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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2017/05/09

シーア派はミナレットからアザーンを唱えない


『イスラーム建築の見かた』は、サファヴィー朝以後シーア派を標榜したイランでは、ミナレットは建築の装飾として用いられるだけで、アザーンはイーワーンの上に設けられたゴルダステと呼ばれる小屋から唱えられるようになるという。
イーワーン上の小さな建物は監視塔だと思っていたが、ゴルダステという、シーア派でアザーン(礼拝への呼びかけ)をするものだった。

朝散歩で、外側から見えたマスジェデ・イマームの北西イーワーンの上にあるこの小屋である。東西南北の各方向を向いてアザーンを唱えていたのだろうか。
チャハール・イーワーン形式の中庭から見ると。

そして、同じくチャハール・イーワーン形式のマスジェデ・ジャーメの西イーワーンにも。ただし、このイーワーンが建造されたのは、セルジューク朝後期(12-13世紀)。その頃はスンニ派だったので、ミナレットからアザーンを朗唱していたはず。
しかし、マスジェデ・ジャーメで唯一ミナレットがあるのが南イーワーン。このドゥ・ミナール(ミナレットが一対あるもの)は、ティムール朝時代(15世紀)に付け足された。
ということは、ティムール朝からサファヴィー朝になるまでの間は、ここから礼拝への呼びかけを行っていたのだろう。
柵は木製だが、ミナレットの下部から頂部のドームまで、塔身が通っている。

では、ティムール朝以前はどこにミナレットがあったのだろう?
マスジェデ・ジャーメに入ったところで、その変遷を図解してあったが、 アッバース朝時代(8-10世紀)・ブワイフ朝期(11世紀)の図面には、ミナレットが描かれていない。
セルジューク朝前期(11-12世紀)になると、北ドーム室(ゴンバディ・ハーキ)の背後、周壁の外側にミナレットかなと思われる円塔があるが、サレバン・ミナレット(1130年)やメナーレ・マスジェデ・アリー(11世紀後半)のような細長いものと比べると、ずんぐりしている。どちらかというと、カリャン・ミナレット(カラハン朝、1127年)に近い。
セルジューク朝後期(12-13世紀)になると、その円塔はなくなり、代わって北イーワーン室の北側にドゥ・ミナーレが建てられ、それはイル・ハーン朝期(14世紀前半)まで存在したが、ムザッファール朝時代(14世紀後半)に北イーワーンから北ドーム室までが屋根で覆われた時に取り外されたようだ。
マスジェデ・ジャーメは、最初期から改宗モスクだった。
『イスラーム建築の見かた』は、9世紀前半になると、ミナレットが街の大モスクに必ずといってよいほど建設されるようよになり、ここから礼拝への呼びかけがなされた。初期イスラーム時代には、先述したようにモスク建築が多柱式で低平な広がりをもちドームを使うことは稀で、ミナレットはモスクにおける空に聳える唯一の要素であった。ミナレットは呼びかけの塔であると同時に、モスクのシンボルでもあったという。
様々な調査が行われてきただろうが、その当初のミナレットの場所は、まだ解明していない。

マスジェデ・ジャーメ チャハール・イーワーン

関連項目
マスジェデ・ジャーメの変遷
イスファハーンで朝散歩
マスジェデ・イマーム1


※参考文献
「イスラーム建築の見かた 聖なる意匠の歴史」 深見奈緒子 2003年 東京堂出版