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忘れへんうちに 旅編に、中央アジア各地の旅に続いて、イランの旅を記載し始めました。
その中で興味のある事柄については、詳しくこちらに記事にします。

2015/09/11

ルハバッド廟にロマネスク様式教会のような控え壁


サマルカンドで街歩きをして、ルハバッド廟は思い出深い建造物となった。
それについてはこちら

南側
こぢんまりしているが、ドームへの移行部もよく見えるし、すっきりとした外観である。
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、現在まで残っているドームは内部のドームであり、このドームの上に外部のドームがあるはずである。しかし、外部のドームは残っていないか、または何らかの原因で、ドーム建築が途中で停止されたようであるという。
もっと高いドームが載っていたのだった。

南東より
南扉口に1つ、東扉口に2つという、変則的な控え壁(バットレス)があるのが不思議である。
ひょっとすると、その大きな、重いドームの荷重を支えきれずに、南側や東側が傾いたので、創建時にはなかった控え壁を、3箇所に付けたのかも。

東側
『中央アジアの傑作サマルカンド』は、現在、この簡単な形で、ドーム状の煉瓦の建物はルハバド(悪の住居)と呼ばれるという。
何故この派手な装飾もなく、すっきりして小さな建物が悪の住居と呼ばれているのだろう?

北側
墓廟ということなら他にもたくさんあるし、それに葬られている高僧ブルハン・アド・ディン・シガリジを慕って、今でも早朝からお参りに来る人たちがいるくらいである。

西側
控え壁が見えない方がすっきりとしているが、この上に高いドームが載っていたのなら、印象はかなり違ったものになっただろう。
このように眺めていると、「悪の住居」と呼ばれているのは、控え壁(バットレス)が付いていて、外観が妙に見えるためではないだろうか。しかも、東面に2つ、南面に1つと均整がとれていない。
それにしても、他のイスラーム建築では控え壁というものを見た記憶がない。
どこからもたらされた技術なのだろう。


控え壁はコンスタンティノープルのアギア・ソフィア大聖堂(6世紀中葉)でも見られる。
アトリウム側の入口にも並んでいるが、穴の空いた箇所もあったりした。
平面図の緑色部分はユスティニアヌス帝の創建時(6世紀中葉)ではなく後世に付け足されたもので、その中に控え壁も含まれていた。
アギア・ソフィアに控え壁を付け足した時期はよくわからないが、オスマン朝よりも以前だろう。何故なら、キリスト教の大聖堂をモスクに変えたくらいなので、その修復は国の威信をかけて行ったはずで、こんな粗悪なものは造らなかっただろう。
ひょっとすると、ビザンティン帝国の衰退期に行われたのではないだろうか。
ところで、ルハバット廟とは何の関係もないロマネスク建築には控え壁というものがある。仏語ではcontrefort、この文字で検索すると、いろんな控え壁の画像が出てきます。


我が「書庫」の数少ない図版でみると、

サン・ギレーム・ル・デゼール修道院教会 1075年 仏、ラングドック
『世界歴史の旅フランス・ロマネスク』は、10世紀の前ロマネスク時代のものは、1962年に発見された地下墳墓と南側のサン・マルタンの小塔で、ついで12世紀の後半のものは、たとえば洗礼者志願室である。11世紀のギレームの聖遺骨を見せるための祭壇をめぐる回廊と2つの階段があるが、前ロマネスクの時代は後陣が二重になっていた。それは9世紀のスペインのいくつかの教会と似ているという。身廊と側廊が完全にできたのは1075年であった。
身廊は高さ16mで壮大であるが、ほとんどなんの装飾もないので、ちょうどカタルーニアのサン・ビセンテ教会のように簡素で心がまっすぐ内陣に向かい、信仰が純粋に高まるような印象だ。交叉リブは北ラングドック地方では最古のものである。ここは、後陣祭室は3つで、中央がもっとも大きい。梁間の窓と後陣上部の十字架形窓と左右の内窓からの光がみなぎる。
祭室の外にでて、振り返るとその教会の異様な大きさに驚く。上部を円く取り巻く半円アーチの18の柱廊のリズム感が美しい。下の2つの窓の回りの柱頭彫刻の蔓草文様はモズ・アラブ風であったという。
モズ・アラブはスペイン語ではモサラベ。イスラーム統治下でも、自分たちの信仰を守り、イスラーム美術の影響を受けたキリスト教徒の美術様式のこと。唐草文だけでなくモサラベ様式も興味があるが、この図版からはその柱頭の詳細はわからない。
平面図でみると、後陣祭室の外壁は1076年以降に造られたらしい。控え壁は祭室と比べても、かなり大きなものが突き出ている。

外観では、ルハバッド廟にやや似ている教会も。

ペロス=ギレック教会 ブルターニュ
同書は、現在の教会は外から見ると、ずんぐりとしたかたちで、現代になってつけた鐘楼があり、見た目には美しくないという。
正方形の壁面にドームが載ってはいるが、なんと現代のものという。
それでも、木に隠れているが4本見える控え壁は古様な印象を受ける。
平面図を見ると、14世紀に建造されているので、身廊などにロマネスク様式のものが残っているとはいえ、世はすでにゴシック様式の真っ盛りで、控え壁から飛び梁(フライイング・バットレス、仏語では arc-boutant)だったはず。それにしては古様を保って、ずんぐりとええ感じ。

本をいろいろ引っ張り出して開いてみると、このままロマネスク様式の建築に惹き込まれてしまいそう。
ともあれ、イスラーム世界では、東で誕生したムカルナスが西へ伝わっているし、西で生まれたアーチ・ネットも東へと伝播している。それだけでなく、アルメニア教会にもイスラームの要素が、そして、アルメニア教会の技術がイスラーム建築にも採り入れられている。
ルハバット廟の控え壁が、それを築いた当時の人の独自の発想だったのかも知れないが、ロマネスク期の壁面を支える控え壁の技術も、どこかから伝わっていった可能性もあるのでは。


関連項目
サマルカンドで街歩き3 ルハバッド廟1
サマルカンドで街歩き4 ルハバッド廟2

参考文献
「中央アジアの傑作 サマルカンド」 アラポフ A.V. 2008年 SMI・アジア出版社
「世界歴史の旅 ビザンティン」 益田朋幸 2004年 山川出版社
「ヨーロッパ中世の旅」 饗庭孝男 1989年 グラフィック社
「世界歴史の旅 フランス・ロマネスク」 饗庭孝男 1999年 山川出版社