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忘れへんうちに 旅編では、イスタンブールで訪れたところを長々と記事にしています。その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/11/14

ターキ・ブスタン大洞に見られるシームルグ文


実は、ターキ・ブスタン大洞には、シームルグ文の浮彫があることは知っていたので、それがどこにあるのかをこの目で確かめたかったが、叶わなかった。

シームルグ文 イラン、ターケ・ボスターン大洞内奧浮彫 7世紀前半
『古代イラン世界2』は、今 日、イランの地でサーサーン朝ペルシア錦(324-641)とされるものの出土例は知られていない。それを具体的に知りうるのが有名なターケ・ボスターン の摩崖に掘鑿された大小二洞の大洞内壁に刻まれた浮彫(7世紀前半)の織物とみられるものの模様である。それは確実にサーサーン朝ペルシア後期の錦(サ ミット)の模様と言ってよい。

それら文様は身分や位階にもとづいて区別されて用いられていたと考えられる。その最高位に位置づけされているのがシームルグ(センマーヴ)文であっただろう。シームルグは犬の頭、孔雀の尾、グリフォンの羽、獅子の脚などいろいろな現実、非現実的な動物の部分から構成された霊獣である。ゾロアスター経典『アヴェスタ』においてはサエーナ・マラゴー(サエーナ鳥)と記され、鷲・鷹・隼などと同様の猛禽をあらわすとされる。
・・・略・・・ 王にのみこの神聖にして怪異な文様が用いられたのであろうという。
シームルグ文は王だけが使うことのできる文様だった。 

しかし、王の着衣は水玉に近い文様だった。
下段の王のフラワシ(永遠不滅の象徴)とされる重装騎兵の衣装、長衣かズボンにそれらしい文様があるのかも・・・
う~ん、膝下辺りに上記のシームルグ文があるのかも・・・

左壁猪狩り図
王の内着には文様はあるのだが、シームルグ文かどうか。
同図の王のフラワシの右腿あたりにシームルグ文がありそう。
右壁鹿狩り図の王に至っては、双鳥文のような衣装を着ている。

はっきりとはわからないというのが正直なところです。

サーサーン朝 帝王の猪狩り図と鹿狩り図

関連項目
ターキブスタン サーサーン朝の王たちの浮彫

※参考文献
「季刊文化遺産13 古代イラン世界2」 2002年 (財)島根県並河万里写真財団
「世界美術大全集東洋編16 西アジア」 2000年 小学館