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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/11/01

ソグドの踊り子像はカリアティド(女人像柱)


ペンジケントでは小さいながら2つの博物館を見学した。遺跡に併設された博物館と、町中にあるルダーキー博物館である。どちらにも展示室には炭化した建築部材もあって、その中に「踊り子像」という名の断片が含まれていた。

踊り子像 7-8世紀 ルダーキー博物館蔵
台座と女性頭部だけなので「踊り子」かどうか判別できないが、立像だったことはわかる。
残念ながらその顔はわからない。
同博物館にはもう1体、「踊り子像」という名の炭化した木像の写真パネルがあった。こちらの方が頭部も衣装もよく残っているのに、何故展示されないのだろう。貸し出されているのだろうか。

踊り子像 遺跡併設の小さな博物館蔵
円柱のように長く残っているが、踊り子像には見えない。

サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館には、よく似た女性像が収蔵されている。

女性立像 8世紀初(722年以前) 木造(炭化) 高118㎝ ペンジケント出土 エルミタージュ美術館蔵
『世界美術大全集東洋編15中央アジア』は、ほかの類似の像1点と上半身の断片とともに火災で焼けた個人邸宅の4本の柱のある広間の中央で発見された。この部屋には4体の木彫があった。アーチを支えているこのような女人像の柱(カリアティード)は、ソグドではよく見られるものであった。この作品は柱の上にあって、明かり取りの窓がある中央の屋根の支えの方形部分の一部だったようである。
両手は消失し、左手の指だけが太腿の上に残っている。右手は頭上にあげて柱頭を支えていたのであろう。飾り紐や軽やかな衣装から判断すると、これは踊り子を表現したものであろう。両足の表現はコントラポスト(支脚と遊脚の原理)に則っている。その姿勢と装飾はインドの彫像に似ているが、均整のとれた肢体は完全にソグド的であるという。
アテネ、アクロポリスのエレクテイオンのカリアティドが有名だが、これも女人像柱だった。ということは、ペンジケントに残っている、写真も含めて3体の「踊り子像」も、同様に女人像柱だったのだろう。
気になるのは、同書の「ほかの類似の像1点」という言葉だが、ペンジケントに残っている3体はどれも似ていない。もう1体もエルミタージュにあるのだろうか。
この女人像柱の想像復元図が『NHKスペシャル文明の道③海と陸のシルクロード』に掲載されていた。頭部あるいは髪型が違っている。

同書は、アーチを支えているこのような女人像の柱(カリアティード)は、ソグドではよく見られるというが、女人柱といえば、アテネ、アクロポリスのエレクテイオンのものを思い出す。
ヘレニズム時代にソグドの地に、女性の立像を柱代わりにすることが伝わったのだろうか。
エレクテイオン南柱廊のカリアティド(女人柱) 前420-410年頃
『世界美術大全集4ギリシア・クラシックとヘレニズム』は、カリュアティドは着衣の女性像を柱代わりに用いたもので、女人柱とも訳されている。アルカイック時代以来イオニア式建築に採用され、その最も完成した例がこの「エレクテイオンのカリュアティド」であるという。

ついでにそれ以前のカリアティドを見ると、

女人像 前525年 デルフィ、シフノス人の宝庫ファサード 
宝庫の想像復元図(デルフィ博物館のパネル)。

女人像 前6世紀中葉 デルフィ、クニドス人の宝庫ファサード
考古博物館の説明板は、長く襞のあるキトンと傾きのあるヒマティオンを着たコレー像は人像柱だ。クニドス人の宝庫に飾られた2体のカリアティドは、最も初期のものだという。
左肩には三つ編みのような髪の房が3本垂れている。

ソグドの女人像柱がアレクサンドロスの東征の後、セレウコス朝時代に請来されたものかどうかを知る手がかりはないが、可能性はあるだろう。


                   →ペンジケント、女人像の柱のあるドーム


関連項目
ペンジケント ルダーキー博物館1 青銅器時代からソグド時代
ペンジケント(パンジケント)遺跡3 小さな博物館
アテネ、アクロポリス3 エレクテイオン神殿
デルフィ4 アポロンの神域3 アテネ人の宝庫
デルフィ3 アポロンの神域2 シフノス人の宝庫


※参考文献
「世界美術大全集東洋編15 中央アジア」 1999年 小学館