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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2016/02/09

空色嵌め込みタイル1 12世紀


ブハラのカリャン・ミナレットは、焼成レンガの文様の美しい塔である。
『シルクロード建築考』は、1127年、カラハン朝の首領プルスラン・ハーンによっ て建立された「カリャンの塔」は、建築学的にも極めて精緻で美しい荘重なミナレットの姿を見せていて、ブハラの天空に君臨しているようである。当初は、塔 の頂上に木造の架構があったらしいが、異建材による混構造の宿命で、折角の尖塔もすっかり崩壊してしまったという。
眼前に倒壊した塔の訓戒は、建築家にとっても、至って慎重な塔の煉瓦造建築に対する研究の努力と創造のアイディアを重ねたのに違いない。
地下10mの基礎と直径9m、高さ46mの基階の、焼成温度も高そうな硬い煉瓦に、灰と石灰に糖汁と膠を混合したものが目地材として用いられたというのも、より以上に堅牢化しようとした知恵であったのだろう。
プロポーションやその美しさに変化のある煉瓦積みに見る20種類に近い文様の手法は、胴ネックに巻かれた陶板ベルトも、眺望台へのほどよい緊張感を与えながら、王者の威厳のある風格をそなえて逆光の中に輝いているという。
カリャン・ミナレットは1127年に造られた、とずっと思ってきたのに、このような文章を読んでいると、頂部の再建は何時のことかが気になる。
しかしながら、『LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES』は、サーマーン朝の首相アブ・アブドラ・ジェイハニは、918-19年、金曜モスクの傍にミナレットを建立した。木造の越し屋根は11世紀に焼失したという。
現存のカリャン・ミナレットは、1127年の再建のものであることがはっきりした。

と言うのも、頚部に青色タイルが見えるからだ。
それも、小さな正方形かその2倍の長さの長方形を、焼成レンガの間にはめ込んでいって、簡素な文様を作っているだけで、これが何文様かとは言えないくらいにまばらである。
その青色系のタイル装飾の上のムカルナスには、少しではあるが浮彫焼成レンガが残っている。

『砂漠にもえたつ色彩展図録』は、イスラーム建築最古のタイルは、イラクのサーマッラーから発掘された9世紀アッバース朝のもので、正方形や六角形の単色タイルと正方形や八角形のラスター・タイルがある。
その後11世紀にいたるまでの実例は、いまだ発表されていない。11世紀に入ると中央アジアやイランといったペルシア世界で、土色の煉瓦建築の一部に小片の空色タイルが嵌め込まれるようになるという。
しかし、その11世紀の空色嵌め込みタイルも見つけ出すことができない。

サレバン・ミナレットの嵌め込みタイル 1130年 イスファハーン
焼成レンガの小片を様々に組み合わせて文様にしたところと、空色タイルが嵌め込まれた箇所がある。
空色タイルは、まずアラビア文字の銘文、そしてムカルナスの内側のラインに用いられている。
カリャン・ミナレットの嵌め込みタイルが創建時のものであれば、このサレバン・ミナレットにやや先んじて造られたことになる。

エスファハーン、大モスク(金曜モスク=マスジェデ・ジャーメ)西側イーワーン セルジューク朝、1150年 イラン
『世界美術大全集東洋編17イスラーム』は、最近の考古学的発掘の成果は、エスファハーンの最古のモスクが8世紀頃までにさかのぼり、それ以降、近世までの発展段階がほぼ6期に分けられることを明らかにした。エスファハーンが1063年にセルジューク朝の首都となってから建築に目覚ましいものがあり、この時代に建造されたモスク建築は、後代のほぼすべての建築に大きな影響を与えてきた。とくに、12世紀初期に従来の中庭の四方にアーケードをめぐらせるプランのモスクから、4イーワーン・タイプへと移行したことはきわめて重要である。現存するこの種のモスクで最も重要な例が、マリク・シャー(在位1072-92)の命で1088-89年に再建された本建築である。以後、増改築が繰り返されたので、軀体、装飾とも場所によって制作年代が異なる。
西側のイーワーンの特色は、高さと間口のバランスがとれていることと、ピーシユタークの表面全体がクーフィー体の銘文で構成されていることで、青緑、黄、白色のタイルが効果的に使われている。他方、西側のイーワーンは、イーワーンの内面上方の3分の2が巨大なムカルナス(鍾乳石飾り、または蜂窩状飾り)で占められている。これはイーワーンのヴォールトを支えるという機能に優先して、むしろ装飾的に扱われているという。
イーワーンを囲む枠について、どこにもその名称が見当たらなかったので、門構えと呼んでいたが、ピーシユタークということがやっとわかった。
ただし、『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』では、11・15・18・20世紀としているので、創建当初のものも残っているだろうが、後補もあるらしい。
同書は、そのムカルナスの一つ一つには、正方形の小さな黒色と青色のタイルを用いた幾何学文様が表現されている。ピーシュタークの表面が文字文のタイルでほとんど隙間のないほど埋められているのに対して、ムカルナスの装飾では黄褐色の地が大きな割合を占めているために、圧迫感のない余裕が感じられるという。
支えるという役目を失ったムカルナスの一つ一つは、2つの曲面で構成されていもの、3つの面で構成されているものの2種類ある。
幾何学の図形としては、中に青色タイルで文字のようなものが表される8点星、そして小さな正方形がわかるくらいで、イスラーム美術の特色の一つである組紐が様々な幾何学文を編み出していく華麗さはここでは見られない。
タイルの黄色い色は11世紀にあったのかな。

アルディスタン、大モスクのタイル装飾 1158-60年 イラン中部
『イスラーム建築の世界史』は、植物文様の中に、文字文様の部分だけに青いタイルを 用いる。トルコ・ブルーは銅を含む釉薬をかけて低温焼成することで発色する。当初は煉瓦地に、釉薬をかけた青いタイルが部分的に挿入された。次第に鉛で発 色する白色も使われる。煉瓦に浮彫を施し、高い部分に釉薬をかけると、彫り削られた部分が陰影となり、鮮やかな色彩が浮き出す効果をもつという。
これは嵌め込みタイルではなく、浮彫タイルに部分的に青釉をかけたものだった。

ジャームのミナレット ゴリド・スルタン朝、12世紀後半 アフガニスタン
『COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE』は、東方イスラーム建築において、浮彫ストゥッコが、その絶頂期に青色タイルにその地位を譲る、決定的なターニングポイントの証拠であることがわかった。ミナレットを巡るトルコブルーの銘文と円文の輪は、東方イスラームでの、青色系のタイル装飾の広大な伝播がやってくることの前触れであるという。
12世紀後半になると、正方形や長方形だけでなく、丸みやカーブのあるタイルに青釉を掛けて焼成し、それを組み合わせて文字や円文などを構成するようになった。
上の円文を繋いだ連珠文とアラビア文字の銘文の間には、植物文のようなものがありそう。

マゴキ・アッタリ・モスク南入口イーワーンの外枠 12世紀 ウズベキスタン、ブハラ
『中央アジアの傑作ブハラ』は、1930年に、考古学者は12世紀にさかのぼるモスクの南入り口を発掘した。入り口は、レンガ及びマジョリカでできたユニークな飾りで飾り付けがされているという。
青釉浮彫タイルで、一重に渦巻く蔓草を地文としたアラビア文字の銘文を表している。
一重に渦巻く蔓草文とアラビア文字の銘文についてはこちら
釉薬をレンガに用いることが一般的になったなら、浮彫焼成レンガに施釉した方が、青色タイルの小片を組み合わせるよりも簡単になる。文様も細かくできるし。

イル・アルスラン廟 IL ARSLAN (FAHR-AD-DI RAZI) MAUSOLEUM 在位1156-72年
同書は、スルタン・テケシュの父親のもので1172年の建設。小さな円錐形の建物という。
円錐形ではなく八角形のドームに空色嵌め込みタイルの装飾がある。
建物の組積に使用されたものと同じ大きさの日干レンガと、長方形のトルコブルーの彩釉タイルとを組み合わせて菱文繋ぎ文を作り、中央にも小さな菱形があるらしい。

スルタン・テケシュ廟  SOLTAN TEKESH MAUSOLEUM 1172-1200年
同書は、スルタン・テケシュ廟はホラズムが滅亡した際のハーン、ムハマド2世の父親の霊廟で、12世紀後半のものという。
こちらは円錐形のドーム。
円筒部には小片の空色嵌め込みタイルが見られる。
トルコブルーの円錐ドームの下の方には、父イル・アルスランの墓廟と同じような菱形の文様もある。
そして、目立たないが、入口上のムカルナスには、トルコブルーとコバルトブルーが嵌め込まれていた。

また、エスファハーンの大モスクは空色と黒色そして地となるテラコッタによる装飾だが、嵌め込みタイルというよりは、バンナーイの先駆けのように感じる。
バンナーイは、ティムール朝期に大建造物の外壁を飾るようになる。
『イスラーム建築の世界史』は、ティームール朝盛期に、急速に大建築 を量産する中、 タイル技法は絵付けタイルとモザイク・タイルに収斂していく。建物の軀体部と被覆部が分離し、建物各所がタイルで覆われるようになると、次第に矩形の土色 のタイルと色タイルを組み合わせるハザール・バフ(バンナーイー)と呼ばれる技法が主流となり、大柄な幾何学文様が建物のファサードを覆い尽くすという。

アク・サライ宮殿の門 ティムール朝、1380-96年 ウズベキスタン、シャフリサブス
実は、このバンナーイという言葉に出会ったとき、焼成レンガの地に少しだけ嵌め込まれるようになったものもバンナーイと呼ぶのだと思っていた。
しかし、サマルカンドやシャフリサブスで大建造物の外壁を覆う、焼成レンガの地に大きな文様のあるのを見ているうちに、このような大きな壁面を大柄な幾何学文で覆うことが、モザイク・タイルのように色タイルを文様の部品の形に削って石膏で固めて壁に貼り付けるなどという気の遠くなるような作業と比べれば、かなりの時間と色タイルの節約になったことだろうということが実感できた。
バンナーイと、初期の外壁装飾に使われた空色嵌め込みタイルというのは、その発想から違ったものだったのだ。 

          →空色嵌め込みタイル2 13世紀はアナドル・セルジューク朝

関連項目
アナドル・セルジューク朝に初期のモザイク・タイル
カリャン・ミナレット
タイルの歴史
アラビア文字の銘文には渦巻く蔓草文がつきもの
シャフリサブス2 アク・サライ宮殿

※参考文献
「東京美術選書32 シルクロード建築考」 岡野忠幸 1983年 東京美術
「砂漠にもえたつ色彩 中近東5000年のタイル・デザイン展図録」 2001年 岡山市立オリエント美術館
「イスラーム建築の世界史 岩波セミナーブックスS11」 深見奈緒子 2013年 岩波書店
「COLOUR AND SYMBOLISM IN ISLAMIC ARCHITECTURE」 1996年 Thames and Hudson Ltd.London
「世界美術大全集東洋編17 イスラーム」 小学館 
「中央アジアの傑作 ブハラ」 SANAT 2006年
「旅行人ノート⑥ シルクロード 中央アジアの国々」 1999年 旅行人
「LUMIERE DE LA PROFONDEUR DES SIECLES」 1998年 Charque