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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/10/06

頭を下にして舞い降りる飛天


以前に敦煌莫高窟で飛天について調べたことがあり、薬師寺東塔水煙の飛天のような倒立とはいかないまでも、頭を下にして飛来する例が、隋末唐初(7世紀初)以降の窟にみられることがわかった。

390窟北壁中央 説法図
頭を下にして華籠や蓮華を持って天から舞い降りてきた様子が描かれているが、胴体はほぼ水平で、脚だけが上に残っているような描き方。

初唐期(618-712)になると、

220窟北壁薬師経変
天蓋右の飛天は、五色に尾を引く雲の間に、頭から飛び込むように両手を頭の上で合わせている。体は足の先まで真っ直ぐ伸ばしているのが、細い裙の両側に少し出ていることでわかる。
敦煌莫高窟の他の窟の飛天について詳しくはこちら

石造の舟形光背石像などでも、頭を下にして飛来するものもある。

如来三尊像 唐、長安3-4年(703-4) 石造 高110.6㎝
『なら仏像館名品図録』は、陝西省西安市宝慶寺の仏殿及び仏塔に嵌められていた石仏群のうち1点。この石仏群は元来、女帝武則天(在位690-704)が、側近の僧徳感を総監督として長安3年から翌年にかけて造営させた、光宅寺七宝台(仏塔とみられる)を荘厳していたものであるという。
仏龕の中に天蓋があり、その左右にははっきりと頭を下に、両脚を上にして宙に舞う飛天が表されている。
拡大すると、右の飛天は手の仕種は不明だが、両脚をそろえ、天衣は体に添って長く上にたなびいている。左の方は、小さな華籠を両手で持って、脚は開いて足の先から天衣が長く伸びている。
でも、この作品は8世紀初頭のもの。日本でもそれ以前に頭を下にして宙に舞う飛天が出現している。
中国の飛天を遡っていくと、

弥勒菩薩交脚像 北斉、河清3年(564) 銅製鍍金 現状高27.8像高9.0光背幅26.0㎝ 1983年博興県龍華寺遺跡出土 博興県博物館蔵
『中国・山東省の仏像展図録』は、像は台座を含む本体、光背、それに光背外周に鋲留めされた宝塔と飛天を別々に鋳造している。
飛天は両手を上げて広げるように舞っているという。
飛天は左側と右側で向きが異なるだけで、片側には同じ型で作ったのではないかと思われる姿態に見える。
それは、頭を下にしているとまでは言えず、どちらかというと、上半身を起こし、胴から脚にかけては横にしたようなもので、それが舟形光背に付ける位置によって段々上半身が横に、脚が上になっているのではないだろうか。それでも、脚は上になった飛天ではある。

仏三尊像 北斉、天保9年(558) 漢白玉 総高120.3主尊像高59.0最大幅60.0台座奥行23.4㎝ 濵州市文物管理所蔵
同書は、光背に表された片手に宝珠を捧げる飛天の丸々として愛らしい姿も北斉の典型的作風を示しているという。
左右の飛天は、どちらも手前の膝から下を折り、向こうの足は裙からはみ出した裳から高く出ているが、頭を下にしてはいない。裳裾、天衣が共に後方に靡いている。
頂部の宝塔を2頭の龍ず捧げ持っているが、その姿は頭を下にして天より飛来した姿とも思える。ひょっとして、頭を下にして舞い降りる飛天は、このような龍の表現から派生したのかも。

菩薩三尊像 東魏、武定7年(549) 白大理石 高56.8幅35.9奥行20.8㎝ 大阪市立美術館蔵
微笑む菩薩に、天から舞い降りた飛天が宝珠を差し出している。飛天の脚は残念ながら欠けているが、残った箇所から判断すると、背ををU字形に反らせ、頭と同じくらいの高さで両脚を交差させている。かなり足が高い位置に残っているが、胸部から上は普通の姿勢となっている。

弥勒三尊像 東魏、武定4年(546) 石灰石 総高45.0主尊像高22.0光背幅27.0奥行9.0㎝ 1988-90年諸城市体育場出土 諸城市博物館蔵
『中国・山東省の仏像展図録』は、光背は先端を欠失しているが、頂に蓮華座に坐る化仏を表しており、その下の左右に2体ずつ、両手で円筒状の持物を捧げる飛天を表しているという。
体が半円を描くような姿勢で、ゆったりと宙に浮かんだ飛天だが、足は微笑んだ顔とは裏腹に、後方上に反らせている。

弥勒仏立像 北魏、孝昌3年(527) 石灰石 総高290.0像高216.0光背幅130.0光背厚140.基壇奥行61.0㎝ 1956-57年出土 山東省石刻芸術博物館蔵
同書は、北魏は天平2年(535)に、高歓の建てた東魏と宇文泰の西魏に分裂する。明るい微笑みを浮かべる表情に初々しさを見せる本像は、北魏末期の山東省の息吹をたたえているという。
光背の頂部に逆立ちする龍は逆立ち気味、その縁に左右4組の飛天が楽器を奏でながら、それぞれの姿勢で宙に浮かんでいる。

このように主に山東省の仏像を時代を遡ってみると、頭を下に舞い降りる飛天は、龍の姿からきているとも思える。
しかしながら、これらの飛天は、日本で最初期に現れた白鳳時代(7世紀後半)の細身の飛天とはかなり異なったものだった。
日本にはどのような形で頭を下にして舞い降りる飛天が伝わったのかはわからないが、細身という点では初唐期のものになるので、頭を下にして舞い降りる細身の飛天は中国で出現して、割合早い期間で日本にも伝わった可能性がある。

          白鳳展2 透彫灌頂幡の飛天

関連項目
白鳳展1 薬師寺東塔水煙の飛天
敦煌莫高窟14 飛天2 西魏以後

※参考文献
「中国石窟 敦煌莫高窟3」 敦煌研究院 1987年 文物出版社
「なら仏像館 名品図録」 2010年 奈良国立博物館
「大阪市立美術館 山口コレクション 中国彫刻」 齋藤龍一 2013年 大阪市立美術館