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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/07/28

パサルガダエもナクシェ・ロスタムも拝火神殿ではなかった


『ペルシア建築』はパサルガダエの拝火神殿について、聖火のためには方形の塔があった。この塔は今では崩壊しているが、ナクシェ・ロスタムにある塔とよく似ており、その類似性は拝火信仰の歴史がいかに古いものであるかを物語るという。
ナクシェ・ロスタムの拝火神殿はよく残っているので、パサルガダエの方も入口へと登っていく階段の様子が想像し易い。
金の板が嵌め込まれていたという長方形のくぼみも同じような配置であるし。
正面
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトパサルガダエは、ダリウス二世王墓の前に建っている高さ12.5m,幅7.3mの方形の建造物である。便宜上「ゾロアスターのカアバ」と呼ばれるが,地元の伝承上の俗称であり,ゾロアスターとは何の関係もない。三階建てを思わせる窓がついているが,いずれもめくら窓である。基盤から6.35mのところにドアがある。そこに至る階段は下部のみが残っている。この建造物の目的は諸説が出されているが,不明である。王の即位礼で使用された可能性が一番高い。なお,東壁下部にはサーサーン朝の王シャーブフル一世の中期ペルシア語碑文が刻まれている。南壁下部にはそのギリシア語版が,西壁下部にはパルティア語版が刻まれている。また,東壁の中期ペルシア語碑文の下部にはケルティールの中期ペルシア語碑文も刻まれているという。
なんと、ゾロアスター教の拝火神殿ではなかった。パサルガダエの遺構の説明で、ガイドのレザーさんが「カンビュセス2世の墓という説もあります」というのも、可能性はあるかも。
遺跡の説明板は、「ゾロアスター教のカーバ神殿」として知られる石の塔。この2世紀の間、誤って拝火神殿と解釈されてきたという。
入口上部の軒
内部は何もない空間。
説明板は、この建物はアケメネス朝時代に建てられたパサルガダエのコピーで、石造技術はペルセポリスの全ての特徴を示す。特に燕の尾状の金属の留め具(鎹)はダリウスとクセルクセスの時代に使用された。これは重要な構造であった。というのも、シャープール1世(後239-70年)が壁の低いところに3カ国語(パルティア語、中期ペルシア語、ギリシア語)の碑文を残していて、彼の血筋、その帝国の拡張、ローマ帝国の3皇帝(ゴルディアヌス3世、ピリップス・アラブス、ウァレリアヌス)に対する勝利、家族と臣下、そして宗教上の寄付を記した。後に高位の祭司カルティールが東壁に碑文を残しているという。
西壁
説明板は、黒い石で造られた様々な四角形の壁龕が白っぽい壁に配置されているのは、偽窓のある三階建てのアパートを思わせるという。
確かに異なったタイプの窓が一対ずつ3段造られているので、そう見えるかも。
パサルガダエの石塔には屋根に突き出した歯形の装飾があったが、ナクシェ・ロスタムでは、それが四壁頂部に整然と並んでいる。
説明板は、7.3X7.3m平面で、3段の基壇の上に立っている。その下半分は中身が詰まっていて、上部は5mの高さの部屋のようになっている。30段の石段が北にある唯一の扉口へと続き、屋根は4つの巨大な石でできているという。
ペルシアでは、拝火神殿はこのような建物だと思っていたら、とんでもなかった。

拝火神殿の建物とされているものは、

タフティ・サンギンのオクス神殿(正確な年代は不明、前5-3世紀にも使われた)
時代としてはアケメネス朝からヘレニズム期になるので、アケメネス朝期の拝火神殿はこのような平面だったのえも。
外壁は城壁のように、7箇所に監視塔のような矩形の突起があり、永遠の火を燃やし続けるアーティシュガーが2箇所もある。
外観は翼の短いT字形。

もっと古い拝火神殿は、

ティリヤ・テペ遺跡の拝火神殿(『黄金のアフガニスタン展図録』より)
同展図録は、前2千年紀中頃には拝火教神殿が建てられたという。
城壁の監視塔のような円形の出っ張りが6箇所ある。

マルグシュの遺跡トゴロク21号神殿(前3-2千年紀中頃) 平面図(『世界美術大全集東洋編15』より)
『シルクロードの古代都市』は、「要塞」の外側、東側の隅に、平面図では大小2つの円が見えるが、ここが火の祭壇であった。小さい円の部分には聖火を燃やした後の聖灰が積もっていた。サリアニディほか多くの研究者は、トゴロク21号の宗教がゾロアスター教の源流、つまりツァラトゥストラによって改革される前の原(プロト)ゾロアスター教だと考えているという。
この拝火神殿も円形の突起が6箇所ある。

ところで、『古代イラン世界』には、ナクシェ・ロスタムのゾロアスター教聖火壇としてこのような図版が掲載されている。
同書は、従来アカイメネス朝の時代の建造物と考えられてきたこの拝火壇は、現在ではその構造からみて、サーサーン朝以前には遡り得ないことが明らかにされているという。
確かに、ペルセポリスやナクシェ・ロスタムの王墓というアケメネス朝の建造物、あるいはそれを浮彫にしたものには、アーチというものは見られない。
よく見るとこの図版は同じような聖火壇が2つ並んでいる。

時代は不明だが、『イスラーム建築の世界史』にサーマーン廟の元になったジェッレのチャハール・ターク(拝火神殿)が紹介されている。
同書は、サーサーン朝ペルシアの国教はゾロアスター教で、火を神聖視することから拝火教とも呼ばれている。世界が始まってから消えることのない永遠の火を、アーティシュガー(火の場所)と呼ばれる神殿で燃やし続ける。そこから儀式のために火がチャハール・タークという神殿に運ばれる。4つのアーチという意味で、矩形の平面の四方にアーチを架けねその上にドームを戴く。当時周廊をもち、対をなした状態で、山間地に建てられていたという。

ナクシェ・ロスタムの聖火壇も対で造られているが、アーチは開口部ではなく、壁龕になっている。

拝火神殿は、時代や場所と共に姿は変わっていったようだが、言えるのは、パサルガダエの現地の説明板が「石塔」とし、拝火神殿と信じていたものも、ナクシェ・ロスタムで拝火神殿と通称されているものも、拝火神殿ではなかったのは確かだということである。

  アケメネス朝の美術は古代西アジア美術の集大成
                →ナクシェ・ロスタムにエラム時代の浮彫の痕跡

関連項目
パサルガダエ1 要塞と拝火神殿
タフティ・サンギン遺跡オクス神殿
マルグシュ遺跡の出土物3 祭祀用土器が鍑(ふく)の起源?

※参考サイト
大阪大学 イラン祭祀信仰プロジェクトパサルガダエ


※参考文献
「ペルシア建築」SD選書169 A.U.ポープ著 石井昭訳 1981年 鹿島出版会
「世界の大遺跡4 メソポタミアとペルシア」 編集増田精一 監修江上波夫 1988年 講談社
「図説ペルシア」 山崎秀司 1998年 河出書房新社 
「黄金のアフガニスタン 守りぬかれたシルクロードの秘宝展図録」 九州国立博物館・東京国立博物館・産経新聞社 2016年 産経新聞社 
「シルクロードの古代都市 アムダリヤ遺跡の旅」 加藤九祚 2013年 岩波書店(新書)
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店