕾を挟んで、互いにそっぽを向いているという興味深い図柄なのに。

粉青という類いの陶器が李朝期に現れる。
同展図録は、15-16世紀の朝鮮陶磁は、粉青と白磁という二重構造のなかで展開する。中国・明朝は朝貢する藩国に対してその礼制に従うように求めたが、朝鮮王朝でも太宗年間(1400-1418)には洪武礼制に従うことが求められ、その後、本格的な祀典にもとづいた祭祀が行われた。これらの祭祀には、当然のこととして明の祭器に倣う器、すなわち白磁が必要とされた。しかし15世紀当初の朝鮮王朝では白磁を大量に焼造する技術が整わず、まずは高麗時代からつづく青磁生産の秩序を図ることが課題とされた。こうした動きとともに、いわゆる「粉青(韓国では粉青沙器、日本では三島)」という「新しい様式の青磁」が登場する。粉青というとまったく新しい陶磁器のようであるが、その釉胎は青磁とほとんど変わることはなく、ただ表現の内容が高麗青磁とは異なって白土による装飾が様々にほどこされる。
さて1468年頃に京畿道において王家や官庁用の白磁が本格的に焼造されはじめると、粉青はその供給先を地方官吏などに変えていった。当時の粉青は元・明磁の文様を自由に変えた、あるいは独自の発想によるものが多く、王室の美術にはみられない破格の美意識を今に伝える。こうした美意識はその後の朝鮮美術のひとつの根幹を形成していき、安宅コレクションにはとりわけ名品が多い時代でもあるという。

粉青鉄絵蓮池鳥魚文俵壺 李氏朝鮮時代(15世紀後半-16世紀前半) 高14.4㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、筒型にロクロ成形した本体を横にして、胴にあたる部分に、別作りした口を取り付けたものです。酒などの液体を入れた容器です。蓮池にカワセミ、魚、鷺の寓話的な組み合わせが、不思議な構図で描かれています。
-鶏龍山の俵壺として比類ない逸品であるが、朝鮮時代のやきもの全体を見渡しても、
十指のうちに入るだろうという。
同館の収蔵品検索で見ると、裏面に、同じく2本の蓮華の間にサギが描かれていた。その表情がなんとも面白い。李朝の鉄絵の作品は楽しいものが多い。

粉青白地象嵌条線文祭器 李氏朝鮮時代(15世紀後半-16世紀前半) 高16.2㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、中国古代の青銅器の方彝(ほうい)と呼ばれる器形を模したもので、儒教の祭器の一つです。側面には白象嵌で雷文が表されています。また、側面に施されている白泥も力強さを感じさせます。
-ここには、器をきれいに見せようという意識は、一切ない。
ただあるのは、むき出しに迫ってくる祭器としての荘重さと、威厳に満ちた存在感だけである。これこそが、当時の陶工が、狙っていたやきもののかたちであった。
安宅氏の美意識の一つの側面を、この祭器に典型的なかたちで見出すことができるという。
確かに彫三島のように白い象嵌の線が縦横に通っている。

粉青粉引祭器 李氏朝鮮時代(16世紀) 高13.6㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、白土を溶いた液に器を浸して白色とする粉引は、16世紀に白磁の代用品として流行しました。本品は祭器の複雑な装飾を省略して大胆な造形とし、安宅コレクションの粉青を代表する作例の一つとなっていますという。
王族や貴族以外の人々も白い器へのあこがれがあったのだろう。
肌に暖かみの感じられる、日本人好みのやきものである。

粉青絵粉引草花文瓶 李氏朝鮮時代(16世紀) 高17.5㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 
同展図録は、ロクロで瓶をひきあげた後、両面から押して胴を平らに作る形を扁壺と呼びます。白土を溶かした液に器を浸して白一色とし、鉄絵具で簡略な草花を描くもので、全羅南道高興郡雲垈里窯址などで焼かれました。
-昭和26年度にはじまる陶磁器蔵品台帳の、最初に記載されている作品で、現存する安宅コレクションの第1号である。粉引の中でも、鉄絵のあるものはとくに珍重され、最初の購入品として適わしいという。
柔らかい質感には、ぼんやりと描いた植物がよく似合う。 

粉青粉引瓶 李氏朝鮮時代(16世紀) 高18.1㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
『美の求道者・安宅英一の眼展図録』は、白土液に器を浸して白色とする粉引は、日本では茶道具として好まれました。本品は加賀・前田家に伝わり、お預け徳利としても使われたといいます。注ぎやすいように、小さな注口をつくり、胴の両面を軽く押さえていますという。
柔らかな肌にシミが加わって時代がついたこのようなやきものを好む日本人の美意識。ただし、NHKの『美の壺』で「心なごむ白い器 粉引」によると、本国では儒教のため真っ白でないことが嫌われ、製作は短期間に終わったとか。
李朝期に作られたのに、高麗茶碗と呼ばれる器にもこのような景色のあるものが多く伝世している。いつかゆったりとした時間ができたら、じっくりと見ていきたいものである。

鉄砂蟹文祭器 李氏朝鮮時代(17世紀後半) 高13.4㎝ 住友グループ寄贈(安宅コレクション) 大阪市立東洋陶磁美術館蔵
同展図録は、蓋を伴う祭器で、身の側面に蟹らしき文様が描かれています。元来、祭器は青銅器の器形を模したものであり、四隅の突帯がその名残りを示しています。蓋が本来のものかどうかは不明ですという。
祭器として用いられた器には、シミなどは出ておらず、新品のよう。

おまけ
李朝期の俵壺と、前漢時代の繭形壺、形は似ているが時代が違いすぎると思っていたら、新羅で繭形壺に似た土器が作られていた。

有蓋横瓶(よこべ) 新羅(6世紀) 高11.3、14.7口径5.7、8.2㎝ 慶州天馬塚出土 韓国国立慶州博物館蔵
『黄金の国・新羅展図録』は、横瓶とは、水や酒などのような液体を入れて移動するときに用いる容器である。形態は、円筒形を横に寝かせた胴部と胴部上半の中央につき狭く外反する口縁部とからなる。形態は胴部の一方が扁平で、もう一方は半球形である。底部は平面に固定できるようやや扁平な状態であるという。



東洋陶磁美術館 朝鮮半島の白磁

関連項目
始皇帝と大兵馬俑展7 繭形壺
東洋陶磁美術館 館蔵品で見る俑の歴史
東洋陶磁美術館 唐代胡人俑展
東洋陶磁美術館 乾山の向付は椿だった

参考文献
「美の求道者・安宅英一の眼-安宅コレクション展図録」 大阪市立東洋陶磁美術館編集 2007年 読売新聞大阪本社
「黄金の国・新羅-王陵の至宝展図録」 2004年 奈良国立博物館
NHKの『美の壺』「心なごむ白い器 粉引」